One for All









One for All



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2週間後、地区予選が始まる。

あの熱い季節が本格的に始まる。




『できないじゃないだろ。やるんだよ。』
『泣くなら他の部員がいないところにしな。』
『そこの倒れてる奴、コートから連れだして。』
『レギュラー、寝る時間があるなんて思うなよ。』
『そんなんだから男と比べられるんだよ!女の意地を見せろお前ら!』

去年の今頃、月ヶ丘女子大付属中学校女子テニス部では毎日のように保健室に運ばれる部員が出ていた。あまりの過酷なトレーニングに身体を壊す部員が続出したのだ。当時、部活を率いていたのは3年の槙野ツグミ。月ヶ丘女子に多額の資金を提供する財閥のお譲様で、もの凄く怖い先輩だった。その怖さと言ったら言葉じゃ表現できない程、あれは見た者にしか理解できない。彼女は世界でも名の知られているテニスプレイヤーだ。去年の全国大会後、ヨーロッパに出て今年の春からはドイツの女子チームで活躍している。


『S1は。あんたに今年の月ヶ丘を任せる。』
全国大会当日、槙野先輩は淡々とオーダーを読み上げた。

テニスでは日本に敵がいない槙野先輩。100回試合を挑んでも100回負ける、そう断言できる程に私と先輩の実力の差は明らかだ。彼女は強過ぎる。その槙野先輩が決勝シングルス1と2に1年生だった私と奈々を、そしてダブルス1で玲を起用した。何を考えてるのか全く分からなかった。いや、過去形じゃない。あの時の先輩の行動の意味は今でも分からない。一番大切な団体戦に要の試合3つとも1年に任せるなんて、常識じゃない。自分はシングルス3に下って、一体何がしたかったのだろう。

『槙野先輩、私がS1なんてどうゆうつもりですか!!?』
普段は口数の少ない私が初めて声を荒げた瞬間だった。
『五月蠅い。聞こえたなら返事。』
『先輩の日本での最後の試合なんですよ!』
『だから何?S1の試合もS3の試合も重みは同じだろ?』
ぐっと持っていたラケットを握り締めることしかできなかった。S1で勝った先輩をみんなで迎えに行って、おめでとうと言って日本から送り出してあげたい。そう前日に奈々と玲と話をしていたのに。そのシナリオは早くもお釈迦逝きになったのだ。

『頼むよ。』

私の肩に手を置き、オーダー表を出しに行った先輩の背中には「自信」という文字しか映っていなかった。





カーテンの隙間から覗く太陽の光。誰もいない図書館で、感傷に浸った。時計を見ればすでに30分が過ぎていた。目の前にある紙は白紙のままだ。地区予選直前に校内で行われる壮行会。その代表挨拶を南先生に任されたのは2時間前のことだった。「去年の全国大会で優勝の表彰台に足をついた君にやってもらいたい。」断る理由はなく引き受けた。何を言えばいいのか、去年の記憶がヒントになるかもしれないと、振り返った思い出が、余計自分自身を混乱させる結果になった。

「分からないな。」
あのオーダーの意味を今彼女に聞いたら、答えてくれるのだろうか。














「月ヶ丘の話?」
部活に行くと、マネージャーの愛美が駆けよってきた。月ヶ丘女子のテニス部は全国大会優勝のためにどんな練習をしていたのか、と聞かれユニフォームに着替えていた手を止めた。あれからもう1年か。時が過ぎるのは本当に早い。たった1年前のことなのにもう数年前のような気がするのは、この1年がそれだけ密度の濃いものだったからだ。月ヶ丘のテニス部員になって、全国大会で日の目を見て、テニス部を辞めて、立海に移った。目まぐるしい変化がそこにはあった。

「んー。一言で言うなら血を吐くような練習だった!」

笑顔が素敵と有名な私もあの練習を思いだしながら笑えるほど、アイドルは出来てない。目元が引きつる不気味な笑いになってしまった。『血を吐くような』に目を点にさせた愛美と会話に耳を傾けていた他の皆。彼女達はと私が経験した去年の夏を想像することはできないだろう。

「部長がすごい人でねぇ。練習内容はそうだなぁ…。あのが練習後に立てなくなるくらいのトレーニングって言えば少し想像つく?」
「ええ、ちゃんが!?」
「そう。ちなみに私は部活終了前に大半死んでた。」
「「「!!???」」」

や玲と共に憧れた槙野先輩。全国大会直後に日本を離れた先輩の活躍は外国のテニス雑誌で見ることができる。鬼のように他人に厳しいけれど、自分にはもっと厳しい凛とした先輩だった。

「槙野先輩って部活でも私生活でもおっかない人でさ。人間としてはまぁいい人だったけど。」
「聞いたことある!!槙野ツグミさんだよね?」
「そう、その人。」
常に自信満々な彼女という存在は、月ヶ丘大付属中等部にとっても私達テニス部にとってもとても大きな存在だった。お譲様達が集まる学校、彼女の家系はその中でも類を見ない金持ちで立てつこうとする生徒はいなかった。彼女が月ヶ丘女子に3月まで残っていたら、きっとはあそこでイジメに合わずに済んだ。

「強い、かっこいい先輩だったよ。」
彼女は元気だろうか。うん、元気に決まってる。何せあの槙野先輩だもの。
今頃ドイツ人相手に一人暴れまっくているんだろう。




「茉莉亜、由里亜いる?」
「「はいッ!」」
外に出ていたが琴音ちゃんと部室に顔を覗かせ1年レギュラーの名前を呼んだ。1年から唯一赤いジャージを授かった2人は活気ある返事を返した。

「男子のレギュラー陣に紹介するから一緒に行こう。」
「男子レギュラーってあのワカメのとこすか!行く行く!」
「ちょっと茉莉亜、言葉遣い!」
茉莉亜と由里亜、従姉妹同士と聞いたが性格はまるで正反対。元気で男の言葉遣いの茉莉亜と丁寧で敬語が得意な由里亜。由里亜は常に茉莉亜の言葉づかいを注意しているけれど、成果は出ていない。

「ワカメなんて苗字の子いたっけ?」
、ワカメというのは1年の切原君のことですよ。」
コホン、と琴音ちゃんが一つ咳払いをした。のボケを聞いていた部室内のみんなは必死に笑いを堪えている。私はそんなテニス部が可笑しくて笑った。が築き始めたテニス部は日に日に結束が強くなっている。部長本人も笑っていることが多い。私達が月ヶ丘で夢見た理想的な部活の在り方だ。槙野先輩が月ヶ丘で築いた部活に笑顔はなかった。あったのはプライドと、意地と相手を負かすことだけを考える試合。少し、立海の男子テニス部に似ている。テニスに対する考え方の違いで生まれる異なる部活の方向性。

幸村君は、槙野先輩に似ているんだ。

はいつも言っている「勝つためだけに部活はあるんじゃない。」、「厳しいことが勝利につながるわけじゃない。」って。そんな彼女の想いが形になってきた女子テニス部を一部員として私は嬉しく思う。


「私達は先に練習に行くとしますか。」
ラケットを持ち立ち上がる、残ったレギュラーが頷いた。






あの熱い季節が今年もやって来た。














夏を前に月ヶ丘女子出身者2名の心境