ザ・ダイアモンドDAYS


6時間目終了のチャイムが鳴る。
授業の堅苦しい空気からクラスが一斉に活気を取り戻す瞬間、だけどその活気は薄い。
3年生の2学期、生徒のほとんどはもう部活を引退して、大学受験に備えている。
1学期、このチャイムが鳴ると「部活だ部活だ。」と喜んでいたクラスの男子の姿がないのだ。

部活やクラブから推薦を受けて立派な大学に入れる生徒は、きっと来年の3月に卒業するまで、今までと何も変わらず部活に打ち込むのだろう。
演劇部で始めた役者の素質を認められ、春から都立の芸術大学に行くのように。
でもそれはほんの僅かのチャンスをものにした生徒にだけある特権。
その特権をつかめない生徒に部活という青春が終わって、待っているのは進路という現実だ。







校舎西塔の2階にある第3音楽室のベランダで、「予備校、予備校。」と面倒くさそうに言う生徒の声を聞きながら、
昨日駅ビルにある楽器屋で購入した厚い楽譜を眺めた。

『夏の関東コンクール終了で気を抜かないように。本当に大切なのは冬のコンクールだ。』
夏のコンクールで弾いた曲を冬のコンクールで自由曲にあげようと思っていたけれど、
そんな甘い考えをあの先生が許してくれるはずがなかった。

新しく選んだ曲は、死の病に侵された作曲家が、晩年書き上げた交響曲の2番と3番。
死に対する恐怖と世界の不思議をテーマにした何とも言葉で表現しがたい楽曲。
喜怒哀楽のカテゴリーに突っ込むとすればちょうど「怒」と「哀」の中間くらい。


何でこの曲にしたの、と3年前の自分が今の私に問う。

中学3年まで毎年のように私のピアノを聴きに来てくれた近所の「治ちゃん」基、手塚国光が、今の私のピアノを聴いたら驚くだろうか。
手塚君を最後に招待したのは中学3年の冬のコンクール。彼は中学卒業と同時にプロを目指し始めた。
海外にいることも多い彼だ、それからは迷惑にならないようにコンサートへ招待しなくなった。

元気で、明るくて、優しい曲しか弾かなかった私の趣味やセンスが、こんなにも変わったことを何というだろうか。

理由を聞くかな。

何があったんだ、って。














ぼーっと楽譜に見入っていた私の耳に聞きなれたマンドリンの音色が流れ込む。
ベランダから手を振ると、気がついた長谷川君がお辞儀をした。
音楽部にはさまざまな音楽を愛する人物が集まっている。みんな個性的で、あまり協調性がないのが特徴だ。
オカリナを毎日一人、校庭で奏でている木村君。漫画同好会と一緒に作曲をしている川上さん。
グラスハープを校門前で練習して道行くおばちゃんに拍手をもらうことを生きがいにしている地元君。

一番只者じゃないと思ったのは春日部緑という2年の男の子。
彼は青学のゴミ収集所から使えそうなものを拾っては、自己製作中の楽器のパーツにしている。


みんなで集まって一緒に何かやったことなんて1度もない。部活である意味を疑問視したくなってしまう。
最もこれは批判じゃない、そんな気楽さが好きで入った部活だ。

だから今日、斎藤が10組に来て唐突に言い出した誘いには心から驚いた。
子、喜べ!来年の3月に卒業ピアノコンサートができるぞ!音楽の石井先生とオケ部がサポートしてくれるってよ!!』

『…何それ、強制参加?私たち、1月にピアノコンクール控えてるの忘れてるでしょ。』

『そりゃ!将来が決まる大事なコンクールだもんな!何とかなるって!残りの1月、2月練習して、3月からオケと4,5回合わせればイケるよ!』


馬鹿なやつ、とは前から思っていたけどこれほどだったとは。

でも、そんな斎藤に夏のコンクールで負けたんだ、私は。
今回だけじゃない。2年の夏のコンクールも、冬のコンクールも。


なぜだろう、敗因を考えても具体的な原因が浮かばない。
先生に「自分で気づけないうちは、斎藤を上回るのは無理だ。」コンクールのおめでとうパーティをしたその帰りに、そう言われた。
斎藤は唐突だし、お気楽だし、ハチャメチャなやつだけど、言い出したことは何でも実現化させるすごい男なのだ。

私とはまるで正反対の道を歩んでいる。



『そのコンサート、テーマは?』
『ピアノの連弾!!』









さぁ、っと吹き込んだ風に立てかけた楽譜が捲られていく。

『そりゃ!将来が決まる大事なコンクールだもんな!』
斎藤の言葉が頭で木霊する。


3年前、このコンクールで最優秀賞を取った私に彩林大付属高等部から声がかかった。
彩林で3年間、ピアニストの先生について、大学はそのままオーストリア国立ウィーン音楽大学に行かないか。

そんなキャリアとしては申し分ない申し出を受けておきながら、私はそれを蹴った。





そうだ。

今度こそは、何があっても自分の将来を捨ててはいけない。

何があっても。






そう自分に言い聞かせて、鍵盤の上で指を走らせた。