One for All









One for All



04







 新学期が始まり噂の転校生の話で持ちきりだった1週間が過ぎていった。最近、女子コートのフェンス外にギャラリーが多いのは間違いなく転校生である2人の影響だ。群がる人の中には教師陣の姿も見えた。
「月ヶ丘女子中学校にかつての同僚がいてね。さんのテニスは素晴らしいと聞いたんだ。」
数学の南先生は彼女のプレイしている姿を見に来ていたらしい。だが先生の期待を裏切って、はこの1週間コート上でラケットを手にしていない。
部活動の時間は限られている。筋力トレーニングや走り込みを部員と共に部員の観察をして一人一人にアドバイスするだけでの部活動時間は終わってしまうのだ。どこで自分自身の練習をしているのだろうか、ずっと不思議に思っていた。

「みんなが帰ってからね、コートでやってるよ。」
購買横の自動販売機で買ったコーヒーを開けては当たり前のように言った。名前ばかりの顧問に女子コート使用時間を正式に延長してもらったという。そういえば彼女は部室の鍵を琴音に渡されて、いつも部活後一人部室に残っている。「みんな、気をつけて帰ってね。」それが私達を帰路へ送り出すバイバイの挨拶。一人残って部誌をつけているんだろう、そう一人勝手に納得していた。

「一人で?相手がいなきゃ練習にならないだろう。」
「そんなことないよ。イメージトレーニングと素振り、壁打ちくらいなら一人で十分。」
「私も残りたい。練習はしてもしたりない。」
コートを長く使えるのなら、と私はに頼んだが「まだダメ。」そう即答された。
「春希、焦る気持ちは分かるけど許容以上の練習を積んでも成果はでないよ。今、部活の時間だけでも辛いでしょ?」
「…ああ。」
「もう少しみんなが慣れ始めたら一緒に長く残ろうね。」

がコーヒーの缶を廊下のゴミ箱に捨てたのを皮切りに教室に向かい歩き出す。購買で買ったパンを握り締める。早くこの子に近づきたい、そう焦る気持ちは当分止みそうにない。

「・・・春希。今日柳と英語の課題片付けてから部活に行くから30分くらい遅れる。琴音に伝えてもらえるかな?」
「ああ、分かった。」









2限数学の半ばから机に頭を埋め始め、今では3限の国語に入ったというのに、全く起きる様子を見せないクラスメイトを後ろの席から眺める。確かに太陽の光で暖かい教室内、寝てしまいたくなるのは分かるけれど、あれは寝すぎだ。
「麻紀ちゃんまた寝てる。」
クスクスと笑うと「笑い事じゃないですよ幸村君。学生の本分は勉強です。」と間髪いれず言う柳生。さすが生徒会、言っていることが正当すぎて否定要素はない。

「しかしまじめな陣内さんがこの数日は毎日のようにこの様子ですね。」
隣に座る柳生も前方の麻紀ちゃんに目を細めた。最前列でよくあれだけ堂々と寝られる勇気は男子もびっくりだ。国語の坂巻先生は手に持つチョークを震わせて、いよいよ起こしにかかろうと麻紀ちゃんに近づく。ああ、起こされるな。先生の手が麻紀ちゃんの机を叩こうとした瞬間、彼女は自分から目を覚ました。

「もう無理です!ちゃん!!!!」そう大声を上げて。

あまりの大音量に、クラスメイト全員が停止した。俺も柳生もびっくりした。先生はもっとびっくりしてた。彼女の叫び声もそうだけど、俺はその中にさんの名前が出てきたことに一番驚いた。自分が寝ていたことに気づいた彼女は目の前で硬直する坂巻先生の顔を見て「あ・・・。」と気まずい感嘆詞を発する。それをフォローするかのようにクラスメイトが笑い始めた。

「陣内、あとで職員室まできなさい、いいわね?」
先生は相変わらずチョークを震わせていた。


「睡魔の原因は疲労のようですね。そんなにキツイ練習をされているのでしょうか。」
「柳が女子の練習量はこの1週間男子並みだって言ってたよ。」
机に肘を突いてそんなことを言うと柳生は目を丸くした。

「あと2週間ってところだね。」
毎日同じ量の練習をすることで体はその負担に慣れる。辛いのは始めの3週間だ。今までとは比べ物にならない練習量を乗り切ることが手始めの目標らしい。筋が良いな、俺が彼女の立場でも同じことをしただろう。基礎体力なしには、どんなに技を身につけても発揮されずに終わってしまうことをあの子はよく分かっている。


