『私じゃない。』
いじめられるようになった理由が分からなかった。始まりは本当に突然。心当たりが全くなくて、呆然とする日々が続いた。私の様子がおかしいことに真っ先に気づいたのは玲。そしてその少し後に奈々も。2人は先輩や一緒になってふざける同級生から私をかばってくれた。いじめられるのも1人より3人のほうが悲しくないよ、ってそんなことを言った。
後になってイジメの原因がハッキリしだした時にはもう身体も心もボロボロになっていた。いつか、私は何もしてないんだってみんな分かってくれると思っていた。そんな純情な思いを裏切って改善の兆しは何もない。
そして最後の最後であの事件が起こって『もう、無理。』そう2人の前で初めて弱音を吐いた。
私達は3人共、月ヶ丘の関係を絶つことを決めた。
奈々と私は立海へ。一人っ子として財閥の親族からプリンセスの様に扱われている玲は神奈川に来れずに氷帝へ。
離れても、敵同士でテニスの試合を戦うことになってもずっと友達だと。
その約束があるから私はあの時立っていられた。
不安だった転校。幼馴染がいるといってもどんな学校なのか知りもしなかったから怖かった。初めて立海のテニス部に顔を出したあの日、イジメの体験で人と知り合うことが怖くなってしまった自分が招待された立海女子テニス部の部室前に佇んでいた。中には琴音がいる。この先に心配しているような孤独はない。ここを開かなきゃ、前に進めない。自分に言い聞かせるけれど、ネガティブな想像ばかりが浮かんでは不安な心をもっと重くする。
『大丈夫だよ。』
奈々が私の手を握って言う。
『私もいるから。独りじゃないよ。』
彼女は屈託なく笑ってた。
心を決めて開けた扉の先、待っていたのは私が今手にしている幸せだ。仲間がいて、テニスが楽しくて、みんなが笑ってる。そんな月ヶ丘で夢見た今を守りたい、いつもそう思っている。
だから今、自分のせいでみんなを辛い表情にしていることが許せなくて。
春希を怒鳴ってしまった自分が恨めしくて。
涙が出てくる。
殴られることよりも、何倍も胸が痛い。
「何してんだてめえら。」
「月ヶ丘の恥さらしが。東條、執行委員会に警察を呼んでもらってきて。」
「分かりました。」
叩かれる衝撃に備えて握りしめた手がオーダー表の端をグシャグシャにしている。待っていた衝撃は来なくて、その代わりに加藤先輩と玲、そてに幼い頃から良く知る人物の声がして私は目を見開いた。
景吾が上げられた伽耶先輩の腕を掴んでいた。
「。」
そのすぐ後に耳元で続く、くすぐる囁く別の声。この声も知っている。すぐ目の前にあるワイシャツ、少し緩められたネクタイが立海のもので声の人物を予想通りだと指していた。
叩かれると思った時、全身に力が入らなくて「ああ崩れるな。」漠然とそんなことを考えた。でも私の目線はまだ高さを失っていない。地面に崩れていないのは2本の腕に支えられているから。その腕の力がとても強くて上半身の身動きができない。徐々に血液が体内を巡りだし、自分が抱きしめられていることに気づいた時には一時的に失われていた身体の感覚がじわじわと蘇ってきた。
「間に合わなくてごめん。」
叩かれた頬をなぞって目を細める彼。そして目元に揺れる落下しそうな涙を掬った手の暖かさに、全身を任せてしまい衝動に襲われる。
「・・・幸村。」
「ほら、泣かない。部員より先に部長が泣くなんて聞いたことないよ。」
ゴツン。
そして降ってきた容赦ない頭突きが不安定だった身体の感覚を完全に呼び覚ました。
痛い。
「加藤部長!警察って・・・!」
木本先輩が声を上げた。他の2人も表情を凍りつかせている。この殺伐とした空気に威圧感を持ち立つスーパーマン達が彼女達に注ぐ視線は冷たい。軽蔑というオーラをヒシヒシと感じる。
「暴力は犯罪だよ。学内でのことならまだしもお前らが手を出したは他校の生徒。目を瞑るわけにはいかない。」
