One for All









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クリスマス、

キリスト教で崇められるイエスという人間が生まれた日。キリスト教徒でもない人間がこの日を祝う、おかしな話だと思う。その逆もまた然り、私はキリスト教徒だけれどこの日を祝いたいなんて思ったことがない。私は名ばかり教会に登録している罰当たりな信者。



『行ってくるわね。』

マリーは研究室の呑み会前に教会のミサへ出かけた。家族で日曜毎回ミサに出かけるのは後にも先にもきっと彼女だけだと思う。スウェーデン人で厳格なカトリックの家庭に育った父ですら、今ではクリスマスやイースターの時くらいしか自分が信者だと思いださないような人だ。

電車に乗り込んだ私達は、跡部邸を目指している。一緒に乗っていたカップルのほとんどが新宿駅で降りて行った。これから東京の街で素敵な夜を過ごすのだろう。窓の外には東京タワーが見える。赤と白、やっぱりどこかクリスマスを思い出す色に目を細めた。



静かになった電車の中で考えるのは幸村のことばかりだった。

一人で今何をしているだろう。
病室で寂しく過ごしているのだろうか。
こんな、クリスマスの日に何かを願っているのだろうか。

電車がレールを駆け抜ける音でさえ、シャットダウンできるくらい頭の中が彼のことでいっぱいだ。


、降りるぞ。」
いつの間にか目的の駅に滑り込んだ電車がブレーキを入れる。立ち上がる琴音と真田に促され足だけが反応した。立って、歩いて、降りなければいけない。黒のスーツが以外に似合う真田、紫のナイトドレスの裾を揺らす琴音が先を行く。ドレスアップした私達3人を運んだ電車と別れ、駅のホームで見たのは夕暮れ。冬の晴れた空が見せたその夕暮れは、今まで見た夕暮れの中で一番綺麗だった。

赤い太陽の前で、高層ビルのシルエットがなぜか心をキュッと結びつける。

そして想うのは、やっぱり幸村のことばかり。




「カトレヤ?」

駅のホームで立ちすくむ私を、階段の中盤で振り向いた2人。白い息が、漏れる。
この階段を上ったら、駅前で待機しているリムジンに乗って跡部邸へノンストップ。豪華絢爛のクリスマスパーティが私達を待っている。



『跡部の家のパーティか。楽しみだ。』
お世辞で言ったのではないと思う。景吾から預かった招待状を渡した幸村は、嬉しそうに笑った。テニス関係で景吾と関係のある人間はその多くが毎年呼ばれている。去年は氷帝の男女テニス部が全員いたし、直接話すことはなかったが青学の何人かも横目で見た。月ヶ丘の加藤先輩も呼ばれていた。幸村も普段はなかなか顔を合わせられないライバルにプライベートで会えることを楽しみにしていた。

『ドレスコード・・・。』
今あるスーツはサイズが小さくなっているだろうから新しいのがもう一着あってもいいって言うから、なら一緒に選びに行こうと約束していた。

結局、彼のスーツを一緒に買いに行くことは叶わなかった。
それに彼がパーティに来ることも叶わなかった。

来年は、景吾がまた私達2人を招待してくれたら一緒にいけるのかな。でも、万が一のことがあったら・・・。『難病』が進行して今よりも大変な状況になってしまったら、幸村と一緒にパーティに行くことは叶わなくなる。



『一人にしてごめん。』
パートナーなのに、一緒に行けないなんて格好悪いね。

『楽しんできて。』
俺の分まで。




足が、そこから先に進もうとしなくなった。



今から行けば、まだ間に合う。
私を見据える真田と琴音の背後にある丸い時計で時間を確認した頭が、足に指令を出す。
これから行くところは景吾のパーティじゃない。

「・・・ごめん2人とも。私他に行くところがあるから。」

それが何処だと言わなくても、2人は分かってくれる。顔を見合わせた2人が、その次に向けた表情が笑顔だったから何の迷いもなく方向を変えられる。

「間もなく3番線から列車が発車いたします。」

この電車に乗れば、まだ間に合う。

「いってらっしゃい、。」
「跡部には伝えておこう。」

今日、このクリスマスという日にまだ幸村に会えるはずだから。

「・・・ありがとう。」

掛け込むように乗り込んだ列車。心臓が、鳴る。

招待してくれた景吾は去年同様私のために沢山ケーキを用意してくれているはずだ。それも絶対私の好きなケーキばかり並べてくれている。でもパーティをドタキャンしてしまった罪悪感に勝る位、


