伝説之三十二






城内は静まりかえり、エメロード姫が愛する中庭の噴水で水が跳ね返る音が、かつて診療所其の一として使用していた屋内まで響いている。
泣くのに体の器官が疲れすぎた頃に耳にした話ではこの数日、祈る姫のお側に付き添っているのは導師クレフではなく、神官ザガート様であるという。

「どうだった、導師のご様子は。」
果物を調達に外出していたトレディアにここ数日同じ質問を繰り返している。
果物の入った袋を机に置いたトレディアは今日もまた溜息交じりに首を横に振った。


「…そうか。」

師匠がセフィーロを去ったこの一週間、導師クレフは誰にもその姿を見せていないらしい。
今どこにいるのか、何をしているのか、もしくは何も手に付けられない状態なのだろうか、その真相は誰もしらない。
トレディアと面会の取り次ぎに城の本館に赴いてみたが、導師の自室の扉は硬く閉ざされ、開くことはなかった。

あの導師のこと心身の調子を崩して床についているというよりは、様を取り戻す方法を探すのに躍起になっているのが定か、そう勝手に納得しこの中庭にある建物に戻ってはきたが、あれから3日、導師の様子が気になって仕方ないのはトレディアも同じだろう。
毎日のように「果物を買いに行く。」やら「書物庫に本を取りに行く。」などと理由を作って出かけているが、本当のところは城内で導師の情報が集められないかと静かに躍起となっているのだ。


「チェリ、来週から仕事に戻ろう。」
トレディアは、買ってきたブイテックを一つ手にとって投げてよこした。

「俺も同じことを考えていた。師匠に頼まれていた後輩の教育、そろそろ再開しないとな。」
このまま沈んでいても何も始まらない。いらない星を一つ滅ぼすという使命は一見、とても重く、無謀に聞こえるが、他の目線で考えれば、力を持つ人間が星を一つ滅ぼす、たったそれだけのことだ。
もしかしたら明日には師匠がセフィーロに帰ってくるかもしれない。その時にこんなに暗い俺達を見たら、彼女はきっと怒るだろう。


もう一回見たいな、師匠が笑って「良くやってるわね。」って褒めてくれる姿を。






















この国の伝説が文章として残されている国で唯一の書物、伝説記を広げて隅から隅まで読み漁った。
この本を先代の導師より授かった後、私は柱が魔法騎士を召還する第一の伝説ばかりを気に留めていた。
なぜなら二つ目の伝説は私が生きている限り起こらないであろう、そんな勝手な推測が生まれていたからだ。

『歌法伝来師なるもの一角獣の宝物を携え、世界の均衡のためその人生を捧げるべし。

荒廃した星で一角獣の光を見せよ。

いかなる障害が付きようとも任務を完了すべし、さもなくば帰還は許されがたし。』



第二の伝説冒頭に序章として書かれているその文は、歌法伝来師の使命を簡潔に綴っている。
「障害」とは一体何を指しているのだろうか、派遣されたものの精神状態の撹乱か、それとも派遣される場所の環境が及ぼす体への負担のことだろうか。

丸二日、本に食いついていた私は、プレセアが持ってきた水を口に含んで数分後、意識を手放した。
おそらく睡眠を促す作用のある薬が入っていたのだろう。まるで泥沼にはまったように深い眠りについた。


そして私の意識は次に夢の中ではっきりすることになる。















「私は…。寝てしまったのか。」
どうやら意識があるのは現実のセフィーロではないらしい。真っ白な正方形の箱の様な空間で私は起き上がる。
足に力を入れ、立ち上がったはずなのにまるで体が宙に浮いているように軽い感覚に眩暈を覚えた。

「現実世界ではないようなだな。」
夢か…。そう重く深い息を一つ吐いて、床に腰を下ろし、白い壁に身を預けた。目を閉じ、のことだけを考えていた。不思議なことに、思い起こされるのは彼女がまだ小さかったころの記憶ばかり。
彼女がエメロード姫と中庭で遊んでいる情景や、遊び疲れ泥だらけになって城へ帰ってきた時の記憶。
すべて普段の日常では脳裏を掠めもしなかった記憶が、こんな時になってこんなにも鮮明に思い出される。

やるせなかった。


大人になったと共有した記憶なんて数えられるくらいしか浮かんでこなかった。
成長した彼女と共に過ごした時間が少なかった証だ。
なんで近くに置いてやれなかったのだろう、せめて目の届くところに、役人に不平を叩かれる彼女に気づいてやれる距離に立っていたかった。
それができなくても定期的に休みを取って一緒に酒を飲んでもっと話がしたかった。
父親らしい父親でありたかった。
そんなことはもうかなわないかもしれないというのに。

リバティとのことに気づけなかったのは私の落ち度だ。彼女に何かあったときのためにかけておいた魔法に普段からもっと意識を払っていれば、リバティの魔力を感じて彼女に何かあったことに気づいていたはず。
結果、何十年も一人に背負わせ、悩ませてしまった。
「すまない。。」
何度も何度も心の中で呟いた言葉を口に出してみる。その唇は震えていた。







『導師よ。』
突如聴覚に響いた声に体が強張り思わず立ち上がった。声が真っ白な室内の壁にぶつかっては反響する。
「…っ!!何者だ。」
まるで突風が木の葉を揺らすような一瞬に、強い魔力を感じた。そしてその直後床に魔方の紋章が現れた。
この紋章はこの数日毎日のように、毎時間のように目にしていたもの。「伝説記」に記されていたものと全く同じだ。
「…リバティか。」
『その通り。』
空間に巻き起こる氷のように冷たい風。反対側の白い壁に現れた細長い影を作っているのは長い角。
そして魔法陣の中から現れたのは、一人の少年。その者は私に笑顔を見せて、そして言った。


『会いに来るといい。とその師が住んでいた庭で待っている。』









体中の筋肉が引きつり、その衝動に目を開けると大量の汗を掻いていた。
寝る直前に飲んだ水を入れたグラスが、転がり落ち、床を見事に濡らしている。

「ここは、現実だな。」
あの一角獣が私に夢を見せていたというのか。この私の思考に作用できるほどの魔力の持ち主、伝説の生物。

「…リバティ。」
いままで見ていたものが只の夢ではないことは確かだった。
濡れた机と床をそのままに、ローブを羽織って移動の魔法陣を張った。


彼女を取り戻すためなら何でもする。


そうだ。この時決めた意志に嘘はなかった。