キーンコーンカーンコーン
英語の授業が終わった休み時間、柳が私の机まで出向いて来た。
辺りを見回して「細野はいないな。」そう確認した柳が前の席に腰かける。
「春希はA組に。劇の事で幸村のところに行ってるよ。」
「・・・あの2人を2人にして大丈夫なのか?」
「はは。大丈夫じゃないよね。巻き込まれそうだから着いて行かなかったんだよ。」
修羅場に私が身を置く必要は何もない。春希の『王女様嫌だ病』は介抱に向かっているが、治っていない。相手役の幸村に何か一言言わないと気が済まないんだろう。それで彼女が王女様をやってくれるならA組が2人の修羅場に凍りついてもオールOK。何より私がいなくても万が一の時は同じA組の柳生君が何とかしてくれる。
「再来週の関東中高生テニス交流会だが。」
手にはノートを持っている。ああ、そういえば全国大会と海原祭の準備ですっかり忘れてた。
「水上・幸村ペア、石井・柳生ペアそれに細野・丸井ペアが先週から極秘で練習しているという情報を入手した。」
「うーわー、みんなして何その抜け駆け。」
「俺達も始めるか?」
「そうだね。部活の後、隣町のコート借りてやろうか。練習相手は・・・付き合ってくれそうなペアがいる。」
「分かった。週2で予約しておこう。」
週2という柳の言葉を聞いて、頬が緩んだ。柳を選んだ私の選択は、正しかった。
「勝つためだけの練習はいらないだろう。週2で充分だ。」
幸村は、勝つためだけに練習している。断言できる。どんな草試合でも、彼に負けという言葉は皆無。ペアの柚子は大丈夫だろうか。散々振り回されて、幸村テニスの餌食になっていないだろうか。
テニス交流会、楽しむことを知っている人間にとってはいろんな人達と交流を深め、普段の張りつめたテニスから気を抜くいい機会。勝つことしか考えていない人間にとっては遊びにもならない低いハードル。そんなハードルに時間を割くなんて、幸村の割には妥協したものだ。
「、その付き合ってくれそうなペアとは?」
「氷帝の跡部・小池ペア。」
「跡部は東條と組まなかったのか。」
柳は情報屋だけれど、自分にとってどうでもいい情報は集めないらしい。意外だなと窓の外に目をやった。蝉の鳴き声に乗り、往く入道雲が広がる。
「組んでたんだけど、大喧嘩してペア解消だって。」
『仁王ってかっこいいね。』
『好きな子を好きって言える人はかっこいいよ。』
午後17時。水上さんと練習した帰り途、駅に向かい一人で歩いていた。夏休みに女子テニス部と集まった時、彼女が仁王に漏らした言葉が消えない。そして5月の球技祭で、を好きと人前で発言したF組の武藤宏樹。そして浜野さんを自分の大切な人間だと発言した仁王。この2人への憧れが、消えない。
好きな女性に好きと言うこと、それは勇気がいることだ。
勇気を出せば、俺にだってできる。彼女に・・・に好きだと言える。
武藤に心を動かされた時は、自分がそんな大胆なことを言えるか分からなかった。俺はいつも受け身、告白される側の人間だから、自分から言えるかなんて分からなかった。でも、できるという決断に達した。それは自分への自信に繋がって、俺なりにに近づけた気がする。彼女と手を握る行為も、部長会議で一緒に行く少し遠いあのカフェも、寝顔を見せることも、5月の時の俺では想像できなかったことだ。
でも、『好きと言える』その決断に達したところで、気がついた。問題は別のところで息づいていたんだ。それは俺の『自信』が生み出した産物、まさにそれ。
「近い存在になりすぎた。」
それは現在、友として。そして何より部長として。
何でも言い合えるようになってしまった。お互いを支え合う存在になってしまった。共にテニス部を築く存在になってしまった。
彼女に『告白』をしたとして、2人の間の何かが変わってしまったら
俺達の部活が崩れてしまう。
「セッチーだ。」