今は彼に会いたい。



























目的の駅に着いたのは6時。急いで階段を駆け下りて、タクシーを捕まえた。

「土谷総合病院までお願いします。」
美容院でセットしてもらった髪が激しい動きに緩んでいくのが分かったけど、どうでもいい。行き先がパーティではなく幸村になったんだ。とんでもない寝ぐせや走って乱れたヘアースタイルなんてもう何度も学校で見られている。今さら、身だしなみに気を払う必要はない。

身だしなみはどうでもいいけど、寒い。

左手が、悴む。



タクシーの窓の外で過ぎ去っていくクリスマスの景色の中にはたくさんの恋人達の姿があった。幸せな時間を過ごす彼らはみんなが笑顔だった。

「病院でパーティでもあるのかい?」
タクシーの運転手が私の着ているドレスを見て言う。普通、こんな格好で病院を訪れる人間はいない。病院でパーティなんてあるわけもないのだが、愛想良く微笑んでおいた。

そして目を伏せる。少し、疲れた。
目を閉じている間、タクシーが止まったりまた走り出したりを繰り返す。今どのあたりなのか、あとどれくらいで着くのかオリエンテーションは全くない。静かすぎる心情に身を委ねる中で、ラジオで流れるクリスマスソングだけが確かな時間の経過を告げていた。


「ありがとうございました。」
「お姉ちゃん、呑み過ぎたらまた呼んでな。」

タクシーを降り際、そんな言葉を運転手のおじちゃんにタクシー会社の名刺を渡された。絶対20歳以上に見られてる。北欧人譲りのハーフは化粧をすると14歳でも20歳に見られるらしい。その分20歳になって化粧をしたら40代ですかとか言われちゃうんだろうな、そんな自分の悲しい未来を想像した。




「ここで合ってるよね・・・。」
幸村が移された病院を見舞ったことはない。勝手も分からない。寒さも限界で、特に警戒することもなく入口らしい中央の扉の中に取りあえず駆け込んだら、警備員の人に駆けないで下さいと注意された。
キョロキョロと辺りを見回して、案内板を探す。だって、レセプションがもう閉まっていた。

もしかして面会時間も終わってしまったのかもしれない。勝手に入って大丈夫かな。でも入口が開いていたんだし私は悪くないよね、そんな風に言い聞かせて入口の案内板で幸村がいるであろう場所を探す。


「神経内科はA棟の・・・。」

3階。
エレベータに乗ろうと前方にあるレセプション脇のエレベーターに足を進めた。ヒューっと音を鳴らして冷たい空気が足元を駆け抜ける。今、背後で開いた入口のドアが外の冷たい空気を屋内に流し込んだんだ。タクシーで気付いた手の悴みが、また酷くなっていく。屋内の暖房はついているはずなのに、全身が氷のように冷たいのは気のせいじゃない。


?」
カツンとハイヒールが鳴ったと同時に背後で聞えた女性の声に振り返る。今さっき入口の扉を開いた人物が、こちらを驚いた様子で見ていた。

それも2人。
私をライバル視している彼女と、

「跡部のパーティに行ったんじゃ・・・。」
そのパーティに本当なら一緒に行くはずだった相手。

エレベータに乗る手間が省けた。

会いに来た目的の人物が、彼の方から現れたから。


「メリークリスマス。幸村、アンアン。」
緊張していた肩の力がようやく抜けた。会えたことに、満足感を感じる。彼の顔を見れたことが嬉しかった。

同時に「良かった」そう泣きたい気持ちに襲われた。車椅子に乗る幸村と、それを押すアンアンを見た私は安堵していた。



幸村が一人になっていなくて良かった。

一緒に過ごす人がいて、本当に良かった。



「これ、2人で食べて。」
乗り継ぎの電車を待っている時に駅のケーキ屋さんで買った2つのショートケーキが入った箱の取っ手を悴んで力が入らない指先で何とか支えて、ゆっくり幸村の膝に下ろした。今日アンアンがここにいることは全くの想定外だったから、実を言うと1つは私が食べようと思っていたケーキだった。そう言えば今日は朝モンブランを食べて以来、何も口にしてない。


