伝説
伝説之五
先先代の柱がまだ存在していたころのセフィーロは平和だった。
海はどこまでも蒼く広がり続け国の色合いを広げる
セフィーロへ注ぎこまれる光は人々の活動源
風は人々の生活に流れ込み優しく大地を掠めていく
王家にはエメロードという少女が誕生し、人々はこの先ずっと続くであろう幸せを疑わなかった。
私も同じだった。この愛するセフィーロの加護で誰もが幸せに暮らしてゆくのだと・・・。
導師という重責に身を置くまでは。
このセフィーロに伝えられる二つの伝説。
一部の者しか知りえないこの存在を先代の導師から伝えられた時、私はこの耳とそしてこの国を疑った。
今まで美しい国と思ってやまなかったこの国に伝わる二つの残酷な存在。
何かを踏み台にしなければ存在できない我が国
美しい国と信じて疑わなかったそれは私の中で歪み始めた。
・・・・できるならどちらも事実とならないようにと祈ることしかできなかった。
「導師大変です!歌法伝来師シエスタ様が!」
前触れもなく飛び込んできたその訃報は次の歌法伝来師の誕生を促すものだった。
二つ目の伝説が起きるのは何千年かに一度。
起きなければその時の歌法伝来師は普通の民と同じようにその生涯を終えることになる。
シエスタは幸せだった。伝説にその身をさらわれなかったのだから。
「歌法伝来師の席を空けておくことは民の不安を煽ります。どうか早急に次の歌法伝来師をお導きください。」
「シエスタ様には一人弟子がいらっしゃいます。その方をぜひ!」
当時の側近たちは毎日のように私に会いに来た。
皆、私に告げることは同じだった。
新しい歌法伝来師誕生をいくら望まれても私はその者を導くことに懸念を持たざるを得なかった。
確かに、歌法伝来師の伝説が始動することは”稀”。
だが、それが絶対にないとも限らない。
だがそれから間もなく民の間で「病を見てくれるものがいなくなった」と動揺が広がり始めたとき
私に残されていた選択肢は導きだけだった。
放っておけば民の不安から魔物を産み育てる結果になる。
魔操師や騎士のように魔物と戦える人材が当時のセフィーロに少なかったのもあり、 それだけはどうしても避けたいものだった。
つぎに歌法伝来師となる者を このセフィーロの秩序は一刻も早く欲した。
シエスタの墓参りだと公務を後回しにして街に出たとき
歌法伝来師が在籍しないというだけで『この不安の広がりようは何だ』そう街の人々の声に耳を疑った。
この国にはまだ薬師も医師も治癒師もいる。
それが歌法伝来師という頂点に立つ絶対的な存在を失った時、何かに頼ることを普通としている国民たちはここまで不安に陥るのかと
セフィーロの弱さを見た気すらした。
街を抜け森への一歩を伸ばす。
明るい森は昼は太陽の、夜は月の恵みを受け暗くなることがない。
その森の入口にシエスタは住んでいた。
広い庭には数え切れないほどの薬草が植えられ、まるで医学図鑑を庭にしたような感じだ。
その庭の奥にある泉のほとりに飾られるのは幾千の花々。
そしてシエスタの墓。
”命永らえし神の子よここに永久なれ”
そう書かれた墓標の前にうずくまっている一人の少女を目が捕らえた。墓標に落書きをしている。
それはそこら辺の子供がする落書きではない、薬調合の方程式だ。
シエスタの愛弟子というのはこの少女のことか。
シエスタに家族や側近はいなかった。
セフィーロでも有名な頑固者だった彼は患者以外を寄せ付けず、一人で逝くことを望んでいた。
幼いときに家族を失ったせいかもしれない。その男が最期が近づくころ引き取ったという愛弟子。
私の影に気づき振り返る少女、目があった瞬間見たのはその目に宿す意思の強さ。
一点も曇りのない眼光と、ほんの一瞬向けられたその目の鋭さにはシエスタの面影があった。
「名前は?」
言葉がわかるのだろうかと思うほど幼すぎる少女。
一瞬の鋭さをすばやく目の奥底にしまいこみ、今度は目を丸くして私を見上げるあどけない頬笑み
人を疑うことを知らない眩しい眼差しとその奥に見え隠れする鋭さはまぎれもなく歌法伝来師なりえる意思の強さそのもの。
「。」
それが私達の『出会い』だった。
優しくその頬をなでるかのように吹き込む風はいまだ温かい。
「は実の娘ではない。」
クレフはもう一度天井の輝く星を見つめる。
シエスタに引き取られる前のを私は知らない。何処で生まれたのか、誰が両親だったのか。
星は輝きを落ち着かせ遠くの空はもう朝日に染まり始めている。
「出会った時、歌法伝来師とするには幼すぎ、シエスタを失い身寄りがなかったを私が引き取ったのだ。不自由がないように戸籍上は娘として。」
静かに目を閉じる。思い出される数々の思い出達が現れては消えていく。
「だが、いつの日からか彼女のあどけなさに、あの笑顔に救われていた。」
導師として一人前になればなるほどその重責に押しつぶされそうな時、癒してくれたのは幼い彼女の笑顔。
「そして日を重ねるごとに血のつながった本当の娘のように感じるようになった。」
「大きく成長する様に喜びを感じた。・・・逆にすこしさびしい気持にもなったがな。」
フッと軽く笑いながらいうクレフのその表情、それは父が娘をおもう時の表情そのものであった。
チュンッ チュン…ッ
「・・・朝が来てしまったな。そろそろ休もうか。」
時間も忘れて話した昔話。その話の面影はこのセフィーロに何も残っていない。
話して、思い出して悲しくなるのなら一生胸に閉まっておこうと思った昔話。
そろそろ休もう、クレフの言葉に腰を上げる一同の心に、天窓から注ぎこまれる朝日
それは彼女の笑顔のように華々しく
500年経っても消えることのない思い出はこの度再び呼び起こされ、残された者たちの心に宿った。
歌法伝来師である彼女の知らない、新しいセフィーロの大地に
行く風だけはあのころと変わらずに
今日も戻ることを顧みない
