One for All









One for All



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「そんなわけないのにね。」
沈黙に耐えかねたのは彼女だった。

部員が出て行った教室、人が通らない廊下、2人だけの教室。さっきまで真田が立っていたの横に一人立つ俺。言葉を発しない俺の様子を見ていた彼女が机に手を突き、席を立ちあがる。

「無駄な話はやめて部活に行こう。」

横をすり抜け、教室を出ようとする彼女と、それに着いていこうと起こる風。このまま行かせたら、もう二度と自分の気持ちを告げる日なんて来ない。握る右手が嫌な汗を掻いていた。部活の事を考えれば、この気持ちは自分の中に封印しておくべきもので、公にするものじゃない。

だけど、

後悔しないだろうか。

何年か経って、こんな気持ちで悩んだこともあったなと思える日が来る時、俺は後悔しないで『現在』という過去を受け入れられるか。あの時告げればよかったんだと思うことはないか。

。」

風に乗る良い薫を捕まえようと、左手を伸ばし、細い腕を掴む。足を止め振り向いた彼女の薄い瞳が細められた。掴んだ腕、これからどんな行動に出るか考えもせずに反射的に握った手。
自分が一人の女の子にここまで踊らされるなんて考えもしなかった。相手の好意をすんなり受け入れて、自分なりに感情を返せばオールオーケーな絵理との付き合いは、今考えてみるととても楽で自由だった。だけど、は手ごわい。俺達を取り巻くテニスの環境も、簡単な恋愛は許してくれない。


そんな障害を理由に「はいそうですか。」と諦めきれるほど、彼女に対する気持ちが軽くないことは俺自身が一番良く分かってる。


「どうしたの?」

後戻りも、立ち止まることもしたくない。
俺は立海男子テニス部の部長で、彼女は女子テニス部の部長だから、部活に影響を及ぼし得る行為に出てはいけないと、感情を押し込めていた。だけどそんな葛藤に何倍も勝るほどに、彼女に対しての想いは募って、俺の部活に対する責任感をどんどん中途半端にしていく。

「怒らないで。」

グッと握った華奢な腕を自分の方に引くと、彼女の身体がこちらに向かって倒れ込む。強引と言えば強引な行為、こうでもしないとこの子は捕まえさせてくれない。
流れるように揺れる髪を胸に納めて、顔を柔らかい長い髪に埋めた。
彼女の身体をきつく抱く自分の腕が微かに震えている。

「好きだ。」

数十秒の沈黙。

硬直しきって反応のないを解放した時の彼女の驚いた顔と言ったらヒドくて、こちらが笑わされた。

















思考が停止するとは正にこのこと。緩められた腕の中に未だ居る私。どれだけ時間が経ったか分からない。『好きだ』この一言を理解しようと、体内を彷徨っていたブドウ糖が全て脳に送られる。

『好きだ』

何度も何度もいろんな人に言われた言葉なのに。辞書に載っているこの一言の意味は知っているのに。幸村が言うと全く違う一言に聞こえた。

そおっと覗き込むように私の表情を伺う幸村は笑って、それでも動かない私を見て今度は大笑いを始めた。

「顎外れそうな顔してる。驚き過ぎだよ。」

これが驚かずにいられるか。そしてさらに笑いだす彼に思いっきり顔を顰める。
「私をからかって楽しんでるでしょ。」
「そうだね。君のそういう表情を見るのは楽しい。」
「やっぱり遊んで−」

「でも、好きっていうのは本当。」

最後まで言わせてくれない。笑いを治めてまた、真剣な表情に戻す彼。そして事が拗れる前にすかさず再度告げられたその言葉の強さに、身体がまた硬直を繰り返す。

「お互いの立場を考えれば、言うべきじゃなかった。俺の気持ちに1%も気付いてない君にこんなことを唐突に告げて、関係がギクシャクしないとも限らないからね。」

「人を鈍感みたいに言わないで。」

「じゃぁ1%でも俺が君を好きだってこと考えたことあった?」
「・・・ありませんでした。」

率直な否定。彼女らしいと言えば彼女らしい。素直すぎて、「ああ、やっぱり。そうだよね。」既に諦めをつけているはずの恋心が少しチクリとする。今日、好きだと言わなかったらこの子は一生俺の感情に気付かなかった。一方的な告白で、気付いてもらえただけでも意味のあることだったと思いたい。

うーんとか、ふうーとか何かを真剣に悩み出したの頭に手を置いて、摩る。目をグルグル回して考え事をするそんな様子が可愛くて、また小さな笑みが起きた。笑おうと思っての笑みじゃないんだ。この子を見ていると、自然に表情が緩むだけ。

「悩まなくていい。伝えたかっただけだから、付き合ってとも言わない。」
「・・・自己満足。」
「そうだね。それ以外の何でもない。」

気付いてほしかった。
それ以上のことは望まないから、この感情の行き先を見つけたかった。



そして、あと一つ。

大雨の雲が過ぎ去って、夕焼けの赤が紫と混じり合う。教室から見る空に星が舞い始める。秋の空は穏やかで良い。



「俺は君にとって少しはカッコいい男性になれたのかな。」



『好きな人に好きって言える人はカッコいいよ。』いつかに言われた仁王の様に、俺も少しカッコよくなれたのだろうか。

「そうだったらいいな。」

空に投げるように放たれた言葉と、清々しい解放感の中で小さな驚きを見せる大好きな彼女に、手を差し出す。

「帰ろうか。」
「・・・はい。」


そして今日もまた、友達として手を繋ぐ。
彼女の計らいか、それともそれが素なのか。手を繋いだ後の俺達の雰囲気と言ったら、今までと何も変わらなくてそれが嬉しい半面、可笑しかった。いつものように手を握ってテニスの話をして、部活の話をして、テレビ番組の話をして、趣味について語り合う。ギクシャクなんて言葉、どこにも見当たらなかった。





そして完全な夜が訪れた空に想うんだ。


今日の告白を後悔する日なんて絶対来ない、って。




















一区切りです。