伝説




伝説之






「最近頭痛がひどくて。」 今思えばその一言が伝説開始の兆候だったのかもしれない。 城の一角にある給湯室。注ぐ水の音はプレセアの心を過去への思い出に更けさせる。 連日、訪ねる度に顔色が悪くなっていた。 『頭痛』という普通の人間ならば病気と理由づけできることを、自身が歌法伝来師でありながら対処できず具合が悪くなる一方なその状況に、私はどこか不安を感じていた。 何か、わけの分からないものに対する不安。 いえ、それ以上の恐怖を。 「これでよし、と。」 水を入れたデカンタとコップを盆に乗せて給湯室を後にする。 何を思うでもなく、体は目的地を把握しており足は勝手にそちらへ運ばれていく。 いつもと同じ行動、何も変わらない日課。 今日違うことがあるとすれば闇の代わりに今日は光が、小鳥たちが鳴いていることくらいだろうか。貫徹して朝布団に入るなんてと姉のプレセアと飲み明かして以来だ。 もう何度も何度も足を運んだ部屋は慕う人の自室。 就寝前にこうやって水を運ぶのは日課だし、いつものセフィーロにはない話題が上がったからといってその日課を果たさず寝床に就くのは気が引ける。 書類を届けたり、食事を運んだり。彼に会うため行き来するのは仕事が絡んだことばかり。 私情で、ただ彼の顔が見たいからと言って気軽に尋ねられる部屋ではない。 私はただ水をおいてその人の部屋を後にするだけ。 自分の気持ちは、今となっては伝えることなど邪道なことになってしまうだろうから。 彼には大切な人ができて、なによりその人のおかげでクレフには笑顔が戻った。 二人が幸せなら私は見守るだけで、笑う彼を見ていられるだけでいい。 差し込む太陽の光に目を細めた。渡り廊下から見える噴水、あそこで初めてに会ったんだ。 ------------- 両親に連れら来た初めてのセフィーロ城。 両親が大臣に呼ばれている間私は独りこの噴水に足を入れて休んでいた。 背後から近づいてきたのは同じくらいの年齢の女の子。 前の晩、プレセアが言っていた『新しい友達』だとすぐに分かった。 ”あなたプレセアじゃないね。誰?” 正直心から驚いた。 両親に以外に私とプレセアを区別できる人にそれまで会ったことがなかったから。 私やプレセアが知り合ったばかりのはまだお城に住んでいた。 彼女が歌法伝来師と知ったのは付き合うようになってしばらくしてからだっただろうか、毎日のように何かを歌い奏でる姿を見いていたから何となく気付いていたものの、積極的に聞こうとは思わなかった。 そして私たちが親友と呼べる存在になるのに時間はかからなかった。一緒に冒険して、一緒に薬草を摘みにいって、一緒に城を抜け出して、両親や導師に怒られて。幼少時代らしい幼少時代だった。 彼女は知識技術とも歌法伝来師として充分すぎるものを持ち合わせていた。 幼くして天才と呼ばれた彼女。でもその才能は生まれつき持っていたものではない。 血も滲むような、他人では絶対に乗り越えられなかっただろう、そんな努力があったからこそ。 実際、私たちと遊びを終えて城に帰っても夜中までずっと勉強しているのだ、と治癒師だった近所のおじさんが私の両親に話していた。 セフィーロの民を守ること、それは幼くして両親や師匠を失っていった彼女にとって何よりもやる気を起こさせる起爆剤。 ソレが彼女にとって普通の生活だったのだろう。自身が歌法伝来師であると騒がれるのが嫌いな子ではあった。 民にすれば、私たちにすれば、は歌法伝来師という高位の女性。 でもはそんな地位を欲してなどいなかった。 ただ、普通の人と同じように静かに人と接することを大切にする子だった。 後にがセフィーロ城を後にした本当の理由は知らない。 突然私たちの所へ来て明日から街に住むって荷物を抱えて挨拶に来た。 ちょうどプレセアが一歩先に創師となったころだったと思う。 --------------- 自分が創った導師クレフ自室用の大扉。 創作の依頼を受けてからものすごく悩み、丁寧に仕上げた一品は我ながらいつ見てもよくできたな、と満足している。 ただ、私の胸の中で誰かが言う、セフィーロ最高の創師ならもっと美しく、華厳に仕上げていただろう。”って。 扉に手をかけ、開けようとしたとき、その行動をいったん躊躇した。 「話声?」 かすかだが部屋の中から聞こえる会話に目が細まる。 ウミかしら。 少し胸のあたりが痛むのを感じた。分かっていても好きな人をただ見守るだけでいいなんてやっぱり綺麗事なのだろうか。 自分の中にあるこのやるせなさ。