One for All









One for All



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全国大会が終わった安心感と開放感の中で泥にまみれたような感情が停滞していて、頭の中身が圧力に押しつぶされそうだった。私の選択は正しかったのか、『棄権』という判断が最善のものだったのか。そんな事後に言っても仕方のない話を自分に語りかけていた。

どんな言い訳を並べても、琴音が抱いていた優勝の希望を絶ってしまったのが自分であることは変わらない。試合中右足にかかった負担のせいで前十字靭が強力を失っていたのが簡易テストで分かって棄権させた。試合したいというプレイヤー本人の希望を無視して、ベンチコーチという職権で強制的に試合を終わらせた。私が琴音の立場だったら、やっぱり何がなんでも続けたいと言ったはず。だから、自分以外の人間に試合を終わらせられるなんて冗談じゃないと思うだろう。

「断裂」は免れたものの、運ばれた病院で2ヶ月の絶対安静と週三回のリハビリを処方された琴音は『私達にはまだ来年がありますよ。』そう真田の隣で微笑んでいた。




続けていたら決勝に進んでいたかもしれない。

琴音を泣かせずに済んだかもしれない。


準決勝のシングルス1の試合直前、マネージャーにポカリを浴びせられた。部長(私)が落ち込んでいる顔を見せちゃいけないと、愛美ちゃんが諭してくれた。あの時、みんなに見せた笑顔が空回りしていなかったといい。そんなことを考えながら、一人旅館を出た。他のみんなは保護者とカラオケや外食に行っている子もいて、丁度露天風呂から帰ってきた春希と奈々だけが『気をつけて行ってきなね。』そう声をかけてくれた。
『一人がいいだろうから、着いていくのはやめるよ。幸村によろしく。』
2人とも鋭い子だから私が悩んでいること、きっとバレてた。

ポーンポーンと誰もいない路地で空き缶を蹴飛ばして、ふと立ち止まる。コロコロ、転がる空き缶が電柱に止められて鳴るのをやめた。ニャー、と白い猫が垣根から現れて私を見た。
「にゃー。」と声を出し交流を図ってみると、私を馬鹿にしたように目を細めた白猫。尻尾を立て、お尻をこちらに向けてモデルのように歩き消えていく。

『追いかけて来いよ。』

その白猫の姿に、なぜか槙野先輩の声が重なった。

『にゃぁぁぁ!』

角を曲がるとき、白猫がこちらを振り返る。
威嚇するような鳴き声が、まるで「立ち止まるな」と言われているようだった。











『俺なら続けさせてた。』

運動公園のベンチに掛けて、見上げる空は月が綺麗だった。明るすぎるそれが、周りの星の輝きを掻き消していた。昼間は全国大会の会場として賑わう其処が、静か過ぎて可笑しかった。幸村が口にした『部長としての判断』は予想していたものだった。いや、予想なんて甘い中途半端な憶測ではなくて、確信的な。99.9%の確立で彼の決断は『続行』だって分かっていた。

幸村と私は正反対だから。

私が棄権を取るなら、彼は続行だ。

『たとえばそれが柳で、続ければ選手生命が危なくなると分かってても続けさせてた?』
『ああ。』
『そっか。』

躊躇わず言うところが幸村らしい。「そんなのおかしいよ。」って批難はしなかった。時間の無駄遣いだ。向き合っても和解なんて見えない。幸村精市という人間とある程度の距離をとって人間関係を築くのは難しいことじゃない。普段の彼はぼうっとしていることも多いし、驚くほど穏やかだから他人を否定して自分の意見を押し通すことは絶対にない。

私達は部長同士だから、意見を押し付け合っている。私と彼の距離は近すぎるのだ。
今までにも胸倉を掴んでふっ飛ばしてやろうかと思ったこともあるし、幸村も私を蹴り飛ばしたいって衝動にかられたことくらいあるはずだ。


