ザ・ダイアモンドDAYS


「杏ちゃん、酷すぎ!!」
確かに、と心で頷きながら、グラウンドを走らされている久美子と他の部員に同情した。

今日、土曜日の練習メニューは試合形式のトーナメントだった。
夏の地区大会に向けて杏ちゃんこと、塚本先生は各部員の弱点をチェックしながら回っていたようだ。

『じゃ、ラスト30分だけど今から個人の課題言うからそれ終わったら各自解散。
ええ、3年久美子、小百合、真由子、美紗、2年山岡、谷串、武藤、1年岡本以外全員持久力欠けてるから今からグラウンド外周40周。
はカットスマッシュのために鉄棒にシャトルぶら下げて素振り300回。
他の部員は体育館雑巾がけで脚力つけるよ。100往復したら帰ってよし。』

そんな先生の発言に、涙の大ブーイングが起こったのは言うまでもない。
「素振りずるい!!」

私の前を通過する度に大声を上げる久美子に厭味のVピースを返して、課せられた300回を終わらせた。
タオルで汗を拭きながら部室に戻る途中、聞きなれた声を聞いて振り返ると、案の定、菊丸君が元気にグラウンドを走っている。
どうやらテニス部の練習が始まったようだ。
幸子と美奈子と約束したのは13時。時計を見ればすでに15分が経過していた。



















「あ、来た来た。」
ー、お疲れちゃん。」
私が2人と合流したのはテニスコートのフェンスに14時ごろ。
練習後、部室にあるシャワー室で汗を流して着替えていたらこんな時間になっていた。

本当はご飯を食べてから行きたかったけれど、時間がだいぶ過ぎているのに気づいて昼食は抜いた。
付き合わせた2人をこれ以上待たせるわけにはいかない。

しっかり場所取りしていた2人の横に掛けて、打ち合いをしている2年らしきテニス部員に目を向けた。
、懐かしいんじゃない?」
美奈子が笑いながら言う。私の自室に飾られたテニス時代の写真や表彰状を知る彼女は私がテニスに抱いてい思い入れを知っている。

「そうだね。」
何か理由がないとテニスコートに来ることすらなかったのは、怖がっていたからかもしれない。
理由があってバトミントンに転向したけれど、本当は続けたかったテニス。

またテニスをやりたいと思わないようにここに来ることを避けていた。
私はコートに目を細めて、彼らの打ち合いとテニスボールがラケットを鳴らす音に浸った。


「あ、ほらダブルスの試合するみたいよ!」
幸子が立ち上がって見る先には、学内でも有名なゴールデンペアと呼ばれる2人がいる。その2人の反対側には去年クラスが一緒だった乾君と、もう一人、バンダナを巻いた男の子。

ゴールデンペアとちょうど向き合うように座っていた私たち。立ち上がった幸子に気づいた菊丸君と、彼女の彼氏の大石君が大きく手を振った。
「幸子ー!ちゃん!美奈子ちゃん!応援よろしくにゃ!」

手を振り返そうと手をあげた瞬間、他のテニス部員と竜崎先生の視線が私たちに向けられたものだから、笑顔は苦笑いに変わって、振ろうと思った手が止まってしまった。






















「結局、例の男子生徒は見つけられず、かぁ。」
コートではテニス部の1年が片づけを始めている。気づけばもう4時間もずっと座って練習に見入っていた。

青学のテニス部はすごいと聞いていたけれど、これほどとは、と感嘆の息ばかり漏れる4時間だった。
特に最初のゴールデンペアの試合、それにまだ1年生だというレギュラーの子の試合は目を見張るものがあった。

それ以外のレギュラーは当たった相手も2年生で本気ではないんだろうな、と見て取れるプレイしかしていなかった。
下級生を本気でコテンパンにしちゃ、大人気ないもんね。

4時間、一人一人のプレイを見ていたけれど、特に気になる人物を特定することはできなかった。
昨日の彼はやっぱりテニス部じゃないのかもしれない。


「もう5時か。私6時から予備校だからそろそろ行くね。」
席を立った美奈子に付き合って、私も腰を上げた。そろそろ本気でお腹が空いてきた。
込み合っているらしいテニス部の部室前を横切ったとき、カバンで鳴った携帯のバイブレーションに気がついて一度足を止めた。


発信した人物のカテゴリーは『妹』になっている。

「もしもし。奈緒?」
「お姉ちゃん今日帰り何時になる?ママとパパ今日デートで夜いないって。」
「うわ、何その急なデート。」

「行きたかったミュージカルの席譲ってもらえたんだってさ。ディナーとミュージカルだって今ノリノリ化粧中。」
「私すっごくお腹空いてるんだよね。」
「私は友達と外で食べようかと思って。」
「そう。じゃぁ、私も外で食べるよ。8時過ぎには帰る。はーい、じゃぁね。バイバイ。」
友達と食べに行くと入っていたけど、おそらく最近できたという彼氏と行きたいのだろう。

一緒に外で、と誘おうかと思ったけれど、ここは気を利かせてあげないと。

「電話、奈緒ちゃんから?」
「うん。私駅前で何か食べて帰るから二人とも先に帰って。」

「私付き合おうか?」
幸子は親切にも申し出てくれたけれど、幸子のママのことだからおいしい夜ご飯を用意して娘の帰りを待っているはずだ。丁寧に断った。

「一人で大丈夫だよ。ありがとう。」













駅で2人と別れて一人でフラリと入ったのは立ち食い蕎麦屋。
周りに立っているのはおじさんや、これから飲み会に行きそうな若者ばかり。
冷静に考えれば女の子が一人で入る店ではないかもしれない。
ラケットバックを足元において、おじちゃんに三菜蕎麦と天ぷらの盛り合わせを頼んだ。

「よく食べんなぁ姉ちゃん!」
蕎麦に続いて天ぷらを持ってきたおじちゃんの言葉に真っ先に反応したのは私じゃない、私の後ろに立っていた人たちだった。

「本当、ちゃんって大食いだったんだにゃ!」
「クスクス。英二、女の子に失礼だよ。」
「健康的でいいじゃないっすか!」

箸でカボチャの天ぷらを摘み上げたまま振り返った先には、予想通りのお三方。
さっきまで練習を見ていたテニス部の菊丸君、不二君、そして2年のツンツン髪の子。
混雑している店内で、カウンターが空くのを待っているらしい。


「…お先に頂いてます。」
空腹の胃が悲鳴をあげていた私は、恥ずかしさや、背後から突き刺さる視線なんて微塵も感じることもなくひたすらお腹を満たすことだけに集中した。
あまりの食欲に、見ていたおじちゃんが天ぷら後のデザートに羊羹を出してくれたのに丁寧にお礼を言って、すべて綺麗に平らげた。

「美味しかったぁ、朝から何も食べてなくて!ご馳走様でした。」
会計を済まして、外に出ると星が輝いていた。まだ店内で食べている菊丸君に手を振って、帰路についた。











珍しく部活がない明日は何をしようか。そんな考え事をしながら歩く道が、いつもより短く感じられた。