One for All









One for All



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インフルエンザの菌が完全に消えうせたことを掛かりつけの病院で確認して、一番最初に足を運んだのは本来ならクリスマスイブに訪れる予定だった跡部家だった。
東京という騒がしい街のイメージを一蹴する敷地内はとても静かで、いつ見ても完璧なイギリス調の豪邸は今、季節に合わせ日本の正月の雰囲気を上手く取り入れている。入り口の大門には門松を模った活花らしき巨大な飾り物が置いてあって、そのド派手さは去年の作品を見事に凌いでいた。


様お久しぶりでございます。まもなく坊っちゃんが見えますのでもう少々こちらでお寛ぎください。』

景吾の世話役はとても優秀で、友人やテニスの関係者が訪ねてくれば必ず名前を呼んで挨拶をしてくれる。毎回出されるコーヒーも私の趣味に合わせて味を選んでくれている。此処にある彼らの行き渡った心遣いと配慮は昔から何も変らない。


変わらないものもあるのに、

『待たせたな。』
バスローブで出てきた景吾とたった2人で囲むブランチのテーブルは大きすぎて、楕円型の端と端に座っている私達の図を想像すると少し可笑しくなった。

そう、今日は玲がいないからこのテーブルがいつもより大きく感じる。

『毎年ニューイヤーには3人で集まって賑やかだったのに、』
景吾のアールグレイの薫りが噎せ返りそうに強い。

『一人欠けるだけで変るものだね。』
カチャリ、高級ティーカップをソーサーに戻した景吾の瞳が少し、ほんの少しだけど寂しそうだった。



玲が日本を去ってから、この男は慣れない遠距離恋愛に手を焼いている。











『Yukimura geht es nicht gut, wahr?( 幸村は良くねえみたいだな。)』

用意された跡部家シェフ特性ケーキの数々と美味しい南国のフルーツを堪能して鱈腹になっていたところ、今日最後に向けられた会話の議題に重い体を前屈みに倒してテーブルに両肘を付く。プレスに入った最後のコーヒーをカップに注いで視線を景吾の手元に落とした。

『Auch Tezuka und Fuji von Seigaku machen sich Sorgen um ihm. (青学の手塚や不二がかなり心配してたぜ。)』
『Ach so, sie waren bei deiner Weihnachtsparty anwesend. (・・・ああそっか、クリスマスパーティに手塚さん達来てたんだ。)』
『Sie wollen ihn nach Neujahrstagen besuchen. (年が明けたら見舞いに行くと言っていた。)』
『Und du besuchst ihn nicht? (景吾は幸村のお見舞い行かないの?)』
ハッと鼻で笑い、フフンとデザートを口に運ぶ景吾に眉間の皺を寄せた。

『Ich war gestern schon. (俺は昨日行った。)』
『Ich glaub es nicht. Du hasst doch Krankenhaeuser. (嘘だぁ。景吾病院嫌いじゃない。)』

『Wieso muss ich luegen? Gestern Abend nach der lauten Besuchszeit habe ich ihn besucht. Aber du hast Recht. Ich mag Krankenhaeuser nicht. Besonders das Tsuchinaka. (馬鹿が。嘘をついてどうする。昨日の夜一般の煩せえ面会時間が終わってから会いに行ったんだよ。まぁ病院が嫌いってのは間違ってねえ。特にあの土中は嫌いだな。)』

『Warum? (何で?)』
『Weil das Krankenhaus von der Makino-Gruppe verwaltet wird. In unserer Arbeitswelt ist das KH ein Wettbewerber vom KH Ryosei-Medical, welches in der Nachbarstadt liegt und von unserer Atobe-Gruppe verwaltet wird. (土中総合は槙野グループの運営だからだ。財閥の世界では跡部グループが運営する隣街の陵成メディカルのライバルってとこか。』
手をヒラヒラふって、5年以内に陵成が土中を潰してみせるぜ、そんなことを言っている景吾の話は一般人の私には良く分からない。


でも、

『Das heisst, dass Frau Makino einen grossen Einfluss auf die Verwaltung des KH hat? (それは、槙野先輩も土中病院の内部組織に影響力があるってことだよね?)』

貴重な、利用できる情報に自分の声色が鋭くなったのが分かる。

『Ja, richtig. (そういうことだ。)』
片唇を吊り上げ、景吾が満足そうに頷く。

『Kann sein, dass du mich herbestellt hast, da du mir diese Geschichte erzaehlen wolltest? (もしかしてわざわざこの話をするために私のこと至急で呼び出したの?)』

