1学期から自分の周りで不穏なことが続いていた。
女子生徒に呼び出され始めたのが最初のステップ。最初は幸村の前彼女、絵里ちゃんがらみのことが多かった。『絵里が可哀想』だとか『人の彼氏に目つけるなんて最低』とか。それが1学期の後半から変ってきた。以降彼女達が必ずと言っていいほど口にする言葉がある。『幸村』そして『離れてよ』または『別れてよ』。
彼女達はようやく幸村と絵里ちゃんがとっくに破局したことを認識したようだ。馬鹿馬鹿しいと思っていた。離れろ?さほど近づいてもいないのに何が離れろ、だ。別れて?この言葉に関しては意味が不明だった。
その意味不明だった言葉の意味が6月、正確には14日の午後12時43分に分かった。
『あんたみたいな子が何で幸村君と付き合ってるのよ!?』
そう吐き捨てるように怒って立ち去った3年の先輩に置いていかれ、呆然と立ちすくんだ2号棟、3階。初めて聞いた『幸村と付き合っている』という一言。神経系シナプスが繋がった。以前から玲に「は鈍感なところがあるわ。」と言われていた。それが事実だと私はこの時確認するに至ったのだ。
ステップの第二段階が始まったのは期末試験期間に入る少し前。物がなくなる。数学のノートがなくなった。家に忘れたのかと思い自室を探したけれど見つからない。次の日学校に登校して、置き勉したはずの古典の教科書がないのに気づいて盗られたことを認識。イジメの法則と傾向は一般の病気と同じで進行具合と段階が決まっている。月ヶ丘の時とほぼ同じように物事が加速している。このまま続けば次に来るのが何なのか予測できた。
『幸村と付き合っている』
見に覚えのないことを理由に、一法的に虐められるのはどんなにお人よしでもいささか腹が立つ。幸村とは部活やその関係以外では特に一緒にいるわけでもないし、無駄話もしない相手。なのに付き合っているなんてデマカセ一体どこから立つのだろう。
幸村本人に噂の元凶について何か知っているか聞きに行こうと思っていた、その矢先。
朝練から春希と一緒に教室へ向かう下駄箱。上履きに手を掛けてそのペアを手前に引いた瞬間に走ったピリッとした痛みに動作が止んだ。箱の中でゆっくり上履きを手放す。人差し指から薬指まで一直線に引かれている線から、血が出てきた。目を細め、ネガティブに「懐かしいな」と心の中で一言。カッターの刃か。
「?」
5列離れたところで春希かこちらを見ている。「おはよう。」「おはよー。」学生の声が賑わう空間で私と下駄箱間の空気が止まる。
「春希、私ちょっと真田に用があるんだった。先に教室行ってて?」
「ああ、分かった。」
「まったく。」
被害は増すばかりだ。
女の子は、いつでも綺麗になりたくて少しでもカッコよくなりたくて努力をする。その努力が始まるのは、ちょうど今の私達の年齢。
「目、開けて。」
自分のことで精一杯の子供が、周りのことに目を向けられるようになって、他人を知って、その中の一人に恋をしたかと思ったら、他の一人にはライバル視をしたりする。大人への階段を一歩一歩登っていく。
「マスカラつけるからちょっと動かないでね。」
綺麗になりたい、そう思わない女の子は多分いない。肌の手入れだとか、化粧だとかをし始める。男の子と違う特徴だ。
そのうち男の子は筋肉トレーニングをしてマッチョになるんだとか、今までお母さんにコーディネートしてもらった服装を自分で選ぶようになるけれど、女子に比べたら始まりは少し遅い。
「魔女が、春希お姫様に魔法をかけました。」
だから、女の子の「進化」はまだ理解できないのかもしれない。女の子が秘めている可能性をここにいる男子はまだ知らない。
「「「「「「・・・・・・誰?」」」」」」
「・・・やっぱり落とす。」
「こらこら。」
家庭科クラブの先輩達が、テニス部が頼んだ劇の衣装の試作版を持ってきてくれた女子の部室で、役を担当する部員が試作版とは言うがとてもできの素敵な衣装に腕を通していた。これで試作版じゃ本番衣装はどんなにすごいのだろう。お金のある部活は、やっぱりやることも派手だ。
せっかく衣装を着たんだからウイッグもセットしよう。そうわざわざ家から持ってきた兄さんのウイッグ、化粧ボックスそれに春希を連れて消えた部室奥。途中で様子を見に来た柚子と由里亜が私の手にかかる春希を見てガッツポーズした。
「女って・・・こんなに変るのかよ。」
ジャッカルが放心状態のブン太を揺さぶる。ブン太は森を散歩するウサギ役。着ぬいぐるみのバニーイヤーがフラフラと泳いでいる。
「夢だ。これは何かの夢だ。」
バンッ!