『相談する相手が間違ってないかい?俺は君のスタイルを是正できる人間じゃない。部活のあり方なんてまさにね。』

こんな口調でそんなこと、彼はそこら辺の子達に絶対言わない。やんわり丸く「俺よりも、分かってくれる人がいるんじゃないかな?」そんなニュアンスのほうが普段の彼からは想像がつく。

『知ってるよ。別に、「君の選択は間違ってない」なんて言葉が幸村から聞きたくて相談してるわけじゃない。』

眉を寄せた彼が、買ってきた紅茶のボトルを開けた。この紅茶は私が支払った相談料だ。
2人の距離が近すぎるから、一線を引かなくても何でも言い合える幸村の相手に私はなってしまった。もちろん、私にとっての彼も同じように。

『・・・俺にどうしてほしいの。』
『分かんない。』

即答すると、幸村は口元を軽く引き攣らせて額に手を当て俯いた。私は、ベンチから足を投げ出して腕組み。これほど自分が意味の分からない人間だと思ったことはない。自分でもそう思うんだから彼にとっては私の思考、行動全てが意味不明なはずだ。何で幸村にわざわざ会いに来てまでこの話をしたのだろうか。そもそも何で誰かに話そうと思ったのだろう。是正なんて誰からも望んでない、それは本当なのに。

『考えてみる。時間頂戴。』

頷いた幸村を確認して30分黙って考えた。立ち上がってフラフラ動いてみたり、ドカッと座りなおしてみたりを繰り返した。自分の世界に入った私に幸村は退屈したことだろう。そのうち目を閉じて、瞑想し始めた。寝ていないことは目を瞑った表情からも伺える。明日の男子決勝のイメージトレーニングをしていたのだと思う。彼が目を開けるのを待ったら更に30分が経過していた。

「で、答えは出た?」

ジッと私の目を見る幸村の視線が強かった。逸らしてしまいたくなるくらい、自分の中の何かを見られている、そんな感覚に陥る。グッと堪えて、視線をぶつけ続ける。でも数秒も経たないうちに力と、溜め込んでいた息を肺から抜いた。

誰かに私の判断を否定してもらいたかったのかもしれない。
180度違う視点に立つ人間に批難してもらいたかったのかもしれない。
残酷であれ、と諭されたかったのかもしれない。
それとも、心のどこかで幸村から是正の言葉を聞けるかもしれないって希望に近い考えがあったのかもしれない。この内どれが、私を今日この公園まで動かす原因になったのかはやっぱり分からない。

一つだけ、確かなこと。

それは私が今、この公園に彼と一緒にいる理由。


『幸村に会いたかったのかな。』

急に吹いた夏の夜風が肌寒くて、立ち上がった。彼に背を向ける形で初めて口にした『会いたかった』という自分の一言が歯痒くて苦笑する。男に会いたかったなんて父さん以外に言ったことない。

『それだけだったのかも。決勝前に呼び出して悪かったね。』

そう振り向くと硬直している彼が目を大きくして私を見ていた。その瞳に宿っていた月の光が神秘的で、吸い込まれるかのように視続けた。彼の反応があるまで、感じていたその瞳の輝きをできればずっと忘れたくないと思った。



























「2連覇だぁぁぁ!!!」

歓喜する男子テニス部の平テニス部員達、同じように喜ぶ女子テニス部員。学校の先生達や保護者の中には涙を流している人もいた。最終試合を飾った幸村の元に駆け寄るレギュラー達はその全員が微笑みを浮かべている。肩を叩き合うその姿に去年、優勝した時の自分を重ねてみる。槙野先輩の下でテニスをするということは、負けが許されないということ。決勝戦シングルス1の試合でコートに足を踏み入れたその時から自分が試合で勝つことは分かっていた。負けがないんじゃ勝ちしかないじゃないか。

試合が終わった瞬間、喜びはなかった。勝った、試合が終わった。それだけだった。ラケットを下ろして周りを見渡すと、立ち上がって沸き返る観客がいて、シャッターを切るカメラマンや記者がいて、月ヶ丘優勝のアナウンスがスピーカーから流れている。走ってきた玲と奈々がすごく幸せそうな顔をして私に抱きついて。ベンチコーチだった槙野先輩が加藤先輩とゆっくりコートに入ってきた。