「来週部長会議だっけ。」
すっかり忘れたいた予定が光線のように脳裏を横切った。今までは琴音ちゃんとたまにやっていた形ばかりの部長会議に今度からさんが来る。部費の会計書類の用意を真田に頼まないといけないな。次の休み時間時にその旨を伝えに真田のクラス2年E組まで行こう、そう決めた。
なんて、実はそれはついで。本当は真田と同じクラスの絵理に会いたいだけなのだけれど。








「真田、部費の会計報告書今週中に用意できるかい?」
「ああ、来週は部長会議だったな。やっておこう。」
「ありがとう、助かるよ。」
E組に来て早々に用事を済ませ、そのまま絵理の席まで足を進める。近寄る俺に気付いた絵理は手を振って椅子から立ち上がった。

「精市君、こっちのクラスまで来るなんて珍しい。」
「ちょっと真田に用があってね。」
「じゃ、絵理はついでってわけですか。」
ふーん、とわざと拗ねた顔をする絵理が可愛くて、腕を伸ばしたくなる衝動を何とか抑えた。引き寄せたいのは山々だけど、さすがにこれだけ大人数の前でイチャつく勇気はない。風紀委員の真田から裏手も飛んできそうだし。


「ほら、見て!さんと細野さんだよ!」
教室内でも廊下側にいる女子生徒達が、テニス部部員の名前を呼んで廊下に身を乗り出し始めた。俺が立っているところから名指しされた2人が廊下を行くのが見えた。そして、数秒後には奇声だ。

さーん!」「2人ともかっこいいー!」「惚れる!本当!!」
そんな歓喜余る言葉が次々と飛んでくる。バシバシ机を叩き始めた女子もいた。男子が女子に「可愛い。」って言うなら分かるけど、女が女に「かっこいい。」ってどうなんだろう。聞いたことなかった。

「すごい人気なんだよ、さん。男子にもそうだけど女子もかなりお熱みたい。特に細野さんと並ぶと女なんだけど別格って感じ。」
「この階はいつもこうなの?」
「そっか、幸村君のクラスの階には転校生いないもんね。隣のクラスに来たさんとH組の浜野さんが廊下通るたびにこうだよ。それでもこの2日で大分落ち着いたかな。昨日E組とF組の合同体育があってね、さんすごく運動神経いいの!私びっくりしちゃった。」

今こうやってさんの話を俺にして興奮している絵理。俺がいないところで他の女子と一緒にさんのこと「かっこいい。」って叫んでいるのかもしれない。妬けるな。ライバルが女の子だなんて、考えたこともなかった。

「度胸もある子だよ。テニス部男女合同でさんと浜野さんの歓迎会をしたとき、さんあの真田にセーラームー○の主題歌を歌わせたんだ。」
自分の名前に反応して、ものすごい形相で俺と絵理の方に顔を向けた真田。その顔は真っ赤になっていた。
歓迎会でさんがセーラームー○の曲を入れたことはみんな知っていて、イントロが流れ始めると丸井が彼女にマイクを廻した。渡されたマイクは彼女からそのまま無言で真田に渡され『!俺は唄わんぞ!』と声を上げる真田とさんのやり取りに一同が談笑を止め注目していた。

『弦一郎君?』
いつもは「真田」と呼ぶ彼女が突如、ニッコリと見せた表情に真田は凍りついていた。そしてマイクのスイッチを入れ本当に唄い始めたんだ。ヤケクソだったけど。
『すごいのう。あの真田を手玉に取るとは。』
仁王の言葉に誰もが頷いた。後で聞いた話、さんは真田の秘密を握っているらしい。それをバラされたくない一心で頑張る真田は可愛くも哀れだ。


「わぁ、すごいさん!精市君、これからもさんの情報あったら教えてね!」
目を輝かせてお願いっ、と頼む彼女を見て今最大の恋敵がという女の子であることを今、確信した。


















午後になって降り出した雨に帰りのホームルームでクラス中の人間が文句を言っている。新学期が始まったばかりで置きをしている生徒は珍しく、ホームルームが解散されると昇降口から校門に向かってダッシュで走り出す生徒がクラスのベランダから多く見られた。

誰もいなくなったクラスで、柳と私はベランダに立っている。雨が当たらないギリギリの位置でこうしてグラウンドと、雨とどんよりした雲を眺めている私達を他の部員が見たら「何してるの?」と笑うだろう。
英語の課題を終わらせるから部活に遅れると、二人で一緒についた嘘。男子テニス部部長の幸村君に見つかり「さぼりだよね。」なんて言われたら否定はできない。

