伝説




伝説之






ぞろぞろと大広間を後にする皆を後ろに、海だけは体をクレフに向けその場から足を動かそうとしなかった。 クレフを遠くから心配そうに見つめる海の姿を他の者は気付いていたが、誰も声をかけようとはしない。 まるでクレフの気持ちを自分に重ねたように悲しげに立ち尽くす彼女に掛ける言葉が見つからなかったから。 海が何か言いたいのであろうとクレフも気づいてはいたものの、心なしかとても“気まずい”と感じたのは両者同じだったはずだ。 娘と呼ぶ存在がいることを恋人に隠し続けていた気まずさを覚えているクレフと、その娘をクレフは慕っているのでは勘違いしていた海の持つ気まずさ。 「ウミ、お前も少し休むといい。あとで私が出向こう。」 微笑んで最初に言葉を発したクレフの顔には疲れが見えた。 「…ええ。」 消え入りそうな声でした返事はきっとクレフが望んでいた言葉ではない。 いつも笑っていてくれという彼に、あんな返事をしたのは一体何年ぶりだっただろう。 先ほどクレフとの間に感じた“気まずさ”が彼の傍になかなか近づかせてくれない。 会いたいのに…。 会ってまず自分が勝手な勘違いをして、ヤキモチをやいたことを謝りたい。 “彼女”はクレフにとって、何にも変えられないくらい大切な女性なのに。 いつもこう、胸がいっぱいになると涙が出てくる。悲しいのではなくて、ただ自分が情けないから。 情けなく泣くときの涙を止める方法は自分の悩みを誰かに聞いてもらうこと。 でも、今ではもうセフィーロで魔法騎士の3人が一緒に就寝前の相談会なんてやることはほとんどない。その分、私にもその話を聞いてくれる男性がいる。 本当なら一番信頼して、何でも相談できる相手なはずなのに、その相手を気まずい思ってしまったら私は本当に一人ぼっちなんだ。 私ってダメね。 寝巻きのローブをホッカーの上において軽いジャージに着替えた。いつもよりかなり楽な服装で出向いたセフィーロの導師の自室。 小鳥達が鳴いて、太陽が輝いているというのに今日のセフィーロ城はかつてないほどの静寂に包まれている。 国の重鎮達が夜明けまで語り、朝眠りに就いたのだから当たり前といえば当たり前だがやはり活気がない晴れの日はそれはそれで寂しいものだ。 扉を開ける音は響くことはなかった。 手を軽く触れれば客人が立ち入りを許された者か否か認識する大扉は、恋人ができた時、導師クレフが創師プレセアに創らせたものだ。 扉が開き、すこし冷たい風が巻き起きる。 一歩を踏み出して思う、この部屋も静かすぎる、と。 微小な足音だけで寝ている人物を起こしてしまうのではないかと心配でゆっくりゆっくり、不安げに足を前へ進めていく。 大きなベッドに預けられた体は、横たわる事もなく腰をベットの背もたれにつき休んでいた。 「ウミ、寝たのではなかったのか。」 閉められた厚いカーテン、この薄暗さの中でなおも光を失わない金色の腕輪を、今の今まで手に取り眺めていたのであろう。 それをベッドの脇の棚に置きクレフは座れとベッドをポンポンと叩き合図した。 なるべく近くに寄り、ウミはクレフの横に静かに腰を下した。 「なんだか寝付けなくて。…来ちゃった。」 甘えるように言う彼女がとても、とても愛おしく感じるクレフの表情が綻ぶ。 「あぁ。」 海の背中をさするように軽く抱きしめ、そういえばこんなに近くで話をするのはとても久しぶりだな、とほのかに香る青い髪に顔を埋めた。。 そうして初めてその肩が震えているのに気付いた。 「ウミどうした?」 声を上げて泣いているわけではないけれど、心はごめんなさいと叫んでる。溢れる涙と自分でも整理のつかないこの想い。 ただ、この人の前だけではこうやって涙を流すことができる。唯一、弱さを見せていい男性。 「わたし…本当に勘違いしていたの。かってに怒って…クレフのことを困らせて…。 まさか…まさかあの写真の女性がクレフにとってどんなに大事な人だなんて知らなくてッ!!」 胸の中で泣く海を自分に向き合わせる体制に抱きかかえた。 髪をなで何も言わず背中をさする姿は、恋人同士だからこそできる慰め方だ。 「ウミ。」 呼ばれた名前にゆっくり顔をあげる彼女の眼は赤い。涙の後を裾でぬぐった。 「のこと、黙っていたことは私に非がある。恋人の部屋でほかの女性の写真を見てやきもちを焼かない者はいないよ。」 変な誤解を招きたくなかったんだ、申し訳ない。と謝れば、両者の間に渦巻いていた“気まずさ”はいつの間にかその姿を消していた。 「・・・のことは正直、私にも分からないのだ。」 「え?」 クレフの顔をのぞき、その意図を図ろうとするが見えてこない。 「何を考えるべきなのか、な。 いつか必ず戻ると信じていたが、どうやら実現には及ばないらしい。」 脇に置いた腕輪をもう一度手にし、ウミへ手渡す。 受け取ったそれは見かけよりもずっと重く、腕に圧し掛かるようだ。 「“あれ”はその腕輪の重さが自分への重圧だとよく言っていた。セフィーロの民を救わなければならない重圧だ。 それを全うするために、あの意志のつよい娘なら何があっても帰ってくると思っていた。」 「クレフ何か方法はないの?さんをセフィーロへ戻す方法は…」 目を落とす。 「確かに、何か方法はあるかもしれない。だがその方法を知る術はない。」 金の腕輪に目を奪われる。 きっと、この腕輪は今回、光によってセフィーロへ届けられるまで、長い長い時間を地球で過ごしてきたはず。 そんな長い間、腕輪の主人はひとりで己の心と良心との間で闘っていただろう。 滅ぼしたくても滅ぼせない世界、帰りたくても帰れないセフィーロへ思いを馳せて。 大切な人々を思い出しながら。 知らぬ世界で たった一人で 腕輪に何かを祈るように、海はそれを胸にあて少し大きく息を吸った。 さっきまで泣き顔だったその顔に今宿すのは、あの伝説の時のようにとした意思の強さ。 まるで解き放ったかのような決意を揺るがすことなどもうできない。 「クレフ。私、さんを探すわ。」