One for All









One for All * The story comes to end










自分で感じることのできる変化、そして自ら感じ取れない変化。
その変化は今、私の生活に両方実在している。自分で分かる変化、それは自分の身体のことだ。

ギュッとラケットを握ってみる。手首から指まで力の緊張を感じる親指から中指までの3つ。それに引き換え、力が入らない薬指と小指。力を入れようとするのに時間を要する。
肘の骨折は目まぐるしい速度で回復して、可動区域は何の問題もない。なのに、肘下が思うように動かない。

そんな私の左腕の調子に真っ先に目を開いたのはセラピストの英田さんだった。彼は何事もないように振舞っていた。『心配しなくていい』それが口癖。『一応テストするね。』データを取る時も身体が悪いからテストするのではなくて『あくまで参考のため』に留まった。

「・・・。」

自分の身体だ。いくら骨折を機に数カ月ラケットを握らなかったとは言え、以前との違いはすぐに分かる。

私の腕がおかしくなってしまったことも、分かる。


今日のセラピーの時に自分の思っていることを話そう、そう思っていた。そして左腕に何が起こっているのか問い詰めようと思っていた。なのに英田さんはそんな私の考えを見通してか、施術室に足を踏み入れた瞬間私に椅子に座るように要求をした。

彼が差し出したパンフレットを受け取って、決意したような真剣な英田さんの声に耳を傾けた。



「日本を離れ、世界的に有名なリハビリ施設で治療を受けることを俺も、そして君の主治医の井出医師も奨めたい。」
「・・・私の腕、何が起こっているんですか?」
「君が複雑骨折した際、おそらくウルナという神経が傷つけられた。上腕から下を通る神経には3つあってね、ウルナは薬指と小指の領域を司る司令塔だ。MRIで異常は見られなかったようだけれど実際この2本の指が動かないのならウルナに問題があるとみて間違いない。神経系の疾患はリハビリ開始が早いかによって予後が違う。このスポーツリハはどちらかと言えば整形外科系が専門。神経系の疾患ならもっといい施設がある。少しでも早く、専門のリハビリをしてもらいたい。」

「・・・でも私にはまだ全国大会があるんです。」

今、何よりも大切な、チームメイトと約束した優勝を手に入れる全国大会がある。


「その全国大会と、君のテニスプレイヤーとしての人生を計りにかけて考えてほしい。」

英田さんのその一言が胸にグサリと音を鳴らした。
まさかプレイヤーとしての人生なんて大それた言葉を持ち出されるなんて、考えてもみなかった。
パンフレットを握る手が震えていた。良く震える右手に力の無い左手を重ねてグッと握る。「ああ、力がないな。」そんなことを漠然と思う。右手を抑え得るどころか、握ろうとする命令に弱った筋力が悲鳴を上げて、同じように震えてしまう左手に呆然とした。

「ご家族とも良く話してくれ。」

縮こまった私の肩に英田さんが乗せた手だけが、その時この空間で唯一暖みを帯びていた。

















『病室にいるとたくさんの事に置いていかれている気になるよ。』

最後に会った幸村は私の髪を撫でながら苦笑してそんなことを言った。

『真田は会うたびに部活にも、そして自分にも厳しくなっていくし。赤也も此処に来る度見間違えるようにしっかりしてくる。』

それに。
彼は何かに諦めたかのように目じりを下げて、髪を触っていた手を私の右手に重ねた。

も変わっていく。』
『私?』
『自分で気づいていないだけで、君にも変化はあるさ。』

私が自分で気づけない「変化」を指摘したのは誰でもない幸村だった。

『この間はラーメン缶。それに不二に握手を求められて戸惑うことなく手を返した。男に手を握らせるなんて1年前の君じゃあり得なかったことだよ。』
『そう言われてみると。でもラーメンはただの気分転換。もう二度と買うつもりはないよ。』
『ははは。確かに毎回この前みたいに吐き出されるのは堪らないな。』
『あれだけ楽しそうに笑って良く言うね。』

フンとソッポを向くと、重ねられていた手が握られる。

『幸村は変わらないね。キザなのも・・・。テニス好きなのも。それに、いつでも強い。』
『中学トップっていうのはまだ譲りたくないからね。』
『そうじゃなくて。』
『・・・ん?』
『いや、なんでもない。』


私が言いたかったのは実力の「強い」じゃない、心の「強さ」だ。彼はそれに気付いてか気づかずか、わざと実力の「強さ」を会話に引き出してきた。それ以上その話は続かなくて、面会時間が終わるころ私はいつもの様に「また来るね。」と残して帰宅した。




全国大会への扉が開かれた今、会えるのは週末の限られた時間のみ。その時間さえ、実際には部活に当てたい時間。
壊した左腕が原因で、私は仲間とコート上でプレイすることができない。コートの外から一人一人にアドバイスをして廻ることが仕事。だからメンバーが一人でも長く残る時はそれに合わせる。
でも週末になると部活が定刻に終わった瞬間、みんなして「帰れ」とか「幸村君のお見舞いに行って」っと口を揃える。アンアンにおいては「ダブルスは柚子さんがボスです。つまり部活時間外、もとい自主練の時レッドローズは私の大ボスではありませんので。ダブルスは柚子さんに任せてさっさと帰って下さい。」なんてグサグサ言いだす始末。

そのお陰で幸村と会う時間を取れていることに間違いはないのだけれど、私は私で病室を訪れる度冷や汗ものだ。


夏でも長袖を着ているのが常だから怪しまれることなく左腕にあるオペの傷は隠せている。出来るだけ左腕でなんでもこなしているし不自然なところはない・・・、はず。
それでも負傷が幸村にバレルのではないか、いやもしかしてもうバレテいるのでは。そんな冷汗は毎度引かない。





もらってきたパンフレットをベッドに腰かけパラパラと捲り、枕の下に仕舞い込んだ。

「トロフィーと槙野先輩。」

全国大会を取って、手にできるのは全国制覇の4文字。
選手生命を取って、手にできるのは誰よりも憧れる、目指している、乗り越えたい槙野先輩。私がテニスをしている理由。

どちらか一つしか取れないことは残酷な事か。

どちらか一つ取れることは幸せな事か。


レッドローズの腕を投げ出して自分勝手な行動のせいで仲間に迷惑を掛けている私に、まだ選択権が1つ残っている。

それはまぎれもなく後者。

とても恵まれている、ということなのだ。