4月の雨はまだ冷たく、体温を奪っていく。

「柳には話してしまおうと思ってね。」

琴音が言っていた。柳蓮二はデータ収集家で、それはテニスだけに留まらない、と。私のこともある程度は知っているのだろう。プロフィール、家族構成、そして月ヶ丘女子大学付属中等部であったことも一部はバレていると思っていい。
変に探りを入れられるより話してしまおう、そう思った。だけど誰もいない環境を作るのは難しかった。部活動時間になると信じられない程生徒が近寄らなくなる教室を利用しようと考えた。今日2人でついた嘘は最終手段だ。

「君は調べるだろうから。」
寒い。身震いをして「中で話そう。」と戸を引いた。データノートを取り出して、一呼吸置いた柳は今まで調べた私の全ての情報を語り始めた。間違った記述はなく、私は黙って読み上げられていくそれを聞いていた。数分、話し続け一度合間を置いた。

「月ヶ丘女子から立海に転校してきた理由がイジメであるという話は聞いている。」

いつも以上に目を開いている柳は無機質な声で言う。窓の外で水滴がぴちゃん、ぴちゃんと音を立てベランダに落下する。

「そう、いじめが原因。ピークの時に街で琴音に会って、話したら立海に来ないかって誘われた。」
私は一度背中をそらせて天井を仰いだ。少し目を瞑って、ゆっくり息をした。瞼を開ける、そこには柳がいて、相変わらず雨が降っていた。
「じゃぁ、ここからは私の話。」











柳がと共に英語の課題を済ませてから部活に顔を見せると幸村が部活開始前レギュラーに連絡した。誰もその話を疑う者はいない。だが、俺はあいつらが英語ではない他の話をしているであろうことが手に取るように分かった。部活開始からすでに一時間。雨天のため屋内の練習場で男女コートをわけ練習しているが女子の方にもまだの姿は見えていない。のいないコートでは琴音が支持を出しながら頻りに時間を気にしていた。

ガラガラ。練習場のドアが開くとダウンし床に寝転がっていた丸井が飛び起きた。
「柳がやっと来たぜい!」
開かれたドアに目を向けたが、そこに男子テニス部の目的の人物はいなかった。ラケットバックを部室に取りに行ったのか、少し肩が濡れているの姿だけがあった。は、幸村のところまで歩いて何かを伝えていた。大方、柳を拘束した詫びか何かだ。幸村が「気にしないで。」と言う声が聞こえた。するとは俺に視線をぶつけてきた。「大丈夫だよ。」そう口だけを動かして俺に言ったのだ。

ちゃぁーん!!!」
彼女の姿を発見した陣内が、抱きつきに駆け寄る。その小さな身体を軽々と持ち上げ抱きかかえたは「お待たせ。」と集まるメンバーに笑っている。良かった、ふっと胸から空気が漏れた。自分の過去を柳に話すことで、の心が病むことを気にしたが、それはどうやらいらぬ心配だったようだ。










『話はこれだけ。私はもう行く。』

10分前にこの教室を出て行ったが、俺に語り聞かせた話が脳内に停滞している。
内容をデータノートに書き込むべきか、俺はずっと広げられたノートに目を落としていた。
確かに、が自分から話さなければ俺は彼女のことを徹底的に調べただろう。

そろそろ調査を始めるか、そう思った矢先に「今日、英語の課題放課後にやろう。」と話しかけてきた。 俺達が授業で組んだプレゼンテーションの準備は授業中に全て済ませたはず。じっと、数秒の目を見ていた。その眼光は鋭かった。隣に立つ細野に聞かれたくない話なのだろう、そう予想して「ああ、分かった。」と答えを返した。

この学校はほとんどの生徒が特定の部活動に所属しているため、部活時間の教室に人が残っていることはほとんどない。はそれに気付いてその時間を利用した。

話された内容は、予想以上に重かった。

から話してくれたことは救いだったかもしれない。自分で調べてこの事実を知ったら身動きが取れなくなっていただろう。

持っていたペンを机に置き、ノートを閉じる。
これは、文章に残すべき内容ではない。
ラケットバックを背負い、教室の電気を消す。廊下の窓から見える中庭は、厚い雲のせいで冬のように真っ暗だ。

「桜に影響がないといいな。」
開花が遅れている中庭の桜の木に目を細め、誰もいない廊下を歩きだす。






一段と音が大きくなった天井に叩きつける雨の音。

春の冷たい雨は止む素振りを見せなかった。











いいなぁ、柳さん大好きです。