が拾って来た新マネージャー、鈴木リコは2年マネージャーの愛美に可愛がられ日に日に仕事をこなせるようになっている。ドリンクの作り方や大まかな分量、家ではしたことのないという洗濯を覚え、明日から何よりも大事なスコアの付け方とテニスのきちんとしたルールを教わることになっている、課題はまだまだ大積みだ。
「いいんじゃない、楽しそうにやってて。」
愛美と部室、コートを駆けまわるそんなリコの姿を見ては微笑んだ。仮入部期間が終わり正式に入部した部員は16人。レギュラーになれそうな人材がいるか見るために行われている体力テストを1年とこなすはグラウンド25周目に入っても呼吸を乱さない。
「先輩―!!」
「赤也よそ見をするな!!!!」
外周から戻って来た男子テニスにはあの人懐っこいキリハラ君がいた。3強に喧嘩を売って、最終的に認められたことを報告しに来た時のことを思い出す。女子メンバーは着替えの真っ最中で、ノックもなく音を立てて開けられた部室のドアに立つ少年は春希に鉄拳を食らったのだ。
そのキリハラ君が急に立ち止まったことで、真後ろを歩いていた真田が、バランスを崩し手を地面についた。その横を柳が歩いていて、私は柳に手を振る。ふっと笑ったクラスメイトは立ち止まり「精が出るな。」と褒め言葉を残していく。
そんな、今ここに当たり前にある生活にいられる自分は幸せものだ。太陽の光を浴びて大きく背伸びした。
上手くいく学校生活に暗い影が差し始めたのはその1週間後。放課後の体育委員会の集まりを終え、一度教室に戻って配布された書類を置いてから部活に行こうと私は校舎の階段を上った。3階まで登って左に折れようとすると、階段を挟んだ反対側、E組から人の声が聞こえる。この声はE組の久賀さんだ。幸村君の彼女としてこのフロアでは有名な子。その声がくぐもった声に変わって私は顔を顰めた。
「もう、エッチなんだから。」
「火曜にしか会えないんだ、少しはサービスしろよ。」
意味の分からない会話。聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれない。相手の声は100%幸村君の声じゃない。
浮気か。
先週の火曜日、私は放課後の廊下で彼女と立海大付属高等学校の制服を着た男子が一緒に立って笑いあっているのを見た。その時は「仲いいんだな。」そんな単純な感想しかなかったが今日のことで、事の真相がはっきりした。
幸村君をあんな素敵な笑顔にできる彼女が作っていた別の男との関係。自分の中で怒りのような、悲しみのようなわけのわからない感情が渦巻く。一刻も早くその場を立ち去ろう。そう来た道に戻ろうとした私は持っていた物を驚きに落っことしそうになる。そこには柳が立っていた。口元に人差し指を立て、静かにしろと訴える。そして私の手を引いた。
「あの二人の事、知ってたの?」
「ああ。毎週火曜日にバスケ部は中高合同で一緒に練習している。あの男は高等部のバスケ部主将だ。」
「自分が主将なら抜けてもいいってわけ。」
「部活中、精市が校舎に戻ることはないからな。それを利用してあの男と会っている。」
共に歩く中庭でへぇ、と感嘆の言葉をもらした。良くばれないなという驚きが5割、そして浮気なんて馬鹿なことをしているなという驚きが5割だ。
「精市は久賀のことを大切に想っている。」
それはそうだろう。あの貼り付けた笑顔を消せる唯一の人物なのだから。
「。」
柳はふいに立ち止まる。その手は拳を作っていた。
「この事実を知る俺はどうするべきだと思う?」
2人して、視線を地面に向ける。私に返せる答えなんて用意されていなかった。
その3日後、私は幸村君と喧嘩をした。
喧嘩というよりは、幸村君が一方的に気分を害していると説明したほうが正しい。たまたま女子と男子の部活終了時刻が重なって鉢合わせ少し話をし始めた。最初はテニスの話をしていたのだが、なぜが恋愛の話になって彼女を自慢する彼の表情はすごく、すごく綺麗だった。その顔を見れば見るほど、また怒りのような感情が生まれて、イライラして、私は彼に言ってしまった。
「でも、久賀さんは幸村君のこと本当に好きなのかな。」
気分を害する発言をしたのは間違いなく私だ。幸村君は鋭い視線で私を見て「君がそんな人だとは思わなかったよ。」とか「話した俺が馬鹿だった。」とか冷たい言葉を放って私の前から消えた。次の日には部内で私に対し怒りを見せる幸村君がいたらしい。私は柳に呼び出されて「地雷を踏んだな。」そう言われた。
自分でも馬鹿だなと思う。他人の恋愛事情なんて放っておくべきことに、自ら立ち入るなんて馬鹿がすることだ。
お互いのコート前を通る時には毎回のようにしていた軽い挨拶もしなくなって、状況を理解していないキリハラ君だけが相変わらず大声を飛ばしてくる。
私と幸村君の様子がおかしいことに気がついた女子部員も最初はどうしたんだ、と声を掛けてきたけどその度に私の機嫌は少し悪くなるらしく、今では誰も何も聞こうとしない。
たかが男子テニス部部長のことより、私には女子テニス部のためにやることが沢山ある。
幸村君との関係は改善されないまま悪化を辿る一方だった。