あの有名な学校が警察沙汰になるような事件を起こすなんて前代未聞だ。学内のことは先生たちの計らいでどうにでもできる。だけど、公共の第3者が入るとなれば別。警察から情報が入る教師陣は事を公表せざるを得ないはず。テニス部は廃部になるかもしれない。加藤先輩はそれを覚悟していた。凜と立ち、断固する。その背中はやっぱり槙野先輩に似ている。
古巣がなくなるのかと思えば悲しい気持ちになった。
「月ヶ丘も落ちたもんだな。」
はっと馬鹿にしたように吐いた景吾。「自分の部員をろくにまとめられなかった貴様もな。」続く悲しい言葉に私は彼を批難しようとした。槙野先輩同様、私生活でもお世話になった加藤先輩を貶されて、胸が詰まる。
「やめな。。」
先輩は反論するどころか景吾に突っ込もうとする私を止めて皮肉そうに、言った。
「本当にね、私のせいなんだ。」
「Ich habe dir tausend mal gesagt, dass du nicht vor Lei und Kato verschwinden sollst. (あれほど玲と加藤から離れるなと言っただろうが。)」
昨日、月ヶ丘と立海が会場で鉢合わせすることになるのを玲から聞いたらしい景吾が何度も何度も電話をかけてきた。そして何度も何度も『一人になるな。』そう言った。あまりのしつこさに携帯の電源をシャットダウンした。こいつの過保護は今に始まったことじゃない。そう警告を放っておいた。
だけど結果的に危ないところを助けてもらった。私の行動は軽率だった。
「Es tut mir leid. (スミマセンでした。)」
「Bedank dich bei Yukimura und dem Fuchsauge. Sie haben uns Bescheid gesagt, dass sie dich nicht findet. (幸村とあのキツネ目に礼を言っておけ。お前の姿が見えないと氷帝ベンチに駆け込んできたのはあいつらだからな。)」
チラリ、数メートル先で玲と話している幸村と柳に目をやった。何を話しているのか、玲は楽しそうに笑っている。いつの間にか氷帝と立海が一緒になって座り込んで、話し込んで。ここに変な友情らしきものが生まれているような気がするのは私だけだろうか。
宍戸君とサッカーで遊ぶ茉莉亜がわざとキリハラ君の顔面にボールをぶつけた。巻き込まれた真田から彼女に渇が上がるのを琴音が必死に止めていた。
「Wann gibt es denn euer Spiel? (試合はいつになったんだ?)」
「Ueberuebermorgen(3日後。)」
一連の騒ぎで延期されることになった青学戦。オーダー表もまた書き直しだ。
加藤先輩に蹴飛ばされるようにパトカーに乗り込んだ3人の先輩のことを考えた。あの3人は昔からああだったわけじゃない。中学1年の春、後輩になった私に優しくしてくれた。全国大会の時も、がんばれって応援してくれた。それから1ヶ月も経たない9月、些細なことで全てが崩れていった。
人間の信用なんて、言葉じゃ言い表せないくらい脆い。
何かきっかけさえあれば簡単に崩れていく。
それを私はあの学校で学んだ。
『、月ヶ丘のことはもう振り返るな。』
3人と一緒にパトカーに乗り込んだ加藤先輩が別れ際にそう言った。私の後ろ立つ立海の生徒を見て『いい仲間だね。大切にしな。』そう笑った。羨ましい、そんな表情をしていた。
残された月ヶ丘女子テニス部できっと、先輩は辛い想いをしていたんだと思う。信頼していた槙野先輩が突如ヨーロッパに行くなんて言い出して、要の選手が3人いなくなって。
一人でどんな風に足掻いていたんだろう。
「おい、玲。」
『最近家の庭が蟻に浸食されててさ。』そんな私の話には興味なさそうに幸村と柳の方に視線だけ送っていた景吾。目を細め見ていたのは2人じゃなくてすぐ傍にいる愛しい玲の方。穏やかに腰を落ち着けてクダラナイ蟻の話を聞いていた彼が急に声を上げた。春希と抱っこされている麻紀ちゃんを見ていた視線を外して、玲の方に向ける。そこには幸村の首に腕を廻している彼女がいて、柳が2人から一歩足を引いていた。幸村も、くっ付こうとする玲から上半身を引いてこれ以上近づかないように努力しているように見える。
