「・・・そうゆうわけで手を出したらただじゃおかないから」
いつもならガヤガヤと校内中が賑わう昼食の時間。2年F組のある階が、今日はやけに静まり返っていた。この教室にいては他のフロアの状況は伺えないが、十中八九この階と同じような静寂に襲われているだろう。その原因は、放送委員会による男子テニス部部長へのライブインタビュー。放送委員会女子委員にインタビューを迫られていた精市はその申し込みを今日まで頑なに断っていた。ただ単に面倒だったのだ。女子に絶大な人気を誇る彼の事、ミーハーな女子が多い放送委員に聞かれることがテニス関連のことではなく、個人的な事になるのは誰にでも予想できる。
しかし昨日になってインタビューに応じると言いだした。なぜ突然態度を180度変えたのか、部室で話を聞いていた俺達は頭を捻った。納得したのは現在のこの質問が放送委員によってなされた時。
『好きな人はいますか?』
『います。』
そう上機嫌で回答した部長が、一方的な片思いであることと、その相手をとても大切に思っていることを告げた。そして言う、『手を出したらただじゃおかないから』。
「その時は覚悟して下さいね。」
ずいぶん馬鹿正直に答えたものだと箸で弁当のおかずを摘み口に運ぶ。冷徹な声色にさぁ、っと冷気が漂う教室内。我が部長の発言には説得力があり、威圧感がある。スピーカー越しでこれだけの威力があるのだから、現在精市の表情を目の当たりにしている放送委員会の陣内麻紀はあまりの威圧感に凍りついているはずだ。
自分のせいで好意を抱く相手が赤の他人に理不尽な行為を受けているとすれば、どんな手を使ってでもそれを止めようと考える。放送委員会のインタビューを利用して『好きな女(に)手を出すな』と全校生徒に知らしめた我が部長は大胆で、同時に利口だ。中途半端に変な噂を立てられるより、告げてしまったほうが簡単なことは多くある。
「ただいまー、柳。」
「おかえり。明日から平和な日々が戻ってくるぞ。」
コーヒーの缶を3つ腕に抱き教室に戻ってきた彼女はさっきの幸村の発言をスピーカー越しに聞いていたのか、いなかったのか、軽く首を傾げて笑った。
「そうなの?それは嬉しいな。」
不意打ちだった告白と、全く知らなかった幸村の気持ちは、きっと彼が予想している以上に私を惑わせている。『付き合ってとは言わない』そう言っていた。ずっと片思いでいいということなのか、いつまでも期待を持たせてしまうなら、思い切り『ごめん、君は私にとってそうゆう存在じゃない。』そうはっきり言ったほうが彼のためだったのではないか。そんなことで、最近の私は頭がいっぱいだ。
「本当に植えたんだ。」
4限の古典で1時間をかけて討論した和歌は恋の詩。自分の心境や悩みを歌にした当時の人々が残した彼ら現代の私達に誰かを想うせつなさを教えてくれる。
『幸村もこの作者のような気持ちなのか。』
ふと心によぎった質問の答えを探しに、足を運んだ屋上庭園の一角はハーブ園になっていた。いつか私が好きだと言ったローズマリーが仲間入りしていた。他の花に比べると冴えない子。トゲトゲしくて、決して美しい植物とは言えない。なのに植えてくれたのは彼が私を想ってのことだったのだろうか。
やめよう。そんなのただの自惚れだ。
「今日は男子テニス部の部長、2年幸村精市君をお迎えしています。幸村君、今日はよろしくお願いします。」
昼食の校内放送だ。屋上のスピーカーから流れる声が麻紀ちゃんのものだと気付くのに時間はかからなかった。
「お願いします。」
続いて丁度今まさに想っていた相手の声が機械を通して耳に響く。屋上でお弁当箱を広げて談笑している女子達が静かになった。頬を赤く染め始めた子もいた。声だけで、人をここまで魅了できる幸村という子は、ただものじゃない。声なら柳のほうが良いのにな、心でそんなことを言ってみる。
放送部恒例の生徒インタビューは通常5分程度。今日はもう軽く10分を超えている。テニスの話から始まって、好きな食べ物だとか、行きたいデートスポットだとか。彼が答える度に声を上げる子やメモを取っている子、そんな彼女達の様子を眺めるのがとても楽しい。
「好きな人はいますか?」
「います。」
当たり前だ、と言わんばかりの即答。
驚くと同時に、身体がゴキンと一瞬硬直した。
『・・・名前はだすなよ。』
まさかと思うがあの子は外れたところがあるから、その失態がないとは言い切れない。心の中で幸村がこれ以上の災難を持ってこないように念じた。「相手のお名前は秘密ですか?」そんな麻紀ちゃんの質問に「秘密です。彼女は本人は知ってますけど。」クスリと笑う彼は唯我独尊。想い人がいると知るだけで傷つく女子が百といるとは露も知らないおぼっちゃまだ。
合掌。
名前を漏らさなかっただけでも上出来だよ、幸村。
気付かない間にローズマリーの葉を強く握っていて、独特の香りが指にしみついていた。
「ほら、やっぱりE組のあの子と別れてなかったんだよ。」
「え、あの2人は別れてるでしょ。もう新しい彼女できちゃったんじゃないのかなぁ。」
「残念、今度こそ告白しようと思ってたのに。」
「あんたじゃ無理だって!」
「うわーひどい!でもそうだよね、見てるだけで幸せな恋ってあるよね。」
「そうそう。2年A組の幸村君っていったら手の届かない別世界の人だから。」
各々の意見や見解を討論する女子の脇を通りすぎて、3階への階段を一歩一歩降りて行く。幸村は女子達にとって「神」的な存在のようだ。制服姿の普段のイメージから儚い王子様的人間なことは予想できたが、まさか「手の届かない別世界の人」とは。私にはそんな存在、神くらいしか見つからない。
「手を出したらただじゃおかないから、その時は覚悟して下さいね。」
冷徹にも、微笑んでいる様にも取れる曖昧な声音が背すじをなぞる。
静まり返っている昼休みの廊下、そこを行く私の足音が響いてしまいそうだった。
恋の秋