嫉妬という感情は時間が経過してもなかなか消えてくれない。 「の…」 給湯室へ引き返そう、と来た道に足が向かい始めた瞬間、部屋から聞こえてきた名前がその行動を停止させた。 。 ----------------- 「頭痛?」 ”えぇ。” 街に移り住んでそう経たないうちに目に見えて悪くなる彼女の様子。 「でも、自分でも治せないほど酷いものなの?」 ”・・・大丈夫。それよりずいぶん複雑な心音してるね、何かあったの?” いつものことながら自分のことなど全く気に掛けない。気に掛けるのは、心配するのはいつも他人のことばかり。 他人に気付かれないように気丈に振舞っているつもりなのに、本当にこの子に隠し事はできない。 「プレセアがセフィーロ最高の創師の称号を受けとったわ。」 ”グルから聞いた。” 「ねぇ、。私はいつかプレセアを超えられるのかな。」 ------------------------------------------------ 「プレセアさん?」 はっと振り返る。驚きすぎてお盆ごと水を落下させてしまうところだった。 思い出に浸りすぎていたせいか背後に人が来ていたなど全く気づかなかったのだ。 「フウ、それにヒカルも。」 なぜこんなところにいるのかと尋ねようかと思った。でも帰ってくる答えはいま自分が推測しているものと全く同じだろう。 「クレフさんに伝えたいことがありまして。どうやらウミさんとご一緒の様ですね。」 「えぇ、そのようね。」 「プレセア、私たちさんを助けたいんだ。」 ヒカルが告げた一言に自分の瞳は彼女達のそれを見つめて逸らせない。 「出すぎたことかもしれない。でも、でもやっぱりわたしはクレフとさんがもう会えないだなんて思いたくない!!」 「さんは私たちの世界に住んでいると思うんです。それに私たちの願いの瞬間 東京タワーにいらっしゃったということは、もしかしたら同じ国にお住まいかもしれません。」 「プレセア!見つけられるかもしれないんだ!さんを!!」 異世界の少女達。 彼女たちが言うだけで貰えるこの心強さはいったい何だろう。 とっくの昔に一度手放していた希望が再び自分の中に生まれ始めた。 この子たちなら、本当に見つけてくれるのではないか。 「プ、プレセア!?」 自分は何に対して泣いているのだろうか。 彼女が見つかるかもしれない希望に対して? それとも今日まで抱き続けていた自分の感情に対して? ヒカルが持ってきた腕輪を見てから、過去を振り返ることに歯止めがかからなかった 思い返す度、気付く自分の本心はなんて白状なのだろう。 ”彼女はもう戻って来ないのではないだろうか。” そんな考えが自分の中に存在していた。 取り戻す努力もせずに、伝説だからと簡単にあきらめて、 こんなに、こんなに大切な親友を私はこの500年の歳月の中で見失うところだった。 「ごめんなさい、二人とも。だめね最近涙もろくて。」 そして心の中で呟く”ありがとう” と。 「ヒカル、このお水を導師のところへ持って行ってくれないかしら。私、ちょっと用事を思い出しちゃって。」 「うん、いいよ。プレセアまだやることがあるのか?少し休んだ方がいい!」 「ちょっと、いくつか調べたいことがあるの。」 ヒカルにお盆を渡して、あまり通らない地下への階段を駆け下りた。 -------------------------------------------------------------------- ”ねぇ、プレセアを越える必要があるの?” 「・・・。」 ”シエラ、あなたにプレセアより劣っているところなんてないわ。” 「・・・!?」 ”自分で気付づいてないだけだよ。” そう微笑む彼女の顔に嘘はなかった。 彼女が言ってくれたのが自分が欲しい言葉だったのかもしれない。 いつも比べられるのは姉。どうしても何をやっても勝てない相手。 でも私はプレセアじゃない。同じようにできるわけがない。 私は、私はシエラなんだから。 ”シエラ、あなたにしかできないこと、プレセアに勝ることはたくさんある。急がなくてもいいんじゃないかしら。シエラはシエラらしく、ね。” 「。」 ”?” 「ありがとう。」 ”ふふ、少し柔らかい音になった。” もう大丈夫ね、と笑いながら彼女が鍵の付いた引き出しから取りだしたのは一冊の本。 ”よかったらこれ持っててくれない?” 「なぁにこの本?開かないけど。」 ”そう、まだね。とても大切なものなの、あなたに預けるわ。” --------- 記憶の一端に蘇るあの本の存在。 保管したのは、城の大観覧室。