伝説
伝説之九
何も変わらない日常、ただあの日皆に2つめの伝説の話をして以来、心の中にという存在が相変わらず居座っている。
彼女を探すとセフィーロを後にしたヒカル、ウミそしてフウ。その背中を見送った。
これでいいのだろうか、と疑問を抱きながら。彼女達が帰った日の夕暮れはいつもに増して赤かった。
やることも成すことも変わらない、ただ娘と思い育てた娘との思い出が頭を掠めては仕事を中断した。
おかげでいつもの半分のペースでしか減らない書簡の山に飽き飽きしていた一週間後、風が一人で再び訪ねてきた。
いつもは必ずといっていいほど3人で来る手前、フウが一人で来たときは些か驚いた。
セフィーロの文字でを探す文面を書いて欲しい、と彼女は私に頭を下げた。
「光さんと海さんと話し合って、貼り紙からはじめようということになったんです。」
突然の訪問に書面作成の依頼。セフィーロの者ならばつき返しただろうが、彼女はこの国の恩人、フウに頭など下げるものではないと告げ、迷わず筆をあげた。
彼女達のを、残された私たちを助けたいという気持ちが痛いほど伝わってきたから。
セフィーロ ヴァル に告ぐ
この文面を読まれ次第下記の人物に連絡されたし。
鳳凰時風 xxxxxxxx
セフィーロ グル
「これで間に合うか?」
サインの上から導師の刻印を押し、フウに手渡した。
「ありがとうございます。こちらでコピーしますから一枚で大丈夫ですわ。」
「こぴー?」
「ふふ。地球の産業技術です。・・・ヴァルとは歌法伝来師さんの称号ですか?」
「ああ。もう死語になっているがな。」
それほど長い間、彼女の名前を呼ぶ者がいない証拠。この500年で歌法伝来師という存在までが風化してしまっている。
ヴァルと聞いて歌法伝来師と関連付けられる人材はごく僅かだ。
「では、私はこれで失礼します。次は光さんと海さんと一緒に参りますね。」
颯爽と部屋を後にする背中。
彼女の片手に握られた先ほどの文章に目を細め、部屋の窓を開けるために立ち上がった。
注ぐのは暖かな木漏れ日。一つ、小さな溜息を吐いて目の前に広がる緑を見渡した。
ふと背後に新たな訪問者の気配を感じたが振り返ることなく続けた、害のある人物ではなかったからだ。
「導師、は見つかると思うか?」
「どうだろうな。確立は低い。」
「あなたは一体何を考えている。」
的確な質問。心の迷いとはなかなか隠せるものではない。
特に何十年も知っている間柄、様子が違う私の態度に、ここに立つ男は疑問を抱いている。
「私は・・・。」
言葉を濁して一度息を吸いこんだ。
「一番酷い人間は私だな。」
はシエスタとまったく異なるヴァルになった。
手に入れたヴァルの力、シエスタは全ての治療を魔法の力で行っていた。あの男の生前、訪れた自宅には薬草など一本も生えてはいなかった。
シエスタの死後に見たあの植物図鑑のような薬草の庭を作ったのは。
人々を治療する際、彼女が魔法を使ったのを見たことは2,3度しかないと思う。
自然派とでも言おうか、摂理に逆らった治療を好む人間ではなかった。
しかし残念なことに治療法など国民にとってはどうでも良いこと。大事なのは病が、傷が治ることであり過程ではない。
不覚にも私が罹った病をが魔法ですぐに治さなかったのをきっかけに、はシエスタに比べ格段に劣ったヴァルであると、あのころ官僚は口を揃えていったものだ。
彼女が魔法ではなく、薬で病を治そうとしたため。
薬での治療が魔法治療に比べ長引くのはあたりまえのこと、それを承知で魔法を使わないは「魔法が全く使えない歌法伝来師ではないか」などと陰口を言われていた。
「今思えば、が城を出て行ったのは私のせいかもしれないのだ。」
一度は沈静させたものの、一度出来た心の傷はそう簡単に消えるものではない。
彼女はそのすぐ後、とめる私の言葉を聞かず街で独り暮らすと城を出て行った。
「・・・。」
「ランティス、私は導師ではなく、父親としてに接したことがあっただろうか。」
出て行って数ヶ月で、まさかあの別れが来るとは思わなかった。予想もしていなかった伝説の始まりは唐突なものだった。
分かっていたら、せめてセフィーロを去るまで一緒にいてくれと無理にでも城に引き止めていただろう。
その感情は間違いなく愛しい親類に向けるそれであったのに。
彼女がいなくなったあの日から数ヶ月はシエスタが死んだときと同じく、病や怪我に対する不安ばかりがセフィーロの人々を支配していた。
しかし人間は日々の中で学ぶもの、の知識を引き継ぐ薬師や治癒師で診療がまかなえるほどに、セフィーロの患者達は自立していった。
それは喜ばしいことだ。
がいないということに慣れてしまったセフィーロの進化は悪いものではない。現在の歌法伝来師は死んだわけではない。
ただこの国から姿を消しただけ。
たとえ彼らが歌法伝来師が何なのか知らないとしても、力の差は治癒師や薬師とは比べ物にならないほどある。
がこの国に戻ったら、今全力で力を診療に注いでいる治癒師はお払い箱、歌法伝来師の帰還に失われるプライドは多いだろう。
今の状況こそが自然と思えるから湧き上がる感情。
人間の生き死にを左右できる力の持ち主が再び現れることへの怪訝、やっと自立した民がまた頼る生活を始める恐れを前に考えていることは何ともドス黒い。
「ランティス。今、この国に「歌方伝来師」が帰る必要がないと思うのは導師の私だけだろうか。」
「・・・。それが本心ならなぜのことを皆に話した。」
なぜ?その答えは考える必要すらないこと。もてあましたもう一つの感情が導師に勝った瞬間。
「会いたいから。」
導師ではなく、父親として。娘の話を誰かに聞いて欲しかった。
矛盾しすぎている感情に吐き気がする。
歌法伝来師が帰ってくることが、この世界の不穏に繋がり得る。
しかしヴァルは自分が慈しむ様に育てた娘、取り戻したい。
導師として、父親としてどちらかを選ばなければならないならば私はどちらを選ぶべきなのだろうか。
最悪だな、とあけていた窓を乱暴に閉めた。
こんなに感情が乱れたのは久しぶりだ。
