恋は盲目という言葉がある。その土中にはまると、人間何も見えなくなるのだ。経験はある、だから「周りを見ろ。」そう本人に言っても無駄なことは知っていた。そして俺はどう行動するべきが分からなくなっていた。精市が久賀と交際を始めたのは昨年の11月のことだ。そして俺が久賀とバスケ部主将の関係を知ったのは2月。今回ののように、たまたま火曜日に教室に帰った時に見かけてしまった。
バレなければ、精市は何も知らず苦しむこともない。真相を知れば部活動にも影響が出るだろう。それを懸念し俺は真実に背を向けた。
体育委員会の集まりがあった週の火曜日、が部活前教室に戻る可能性は20%あった。その20%に気を払い、彼女が教室に戻る前に止めようと俺は校舎内にいた。しかしそれは数分遅く、俺を振り向いたの表情は歪んでいた。『幸村君、あんなふうに笑えるんだね。』そう微笑んでいた時とは180度、正反対の表情をしていた。
道明寺が今日、俺に会いに来た。先日、生徒会が行った部活動予算会議で幸村が女子テニス部に廻されている部費を男子に回す様に苦言したらしい。は反対したが今まで治めた実績の違いから彼女の反論は却下へ。幸村の意見が採択され結果女子の方には雀の涙ほどの部費しか残っていないのだという。
あの2人に何があったのか、俺に問い詰める道明寺は泣いていた。金がなくては実績のない部活は存続できない。が今日の授業中上の空だったのはそれが原因か。
精市、それはやりすぎだろう。
本人個人に攻撃するならまだしも、彼女の部活その物を攻撃し始めた我が部の部長はやはり女子テニス部部長に比べると精神的にはまだ子供だ。
俺は立ち上がった。
今日は、火曜日だ。
ざぁぁぁぁ
土砂降りの雨の音が、人気のない校舎に響く。女子テニス部は今日活動を中止している。部長であるが体育委員会、副部長の道明寺は精神的に部活に出れる状態ではなく、残された部員には練習場もない。屋内練習場を男子テニス部が占拠しているためだ。
電気が付いているE組の前で精市は立ちつくしている。教室内からは見えない死角に立たせ、中でじゃれ合う2人のありのままの現実を突き付けた。
「も知っていた。最近お前に邪険にされている彼女が気の毒でしかたない。」
、という言葉に精市は信じられないと目を見開いた。にしてみれば、「久賀さんは幸村君のこと本当に好きなのかな。」という彼女の言葉は素直な質問だったのだ。本人に自分で気付いてほしかったのかもしれない。
「はお前を心配していただけなんだ。」
加速する2人の行為に、真相を知った本人は手を額に当て、歯を食いしばっている。
もう、しばらく精市のあの笑顔を見ることはできないだろう。
「…もういい、行こう。」
雨よりもずっと小さい声で、俺達の部長は階段をおり始める。階段の窓から見える女子テニスコート。土砂降りの雨の中、そこに立つ人物を見つけ俺は精市を置いて走り出した。雨の中には今の部長よりも傷ついている人物が立っていた。
「!」
「…ああ。柳か。」
「何をやっているんだ!」
「頭を冷やしてた。」
こんなところにいたら濡れるよ?とムリに微笑みを作ろうとするはジャージのポケットに手を入れコーチ用のベンチに腰を下ろす。
「それはこちらのセリフだ。戻って着換えろ、風邪をひく。」
「…いいんじゃない別に。お金もなくてテニス部も続かないような状態だし。はは、気力もゼロ。」
一向に立ちあがろうとしないは、普段見せていなかったがやはり今回の部費のことで心にダメージを負っているようだ。無理もない。部活のトップが集まる集会でよりによって男子テニス部の部長に喧嘩を売られたのだから。立場のない思いをしたことだろう。
「さん!!」
ずいぶん慌てた声が聞こえた。さっきまで隣にいた精市が傘とタオルを持ってこちらに走って来たのだ。精市は、そのタオルを背を曲げて座るに被せて水たまりに膝をついた。彼がタオルの上から抑え少しでも水滴を拭こうとする手を、彼女は叩いて振り払った。
「触らないで。」
それは敵意に満ちた声。聞いたことのないような、冷たい氷のようなの声。精市もその声を聞きようやく自分が女子テニス部に何をしたのか理解したようだ。表情は、先ほど久賀の浮気現場を見た時よりも苦痛に満ちていた。作ってしまった溝は深かった。
「もう、帰る。」
立ち上がったの様子がおかしかった。数秒頭を押さると、急に倒れこんだ。その身体を受けとめなくてはと手を伸ばす。しかし俺の両腕は届くことなく、意識を失った細いそれを受け止めたのは、目の前にいた「彼」だった。
「柳生を呼んでくる。」
は以前、柳生の父親の病院に通っていると俺に話したことがある。俺は「さん!」と何度も声をかける精市を女子コートに置いて屋内練習場へ向かい走り出した。蹴り飛ばすアスファルトの、ぐちゃぐちゃになった桜の花びらは全盛期の美しさを完全になくし、惨めだった。