ザ・ダイアモンドDAYS
グルリと首を一回転させる。
ずっと楽譜を見ていた目を休ませようと、第3音楽室を出て、水道へ重い足を進めた。
『おまえの欠けている情熱を取り戻せ。このままじゃ冬のコンクールは予選どまりだ。』
先週、金本先生に言われた言葉が木霊する。
最近、調子が良かっただけに先生の言葉はただの脅しくらいにしか聞こえなかったけれど、意味も無くそんなことをいう先生じゃない。
本当にヤバイから言ってくれたんだ。
欠けている情熱って何だろう。
顔を洗って、背中をそのまま壁に預けた。
上の階から研ぎ澄まされたピアノの旋律が聞こえる。斎藤は日に日に上手くなる。
それを第3音楽室で聴いている私は焦っている。
焦りから生まれるものなんて何も無くて、焦る自分の感情をどう落ち着けるべきか分からない私が弾くピアノはとてもコンクールで賞を取れるものじゃない。
今度こそ、斎藤に勝って自分の将来を手にしなければならないのに。
斎藤の弾くワルツが中盤に差し掛かって、私は背中を壁から離した。
ゆっくり開いた視界の左側に知っている人間の雰囲気を見たけれど、目を向けるわけも無く右へ歩き出した。
栗色の綺麗な髪を一瞬で視界から消し去った。
「何だよ、子。ピアノの音が聞こえないと思ったら昼寝?」
「寝てないよ。ちょっと考え事してたの。」
音楽室の床に座り込んで、ぼうっと考え事をめぐらせていた時に思いっきり開いた扉の音に驚いて肩をビクらせた。
入ってきたのは予想通りの人物で、視線だけ向けた。
「何だよ。話してみれば?」
「・・・私に欠けてるものって何だろう。」
「そりゃぁ!優しさと、女らしさだろ!!!」
「まじめに聞いてる?」
「ははは!!!何、自分探し中なの?」
当たり前のように私の隣に座った斎藤は、少年のように爽やかな表情を向ける、
やっぱり私とこいつは正反対の人間だ。
「金本先生がね、欠けているものを取り戻せって。斎藤に相談しても、きっと自分で気づかないと意味無いものなんだろうね。」
音楽室の反対側に飾られたメンデルスゾーンの肖像画を睨んでみる。
あの肖像画のメンデルスゾーンはなぜか金本先生を思い出させるのだ。
「…ピアノじゃないけど『知り合い』がテニスしててさ、その人昔、テニスで勝つって執着が持てない人間だったんだよね。
そのせいで本当の自分のプレイを出せない人だった。今の私がピアノで全力出せないみたいに。
でも、心のライバルだったのテニスプレイヤーがその人と本気で勝負をしたことで、勝たなきゃって解き放たれて本気でテニスが出来るようになった。」
何も言わず聞いている斎藤の口元は笑っている。もしかしたら誰のことか知っているのかもしれない。
「私にはさ、斎藤って一生のライバルがいるのに。斎藤はいつも本気で練習して、本気で本番に臨んでる。
私は斎藤以上に、って闘志を燃やしてるのに、なんで私は解き放たれないのかな。」
「お前はお前だ。そいつと同じやり方で何でも解決するって思っちゃだめだろ。」
音楽室に、風が吹き込んだ。乾いた秋風に吹かれた木の葉が宙を舞って西へと進路を進めていく。
「難しいね。学校の勉強より、ずっと難しい。」