「今日はデートだ!!」
だからシャワーを先に使わせろ、と丸井が騒ぐ。またデートか、イベントが多いな丸井のとこのカップルは、そう笑った。真田は「不謹慎だ!」を連発。この様子だと、琴音ちゃんは真田とデートに行くことなんてないんだろう。それもそれで彼女が不憫だ。
「俺も先に浴びさせてもらおう。」
いつもなら最後まで待つ柳が珍しくバスタオルを逸早く取り出し、部室奥まで歩きだした。
「なんじゃ柳、お前さんもデートか。」
仁王はふざけて言ったんだろうが、事もあろうか柳は「ああ。」と口元に笑みを浮かべ去っていった。
「柳、早く浴びようぜぃ!が待ってる。」
「ああ、そうだったな。」
シャワー室に消えて行った2人の背中を見ながら「…さんとデートなの?」そう俺が真田に聞くと「なぜ俺に聞く。そんなことは知らん。」と不満そうな顔をされた。
が甘いものしか食べないという話を俺は柳から聞いた。昼飯を一緒に食べていた時だ。は毎日ホールケーキを持ってきてそれを昼飯にしているんだと。俺と同類じゃん。廊下で会った時に本当なのかと聞くと「ああ、そう。」と言われて俺はある提案をした。
「これか。丸井が言っていたのは。」
「そうだ!2人で1ペアだから一人じゃ挑戦できなくてよ!助かるぜ!」
駅前のスイーツ専門店の看板に堂々と書かれている『パフェ20人前完食10000万円贈呈』の文字が、とブン太の瞳の中で輝いている。
「ナイスだ、ブン太。」
がしっと腕を組み口元に笑みを浮かべると丸井は気が合うもの同士もう名前で呼べる仲になったようだ。「よっしゃー!」と手を上げて店内に進む2人の後を付いていく。の糖分摂取量をデータに取るためについてきたが、それよりも見物できるものが多くありそうだ。突き進む2人の背中に笑った。
「「ごちそーさまでした。」」
わずか15分で間食されたパフェ20人前。すっかり綺麗になった特大グラスがテーブルでウエイターを待っている。2人の食べっぷりを周りの席に座る客達は飛び出しそうな目で見ていた。今日、データノートに記述したの糖分摂取量は昼のホールケーキと合わせて一般人の18倍。いくらスポーツをしている人間とはいえ、これだけの糖類を摂取してこれだけ身体が細いのは生物学的に異常だ。ホルモン機能に障害があるかまたは細胞呼吸の段階で糖質吸収に、問題が起きているかのどちらか、そう判断するのが正しい。
10000万円を受け取った2人と共に暖かい店内をあとにする。
「私お金いらないから。」
丸井の万札を崩しに行こうという提案をは断った。
「パフェが食べたかっただけだし。私の分、本当のデートで使いなよ。」
丸井に彼女がいることをは知っていたのか。道明寺か、もしくは細野に聞いたのだろう。
ああ、それでか。
今日がわざわざ俺に「部活後出かけよう。」と声を掛けてきた意味が分かった。恋人がいる者、異性と二人きりで出かけるのは世間的に良いイメージがない。丸井の彼女に変な心配をかけないようにというなりの配慮だったのだ。
「、お前良い奴だな。」
丸井は柄にもなく感動した様子だった。
「柳、来てくれてありがとう。」
丸井が地下鉄に乗り、同じローカル線の電車を待つは俺に礼を言う。辺りには残業に残っていたサラリーマンが疲れを見せながら立ち、夜のざわめきが辺りを覆っている。
「気にするな。自分から望んだことだ。」
俺が言えば「それでもありがとう。」と小さな声で漏らす彼女に俺は向き合う。少し、丸井が羨ましくなったのかもしれない。
「。俺も下の名前で呼んでいいだろうか。」
面を食らった表情を見せたは「それは、嬉しいな。」そう微笑む。丁度、ホームに入って来た目的の電車が、辺りの騒音をかき消した。
電車のドアが開き、サラリーマン達は我先に空席を目指している。目の前の車両に乗り込もうとすると、…いやがまだホームに立って、電車が来た方向を目を丸くして見ていた。
「乗らないのか?」
車内に付けた肩足を引き抜くと同時に、車掌が吹く笛の音がホームに木霊する。
「あ、ああ。ごめん。・・・って電車行っちゃたか。」
が見ていた先には精市が立っていた。隣には恋人の久賀絵理の姿も見られる。部活後に一緒に出かけていたのだろう。久賀と幸村は俺達とは反対のホームに立っていて、こちらに気付いていない。2人の横顔だけが、俺達に恋人の雰囲気を伝えている。
「幸村君って、あんな風に笑えるんだね。」
精市を見るは驚きつつもどこか嬉しそうだった。
「彼女に向けてるの顔の方がいいね。何倍も。」
俺も同意見だ。精市は人当たりは良いが、そう簡単に他人に心を許す人間ではない。レギュラーの俺達にすら、あんな素直な顔で笑いかけることなどそうそうないのだ。人を見る目、人間の表情を区別する能力に長けているのは女子の部長も、男子の部長も同じらしい。
はこの短期間で幸村精市という人間が、貼り付けているだけの表情を見抜いている。称賛すべき能力だ。人間だれもがその能力を持っていれば、人を騙すことなどできなくなるのだろう。精市もと同じものを持っているが、それは他人を観察することのみ。近過ぎる人間を、あいつは見抜けていない。その点においては精市より優秀だ。
彼を良く知る俺や弦一郎は『こんな精市の笑顔が続けばいい』そう願っている。
だがそんな期待に反して、この願いが泡となって消える不安要素がすでに存在していることを知るのは、この時まだ俺だけだった。