『Bist du unzufrieden, was? (不満かよ。)』
『Fangfrage! Ich danke dir. (まさか!お礼を言うよ。)』





『ぼっちゃま、そろそろお時間が・・・。』

控えめに入室し、合図をする執事に首を縦に振った景吾が壁に掛けられている立派な時計を見て『もうこんな時間か。』と目を細めた。かの跡部財閥の跡取りとして、高校生ながら社交界に引っ張りだこの景吾が気を休めることのできる時間は少ない。


コーヒーを呑みほして席を立つ。これ以上、彼の時間を奪うわけにはいかない。








丁寧な執事に見送られ、屋敷を後にする。

『上手くやれよ。』
去り際、景吾が真剣な声色で放った言葉に頷いて神奈川への帰路に立った。

見えた希望が、私の背中を押してくれる。



幸村を治せるかもしれない。
どんどん膨らんでいく期待に心が明るくなったこの時は、明るい未来だけが見えていた。




















「バレンタイン2日前から15日まで、部活はお休みです。」

一段と冷え込んだ冬の日、部活が終わりざわつく部室内で副部長からの報告に拍手が上がった。クリスマス同様、プレゼントを用意するため部員に与えられる準備期間だ。

脱いだユニフォームを軽くたたんでラケットバックに押し込める。
そしてロッカーの中に置いた麻紀から借りた手作りチョコレート菓子のレシピ本を右隣で着替えている茉莉亜にばれないように手早く学校指定のバックの中に入れた。


「バレンタインかー。贈る相手もいない春希先輩と俺には関係ないすよねー。」

ギクリ、心臓がどくんと一度大きくなる。そして私の背中をバシバシと叩き同意を求める茉莉亜がカッカッカッと一人で笑う。一緒にしてほしくない、なんて言えない。そして左側には私を見上げる麻紀の視線。彼女には珍しく、私の心境を理解してか茉莉亜を否定する発言はない。


同じく気遣いをくれた奈々が話を逸らそうと振り返り、背後のベンチに上半身はブラだけ身につけ本を読んでいたに質問を投げかける。

「我が部長はどうするの?」
部長という言葉に反応した彼女は本から目を離し「何が?」と一言。

「男子の部長にバレンタイン何かあげるの?」
「うわーそれ私も気になる!」

便乗した柚子がいきなり手を上げて振り向いた瞬間、彼女の肘が制裁だと言わんばかりに茉莉亜の肩にクリティカルヒットした。多分、わざとだ。


「あげないよ。あの子は吐いて捨てるほどもらえるでしょ。」
「数じゃないんですよ部長!」
「そうそう。があげたら幸村君喜ぶと思うよ?」
「部長同士のバレンタインって素敵ですよ、先輩!」
「ふふ、でもカトレヤが贈らずともホワイトでーには幸村さんから贈り物がありそうな予感です。」
「確かに琴音先輩の言うとおりですね!」

いつの間にかレギュラーのほとんどが会話に参加し、に『幸村に何か贈れコール』が始動していた。


「最悪市販品でもあげたらどうだ?」
「・・・春希まで。」

まさかそんな言葉が私から飛び出すと思っていなかったが、目を丸くした。



「きっと喜ぶよ。」



入院してからどこか影を落としているあの憎き天敵の心を少し明るくできるとしたら、それは私や麻紀が買い込んだ生活便利グッズじゃなくて、きっとの優しさくらいだ。


「そうだよ!!だって精市君、ちゃんのこと大ッ好きだもん!!!」

麻紀の一言にまた目を剥く部長と、優しく笑う会話参加メンバーの面々。

我が部長と男子の部長の恋仲はきっと私達が考えているよりも複雑で、表ざたにできない関係かもしれない。特に最近まで幸村を友達以上に思っていなかったにとって、それは今でも自身を悩ませている種なのかもしれない。

でも、その2人を一番近い環境で見守っている私達だからこそ言えることがある。
最近のと幸村は、傍から見たら恋人同士以外の何ものでもない。




「一度でも好きだって思ったなら、自分に嘘はつくなよ。」

に言うと同時に、自分にも同じ言葉を言いきかせた。






もう一回気づいてしまった気持ちに、背は向けるな。





















Music: 雪の音