いつもより重く感じるラケットバックを大通りの花壇に一度下ろしていたら、向かいから歩いてきた男性に声を掛けられて顔を上げた。
『ユッキー』
去年、水上さんと同じクラスだった時、彼女が発案した呼び名。この前、この呼び名の進化系を考え出した人物が一人。それはバイキングでの出来事。
『何て呼ぼうかなー。カトは何て呼んでる?』
『幸村。』
『まぁ。それはつまんないわぁ。た・い・く・つ。』
『気持ち悪いから普通に話して。』
『ユッキー、丸井がカッパ巻き持ってきてだって。』
『ユッキー・・・。それいい!!!下の名前はセイイチ君だっけ?私はセッチーって呼ぶことにするわ!どうかしらカト!?』
『もう何でもいいんじゃない。』
「・・・桔梗さん、それは女装の時だけって約束ですよ。」
「あ、悪い。そうだったね。」
高そうなスーツに黒い鞄を持った人の風貌は、この前女装をしてオカマ言葉を話していた姿からは想像できない。長めの髪は綺麗に結われていて、胸元でネクタイピンが輝く。彼の周りの空気が、違う。
「お知り合いですか?」
彼の隣には同じようにグレーのスーツを着こなした男性が一人。2人とも背が高くて、見上げる首に負担がかかる。「幸村です。」そう知らないその人に挨拶をした。ニコリと笑う顔は優しい。
「滔滔砂(とうとうさ)凛です。桔梗と一緒に仕事をしています。」
「滔滔砂・・・。」
珍しい苗字に思わず声を出してしまった。桔梗さんが「面白い名前だろ?笑ってやって。」そう言う。笑うなんて事はしなかったけれど「珍しいですね。」その一言を告げると滔滔砂さんが頷いた。
「お二人とも仕事帰りですか?」
「いや、仕事はこれから。」
スッと二方かた差し出されたのは名刺。その小さな上質な紙には『MOON』という店の名前、桔梗さんの名刺には『No.1 月花』、滔滔砂さんの名刺には『No.2 霜月』の文字。
「仕事場でのホスト名だよ。」
薄々勘づいていはいたけれど、桔梗さんの口から直接職業を知らされることになった。
「今度週末に早起きしたらと遊びに来るといい。店仕舞いしたらよく凛と3人で朝食を取るんだ。」
「はい、是非。」
「凛、彼を駅まで送ってくる。先に行っててくれ。」
「了解。」
先を歩き出した滔滔砂さんの後ろ姿は、男の俺から見てもすごくカッコいい。
「凛は俺の仕事仲間で、同時に親友みたいな奴でね。プライベートの話もするんだ。」
「いい人ですね。」
「ああ。でも可愛い男の子には目がないから、狙われたら全力で拒否するんだよ?」
「・・・。と同じですか。」
「そ、女に興味なし。此処だけの話、女が相当嫌いだ。」
「女性が嫌いなのにホストを?」
「俺達は仕事で本性はさらさない。女が好きだって理由でこの仕事をしている奴はウチの店にはいないかな。そういうホストは女に潰されてしまう。」
彼が身を置いている世界は俺には理解できない処だ。
世間話や学校の話をしながら、数分で辿りついた駅の改札は循環線が止まっているらしく人で溢れかえっていた。
「精市君、俺がさっき言ったと凛が同じって言葉、撤回するよ。」
バイバイの手を振りながら桔梗さんが中に向かう俺を一度止める。振り向いたところに立つ彼は真面目な顔をしていた。
「カトレヤは月ヶ丘であった経験で男を『拒否』するようになった。嫌悪とは少し違う。恐怖心で避けるようになっただけだ。」
「あいつは凛のように異性に全く興味がないわけじゃない。」
ニヤリと口を引くこの男性は俺の問題を見透かしているようだった。
「男に興味ないって完璧に振舞ってるから君たちが気付かないのも無理はないけど、はレズじゃない。元カノの前に元カレもいた。バイだよ。」
がんばれよ。
喧騒に掻き消された最後の言葉、口の動きは「がんばれ。」確かにそう動いていた。
俺がに向ける気持ちに気付いている?情報提供者は、全国大会に来ていた優さんか。それとも勘か。
おそらく、後者。
「桔梗さんには叶わないな・・・。」
距離は近い、心も。葛藤だけが果てしなく積もる。