あーあ。
「幸村綺麗な顔してるからね。」
私が「諦めなよ。」と漏らすと「冗談じゃねぇ。」と憤慨した景吾が立ち上がった。態度には見せないけれど、幸村に妬いているのが手にと似ように分かる。それくらい彼とは長い付き合いだ。数メートル先を行くその背中を私も追いかける。ずっと座っていたから急に起こした腰が痛かった。
「おい。俺様の前で他の男を誘惑とはどうゆうことだ、ああ?」
「だって幸村さん、宝石みたいに綺麗な顔してるんだもの。」
「離れろ。」
「ふふ。どうしようかしら。」
続く攻防戦。2人の痴話に巻き込まれ、本当に迷惑そうな顔を見せた幸村の首に手を伸ばし、後ろで繋がれた玲の手を解いた。彼女の身体を景吾に押し付ける。
彼氏が大好きで仕方ない一方で、玲は綺麗な顔の人間には男女関係なく目がない。ターゲットを見つけるとキスと迫ったり、デートの約束を取り付けたり行動は常識はずれ。そんなことを彼氏の前でできる神経の図太さは言うまでもない。もっとも、そうでもなければあの跡部家の御曹司相手と肩を並べて同じ道を歩けるはずもないのだが。
これさえなければ完璧な良家のお嬢さんなのに。
「2人共、夫婦喧嘩は自宅でね。」
幸村の手を自分の頬まで持ち上げて、その甲に軽くキスをした。横目で玲に『この男性(ひと)には手を出すな。』そう牽制を込めて。彼女と景吾が面を食らった顔をして突っ立っていた。同時にヒュゥっと誰かが口笛を鳴らしたのが聞こえる。
ジッと私と幸村の手を見て「「・・・めずらしいこともある。」」って言う2人の反応も無理はない。
私は『男嫌いな』という名前で彼らの脳にインプットされているから。私から男に触れることなんて兄さん以外は滅多にあり得ない。
でも幸村は特別だ。それに柳も。
触られても嫌じゃないし、自分からも触れる。
それは多分、私が彼らを男として認識してないから。
「幸村、今日はありがとう。柳も心配してきてくれたんでしょう?」
頷いた柳は薄目を開けて、私に何かを訴える。その「何か」を理解したからコクンと頷いて見せた。
『分かってる。幸村に話すよ。』
そう送ったテレパシーは届いたかな。
今日私を助けてくれた柳は私の過去を全部知ってる。イジメの詳細も、その結果も。なのに今日私を助けてくれた幸村が何も知らないのはアンフェアだ。だから、話そうと思う。
「わぁ、見て。すごい綺麗。」
柚子が指差した空に一同、首を後ろに倒して目を向けた。夕焼け空の向こう側に夜が迫っている。少し肌寒いくらいの夏の夜、今日は七夕。こんなに雲がない七夕は記憶にない。輝き始めた星の多さと言ったら圧巻で、感動にいろんなことがこみ上げてきた。
神流は・・・。
あの子は笑っているだろうか。
幸せだろうか。
同じようにこの天を見ているのかな。
「そろそろ帰ろう。」
幸村に声を掛けられるまで物想いに耽って、その間に駅への道を歩き始めたメンバーとの距離が広がっていた。私のラケットバックを背負って手を差し出す幸村。その手に自分の手を乗せて、寄り添い歩いた。彼は他人と手を繋ぐのが好きな子だから。
ケーキを食べて帰ろうぜと目の前で騒ぐブン太が、便乗した1年生3人を従えて前方へダッシュしたことで、私と幸村2人だけの空間が出来る。ギュッと少し強く手を握ると同じように反応が返ってきて、苦笑した。
今日、手を繋いで落ち着きたいのは私の方か。
「ー!早く来なよー!」
先頭集団の後方を歩いていた奈々が振り返って手を大きく振った。彼女の前を行っていたメンバーも立ち止まり振り返る。
待っていてくれる人達が眩しく笑う。
大好きな彼らが、笑ってくれる。
私の居場所がここにある。
「ありがとう。」
胸が痛くて。今ある幸せが愛しすぎて。握られた手が暖かすぎて。
また流れてしまった涙を見て見ぬ振りをしてくれた幸村に感謝した。
予告: 次回、ヒロイン過去話。内容重いです。タブーな内容を含みます。
(何か察して下さいOR拍手から具体的内容の請求をお願いします。)
描写はありませんが不快に思う方は飛ばしましょう。