、おつかれさん。』

槙野先輩に初めて掛けられた労いの言葉だった。

その瞬間、初めて優勝したんだって実感が沸いた。

『槙野先輩でもそーゆう事言うんですねぇ。』
『最後くらいいいだろうが。』
『わー。照れてる。』
『浜野、あんまりからかうとツグミがキレる。』

、東條。』
『『はいっ!!』』


『私をいつか抜くんだろ?』
やれるもんならやってみろ、そんな言葉を表情として顔に貼り付けていた先輩はやっぱり自信家。

『追いかけて来いよ。』

蘇る思い出は今も鮮明だ。






「・・・おめでとう。」

当時沢山の人に掛けられた一言を彼らに送った。

「おめでとう。」

そしてもう一度。













「クーラーって素晴らしいですね。」
「本当、ユッキー様様だね。」
「丸井ー!ポッキーちょうだい。」

男子の全国大会が終了すると表彰式や記念写真の撮影が実行委員会によって執り行われた。その後幸村はスポーツ誌の取材に、私はわざわざ神奈川からやってきた地元新聞の取材に応じたりとバタバタと数時間が一瞬で過ぎ去っていった。
一段落してレギュラー全員を連れ後にした会場横では、すでに帰りのバスと愛想のいい運転手が男子テニス部員を待っていた。女子は優勝した男子の帰路への出発を見送ってから、また電車を何度も乗り継ぎ神奈川まで帰る予定だった。ここで男子テニス部から女子テニス部へサプライズが用意されていたことを、私は何も知らなかった。

『何してるんだ。さっさと乗らんか。』
男子レギュラーの最後尾に着き、足をステップへかけた真田が振り返り私達に掛けた言葉に、目が点になったマリア、それに私と・・・いや、女子全員。

『幸村の計らいだ。レギュラー以外の者は長妻先生に引率され全員電車ですでに帰路についている。』
早く乗れ、そうバスの中へ消えていった真田に、窓を開け『神奈川まで遠足だぜ!』と身を乗り出す丸井。

『いいんすかぁぁぁ!?男子の部長太っ腹!!』
『・・・これで帰りは迷わずに済む!!』
『わーい!!クーラーだぁ!!』

バーンバーンとラケットケースとボストンバックやキャリーケースをバスのトランクに投げ込み、立海大付属中学校の校歌を口ずさみながら車内に乗り込んでいくみんなの背中。嬉しそうな彼女達の様子を見て、やっぱり来年は女子もバス出してもらおうと心に決めた。一番最後にトランクに入れたのは私の荷物。持ってきた旅行用のバックに、大会の記念品に、知らない人からプレゼントされた物がつめられた大型バック。旅行バックの中から、両手で持てるだけのお菓子を取り出して、腰を上げた。

『閉めるよ。』
『あ、うん。』

重いバスのトランクウインドウを片手で閉める幸村。長い腕に、綺麗な手は女の子みたいなのに。この行動で私よりも彼のほうが何倍も力があることが立証された。あれは、私にはできない。羨ましい。
一緒にバスに乗り込んで、隣に座った幸村に温泉饅頭を3つあげた。

『ありがとう。』

素直にお礼を言う彼は2連覇という区切りに安堵しているようだった。
表情が、柔らかい。












バスの後方に座る2年の男女レギュラーはまるでこれから修学旅行に行く小学生のようなテンションで身を乗り出し大騒ぎしている。全国大会が終わったばかりとは思えない元気の良さだった。部長の2人は大騒ぎに加わることなく、2人で何かを話していた。一瞬、丸井が静まったところで『海原祭』と言う幸村君の声が聞こえたから、おそらく出し物のことでと話していたのだと思う。
打って変わってバス前方には疲れきった1年の姿。赤也君なんて口をだらしなく空け熟睡していてピクリとも動かない。茉莉亜は1人で2人分の席を占領して寝転がり、由里亜と祥子ちゃんは一緒に街で買ったのだというアイマスクを付け就寝。
最初は威勢のよかった2年集団もバスが高速の渋滞に嵌ると途端に静かになって、やっぱり寝始めた。


