One for All









One for All



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「今日の気分はラーメンっすね。」
「えー、それ甘くないじゃん。」
「ふふ、先輩は相変わらず甘党さんですね。」

コートの整備で学校の校庭が使えず、茉莉亜と由里亜を連れて隣町の野外テニス場に来ていた。前日との気温差が5度の肌寒い秋晴れ、人が多い運動公園の野外テニス場で3人汗を流して、そろそろ夜ごはんを食べに行こうか、そんな会話をしながら荷物をまとめている時、たまたま目に入ったバックの中の携帯が光っていることに気付いた。ディスプレイを開けると真田からの着信が3件、仁王からの着信が2件、奈々から4件、そして琴音から6件。

「私の携帯はずいぶん人気者だ。」

今夜何かやるんだろうか。でなきゃこんなに着信が来るはずない。一番上にあった真田の電話に掛ける。10コールしても出ない。もしかしてみんなで打ってるのかな、そんな状景が頭に浮かんでこれは場所を聞きだしてぜひ参加しなきゃと次は琴音にダイヤルを掛けた。真田とは違い彼女僅か3コールで電話の持ち主が応答した。切羽詰まった声色で、泣いているのか。電話を一度耳から離して、掛けた相手が本当に琴音だったかディスプレイで確認する。そこにはしっかり彼女の苗字と名前が映されている。

電話先の状況が普通じゃないことを悟って立ち上がった。由里亜とマリアに距離を置いたほうが良いと思ったから。膝を地面に付け身体を起こすと同時に琴音が言う、

『大変なんです、幸村さんが・・・』

幸村?

予想外の名前に起そうとしていた上半身の動きが停止する。その反動で耳に掛けていた髪が前方へ流された。

「幸村がどうしたの?ちゃんと説明して。怪我?」
『練習場に向かう途中、駅のホームで倒れられたんです。救急車で運ばれて、今は総合治療院に。まだ目を覚まさなくて!』

倒れる?

意識がない?

「・・・すぐ向かう。マリア、由里亜ごめん。夜ごはんはパス!」
ジャージに携帯を閉まってラケットバックから財布を取りだし、駆けだしながら髪を束ねる。状況の分かっていない2人は私の突如の様子に驚いていた。

「ちょ・・・先輩!荷物どうすんですか!?」

後方で茉莉亜が叫ぶ声が聞こえたけれど、応じることなく足を動かす。もうすぐ帰宅ラッシュが始まる。混雑している駅で電車を待つより7キロくらい走った方が早い。


一昨日感じた嫌な予感はこれだったのかもしれない。

風を切って横切る街、そんな胸騒ぎだけが私を満たしていた。










白い天井の下で横たわる身体が重い。目を開けると、そこは見たことのない部屋だった。簡易的なベッド、ベッドサイドのテーブルとその上に置かれた花無しの花瓶、人工的な白い電気が白いシーツを更に白く見せている。俺の部屋とは似ても似つかない空間。ここは夕焼けが綺麗な窓の外と別界なのだと目を開けてすぐに気付いた。

「精市、俺が分かるか。」
自分だけだと思っていたまっ白な部屋に響いた声、その声の方に目を向けると目を細めこちらを見ている無数の瞳がある。ああ、一人じゃない。そんな安心感が生まれる。顔を横に傾けるとそこには真田がいて、柳がいて、仁王と浜野さんがいて、琴音ちゃんがいる。

「もちろん。面白いことを聞くね、柳。」

「心配したぜよ。」
枕もとの一番近いところに立つ仁王が、グーに握った右手を差し出す。あまり力の入らない自分の右手で同じようにグーを作って、シーツの中からその手を取りだした。コツン、拳と拳を合わせて伝える、俺は大丈夫だと。

が練習してるコートに行こうと思った途中駅で気を失ったんだっけ。」

もう一度右手で力強いグーを作ってみようとするけれど、力が全くと言っていいほど入らない。

「座りたいんだ、真田手を貸してくれ。」

肩にも、背中にも筋力を感じない。

自分の身体の調子がおかしいことに目を向けたのはJr選抜の合宿でのことだった。仁王に飛ばされたラケット、竦むステップ、思うように動かない身体。前兆はもっと早くにあったのかもしれない。だけど俺はラケットが宙を舞ったあの瞬間まで、身体が出していたのかもしれないそのサインを気にも留めなかった。

テニス部をまとめる部長であるこの俺が、柳や真田に心配され仁王に怒鳴られる。この数日そんな自分に苛立ちしか生まれてこない。
部長がこんなんでいいのか、そう言われて当たりまえだ。

一体俺の身体に何が起こっているのか、分からないから余計不安に駆られる。






ガンッ。

みんなの心配そうな雰囲気に包まれる中、病室のドアが乱暴に叩かれる音が響く。真田の後ろで隠れるように立っていた琴音ちゃんがドアを開けようと近づくと、反応を待たず思い切り開けられたその先に、胸元を右手で抑え肩で息をする彼女がいた。

全員の視線がに注がれる。

「・・・幸村は?」

誰が見ても分かる、彼女は全力でここまで走って来た。結んでいたのであろう髪はほとんど緩んでしまって、乱れた息に上がる肩、酷使した心臓が痛むのを抑えようとしている右手。まるで全力投球したテニスの試合後のまさにその姿。入口に凭れかかる細い体が今にも崩れそうだ。おそらく酸素が体中に行きわたってない。

そんなを見たら胸が詰まって言葉が出なかった。

大丈夫だ、ってさっき柳に話しかけたみたいに言いたいのに。

「今さっき目を覚まされました。」
琴音ちゃんが代弁してくれる。その一言に少し整った呼吸を漏らす彼女が視線をゆっくりこっちに向けた。

重なる視線。ベットに座った俺を確認した彼女の表情が少し緩んだ。

彼女の視線は焦点を俺からずらそうとしない。

恋をした相手は色々な意味で手ごわくて、環境も環境だからこの想いが叶わないものになることは覚悟している。好きになった時から、それは忘れず自分に言い聞かせている。だって、実らない想いになる確率の方がずっと高い。
想うだけで自己満足な恋だと割り切っている。

でも彼女が今日、こんなに息を乱すまで我武者羅に走ったその理由。それが俺なら、俺は彼女にとってどんな意味があるんだろう。

その先を知りたいけれど、

俺は怖い。


「良かった。」
彼女が苦そうに笑う。一度大きく深呼吸して、そしてそのままドアの付近に塞ぎこむ。

ねぇ、

「思ったより元気そう。」

怖いんだ。










これ以上好きになったらもう忘れられなくなりそうなくらい好きな君に、

理由も分からないまま訪れたスランプでミスをするコートの俺を

誰よりも近くに立つ君に、見られるのが怖くて、

テニスのできない姿を見せるのが、怖くて、




俺は怖くて堪らない。