異常に寒い。

「パーティ、行かずに此処に来たの?」
「・・・そうだけど。」
感覚がない左手を、幸村が掴かむ。目がそれを見ているんだけど、本当に掴まれている手自身には痛みも感覚もなくなっていた。

「でもその格好、」
「行こうと思ったんだけど引き返した。」
目を丸くする幸村に、虚ろな視線を向ける自分の姿を想像しては可笑しくて自嘲する。ああ、なんか初めてスウェーデンで酒呑んだときみたいになってきた。


「何でそんなことをなさったの。」

本当なら、幸村に聞かれそうな質問がアンアンの口から飛び出した。

冷たい身体の奥底で、変な熱が湧きあがる。



「会いたかったから。」

思考もあんまり働かなくなってきた。

もういい。

私の言葉を2人がどう取ろうともう、いい。

その言葉に、幸村の後ろに立つアンアンが目を大きくしてジッと私を見る。嫌な視線じゃない。幸村も、信じられない物をみるような視線を送ってる。



「あー、多分高熱がでる。」
雰囲気も読まずにまた思っていることをそのまま口にした。過去の経験で学んだ。この手の悴みが来て、体が冷え切って、感覚がなくなった暁には翌日40℃近い熱が出るのだ。そして1週間学校を休む羽目になる。


インフルエンザだ、間違いない。


右手で幸村の手を左手から離した。彼が予防注射をしていなかったら、きっとうつしてしまう。というか一刻も早く此処を立ち去らなければ。病院で菌を撒いたのが私だなんて、あとあと事情聴取されるのはごめんだ。

「今日って月曜だっけ?あれ、水曜?」
頭がおかしくなった。フィルターを張ったみたいに、思考がはっきりしない。
目の前にいる2人に構わず携帯を取り出して、ダイヤルを掛ける。今日はクリスマス、仕事が休みなんてことはない、でも妹のピンチに迎えには来てくれるかもしれない。姉さんは今頃研究室のクリスマスパーティで呑んでいるはずだから、車はだせないだろう。


『Was los? (どうした?)』
電話の背後でシャンパンコールが鳴っている。雑音が、神経に触る。

「Ich glaube, wenn du mich nicht sofort abholst, sterbe ich hier. (今すぐ迎えに来てくれないと死ぬかもしれない。)」
『Was sagst du?! (何?!) 』
「Grippesymptome…..(インフルエンザの兆候)」
『Oh je....Wo bist du, ich komme. (うーわー。迎えに行く、今どこにいる?)』
「Tsuchitani Krankenhaus (土谷総合病院)」
『So weit? Ich versuche schnell zu fahren aber es dauert wahrscheinlich fast eine Stunde. (そんな遠くにいるのか。飛ばすけど1時間はかかるよ。)』
「Ja….so lange warte ich auf dich, tschuess.(いい・・・待ってる。じゃ。)」

ホストクラブMoonのナンバーワンホストをクリスマスの日に一人占めできるのは私と、姉さんくらいだ。迷わず迎えに来てくれると言う兄に感謝した。
通話終了のボタンを押すと同時に、ふらふら歩きだしたのは外来の待ち合い席の椅子達。もう、アンアンと幸村がいることに気を払えない状況になっていた。

倒れ込むように横になり、パーティに行かなくて良かったと心から思う。

耳の奥と頭が痛くなってきた。
藍色のドレスの裾から入り込む空気が冷たい。体が凍る。

そして訪れる倦怠感と睡魔。





目を閉じて、見た夢は


幸村と初めて手を繋いだあの保健室での情景だった。



















Music: We Are One by Kelly Sweet