頭をロッカーにぶつけて夢を覚まそうとするブン太。その夢は覚めない。もう一度、同じ場所に立つ春希を見て今度は手で顔を覆った。
「き、きれー!!!春希!ビューティフル!!!!!!」
「本当に!ベリーショートも素敵ですが春希さんは長い髪もいいですね!」
ねー、とはしゃぐ琴音と麻紀ちゃんは手を取り合って喜びを爆発させている。
「すごいな。」
笑いかけてきた柳にグッと親指を立てて微笑み返す。その奥で春希の相手、幸村王子もじっと彼女を見ていた。信じられない、と言いたげに。
「春希は元から大人っぽいから効果も人一倍かな。柳生君の感想はどう?」
「・・・っ。」
真ん丸な目で私を見た春希に気づかない振りをして、話を振った柳生君を見る。彼は一度、春希を見てフッと息を漏らし眼鏡を外す。眼鏡の下に隠された優しい目が一心に彼女を捕らえている。
「とても・・・よくお似合いです。」
私は満足だ。大満足。
「幸村、君もおいで。髪やってあげる。」
「いいよ俺は。」
「いいから、来い。」
無理やり拉致した王子の髪を緩いワックスでまとめた。指が通る髪は男の子の髪だった。硬い、でも男の子にしては軟らかいほうなんだろう。兄さんの髪質に似ている。
「髪少し後ろにまとめただけで印象が変わるね。」
幸村の正面で少し前髪を弄ってみる。横に流れる前髪が彼を更に変えていく。
「・・・何?」
幸村と視線が重なった。何でもないよと首を横に振って、止めていた指を再度動かす。少し、彼を凝視していた。綺麗な男の子だ、なんて考えていた。
「化粧もしてみる?」
「それは勘弁してくれ。そういう君は魔女のメイクしないのかい?」
「そうだねぇ。魔女用のウイッグも持ってきたからせっかくだししようかな。はい、これで終わり。」
肩を叩いてもう行っていいよと言うと幸村が立ち上がる。同じ目線になって、ありがとうと言った彼がみんなのいるところへ戻っていく。
その背中に目を細め、手を広げる。今朝つけた切り傷が赤い。春希に勘潜られると絆創膏をつけなかった傷が軽い炎症を起こしていた。
『あんたみたいな子が何で幸村君と付き合ってるのよ!?』
「・・・早く君の本当のお姫様を見つけられるといいね。」
もういなくなった彼に投げかけた言葉が地面に落下する前に、前方から投げられた女子の叫び声に掻き消された。
「精市君は普段からかっこいいけど!!けど!!ええええええええ!!??」
「俺もうやだ。変るのは女だけじゃないのかよ。」
奥まで聞えてきたみんなの声に笑いが起きる。
「さん、衣装どう?」
騒ぎが落ち着いた頃、前から顔を覗かせた先輩に着用した衣装を万歳して見せた。始めて腕を通した魔女の衣装は少し大きめで、本番までにはつめて貰う必要があった。
「姫は眠りについた。これで、すべてが私のもの。」
メイク終えて、ちょっと本気で魔女の台詞を言いながら開けた前方の扉。
注がれた無数の瞳達が大きく開かれて、そのまま停止。瞬きがない。だらしなく顎を落下させ、口を開けている茉莉亜とキリハラ君。泣きそうな顔でこちらを見ている麻紀ちゃんとリコちゃん。げぇ!!ってポーズで凍りついているブン太、ジャッカル、それに仁王。
手の甲で口を覆って動かない王子様がいちばんギョッとした表情をしていた。
「え、似合わなかった?」
「「「「「・・・・。」」」」」
「放っておきな。すっごい似合ってるよ。」
奈々だけが笑っている。
「ただいま帰りましー・・・。」
ガシャン。
ちょうど買い出しから帰って来た愛美ちゃんが、スーパーの袋を思い切り落っことした。
文化の秋