「あら、寝ちゃったんだ。」

後ろの席に座っていた奈々が、余ったお菓子を持ってきた。彼女の視線が注がれたのは眠り始めた幸村。「綺麗な寝顔ー!写真撮っちゃお。」すばやく携帯を取り出して、男子部長のレアな寝顔を画像に納めた。熱狂的なファンには高値で売れるお宝写真だ。

「でも、これ売れないわねぇ。」
写真に目を細める彼女は残念な顔、全くしてない。

「・・・売らないで。私が痛い目に遭う。」
写真に収めた幸村に肩を貸す私の姿が校内で出回ったら、ファンクラブの方々の行動が怖い。
窓に寄りかかればいいのに、わざわざ私に体を預けた幸村。『肩貸して。』とちゃんと断りがあって『いいよ。』と許可したのは私だ。

「超レアだよ。が男子にこんな行為許すなんて。」
「そうだね。」
自覚は、ある。
「それに、精市がそんなことをするのもチョウレアだ。」
奈々の横からヒョイッと体を除かせた柳が、寝る幸村の顔を見て満足そうに言った。
「そうなんだ。」
さっきの奈々同様、解像度抜群の携帯をポケットから取り出した彼が、私達2人の姿をメモリーに納めた。柳が写真を撮るくらいだから、よほどレアな光景なんだろう。

「疲れてるんだよ。」

テニスに関しては何よりも厳しい男性だから、
氷のように部員に当たれる人だから、
人を観ることと同時に努力している人だから、
きっと誰よりも、心が疲れてしまっている。







『是正できないと言ったけど。』
送ってもらった駅のホームで幸村に手を掴まれ電車を一本見送った。終電3本前の電車だった。昨日別れたのは深夜と呼べる時間。学校のジャージや制服を着ていたら補導されていただろう。外見が大人びていることの利点は多い。

『俺は棄権っていう判断も、部活は過程が全てという意見も否定しない。』

ギュッと握られている手がその強さに震えた。驚いて、声が出なかった。私と正反対の信念を持つ人間が、私の信念を否定しない。

『友人を見捨ててまで優勝を取る。そんなことしたら君が君じゃなくなるよ。』
それどころか「は俺と180度違う意見であれ。」と言っている。

『そんな君は見たくないな。』







「見たくない、か。」
サラサラ、重力に負けて落ちる癖毛を手にとってひっぱてみた。寝ている彼の反応がない。昨日の晩自分が私に何を言ったのか分かっているのだろうか。私を見る瞳は何かに憧れているような表情をしていた。『俺も君みたいでありたい。』そう言われている様だった。

「近すぎるのに正反対なのは性質が悪いね。」

ねぇ、と声を掛けても返ってくる返事はやっぱりない。最後の温泉饅頭を口に入れて、全体重プラス預けられている幸村の体重を背もたれに押し付けた。携帯で確認した時刻は午後19時51分。あと1時間もすればバスが神奈川に入る頃、ゆっくりと目を閉じて今年の全国大会を一から振り返る。全国大会出場までの部内での出来事を思い出しては微笑んだ。今日まで築いてきたものの更にその上に、これからまた新たなものがどれだけ積み重ねられていくのだろう。待っている練習の日々が待ち遠しい。


男女テニス部
3年の全国大会、優勝。


持っていたペンでメモ帳に決意表明を書き出した。2枚の紙に、同じ文字を2つ。その内の一枚を折りたためて、隣で熟睡している彼のジャージにそっと入れた。

琴音に私ができる償いは来年の全国大会で立海を優勝させること、それだけ。
行く先に希望があるのなら、悩める過去はもう振り返らない。

私は私らしく、これからも歩くだけ。










バスがトンネルに入ったところで、眠気に意識が負け始めた。

「・・・カフェイン。」


毎年のことながら、全国大会はやっぱり疲れる。
























全国大会終了