伝説
伝説之二十三
昼の食堂は騒がしい。でもその騒がしさのおかげでチェリの大声が本来の半分くらいの騒がしさで済んだ。
「出て行った?!」
驚いた衝撃で口に入っていたものを飛ばすチェリを睨みつけて制した。
「音量をさげろ。他の人間に聞こえたらどうする。」
おおっと、とわざとらしく「すまんすまん。」と謝る相方の反応も無理はない。
何たって国の主要人物5つの指に入る一人が失踪中なのだから。
「でも出て行ったって何で?」
昨日俺が帰った時は呑んでる導師と師匠の声が部屋からしてぜ、とチェリは最後の一口を掻きこんだ。
二日酔いでこれだけ食べれる胃袋が信じられない。
「理由はわからない。」
「ま、理由はどうでもいいか。」
そう、詮索は無用。自分達がやるべき事は今も昔も師匠の補佐。
無理をし過ぎると倒れる彼女を自分達がブレーキをかけてやるのが仕事だ。
「そろそろ出よう。日暮れまでには沈黙の森に入りたい。」
「・・・そうか、プレセア様なら師匠の居場所について何か御存じかもな。」
「ああ
、馬はもう用意してある。」
「よっしゃ、じゃ行くか。」
カバンにつめたたくさんの薬。昨日練ったばかりの新薬、師匠に届けよう。
街には薬が充分行きとどいていないだろうからきっと助けになる。
師匠は笑ってくれるかな。
「あらあら。ずいぶん早いわねチェリ、トレディア。」
「お久しぶりです、プレセア様。」
玄関の扉に肘をついてゲームオーバーとでも言いたげな態度でこの屋敷の主は私達を迎え入れた。
「なら残念だけどここにはいないわよ。」
「そうでしょうね。沈黙の森には一般人は来れませんから診察もできません。」
この近くの街、いくつかにチェリが見当をつけ始めたころ、プレセア様は自分達に1枚の地図をあずけた。
「今私の妹がとその地図の街に向かっているわ。あの子のことよろしくね。」
私たちではの仕事の力にはなれないから、と創師が苦笑いした。
「「確かに承ります。」」
そして馬を走らせた。少しでも早く彼女に追いつくように手綱に力を込めて、沈黙の森から西南にある街フルエンスへ。
「ひどいな。」
「・・・ああ。」
到着したフルエンスの街の荒れように、目を見張った。手入れの行きとどいていない畑、廃れた住居、今にも枯れそうな井戸、
ござの様な硬い敷物に身体を預ける人々、ここにはまるでセフィーロとは思えない別界のような景色が広がっていた。
疫病だろうか、患者達はみな同じように苦しんでいる。
城でいくら大きな診察所を開いても、そこに患者が来れなければ何の意味もないのだ。
なぜ師匠が定期的に外へ出ていくのか、きっと近くの街の見回りをしていたんだ。
でも城から遥か遠いこの地で、まさか街一つ全てがこんな状況に陥っているだなんて誰が考えるだろう。
「とりあえず師匠を探そう。」
倒れている患者に「頑張れ、すぐ助ける。」と言葉を残して街中を廻った。
「様。」
やっと見つけた一軒の家の前に彼女の馬がいるのを見つけて勢いよくその扉をあけた。
チェリの声に驚いた彼女は振り返り、目を丸くしている。
「チェリ、トレディア。」
「まったく、私達に何も言わずいなくなるなんて、一体どう言うつもりですか師匠。」
「うっ・・・。ごめんなさい。でも追ってくるのは分かってたからまぁいいかなって。」
「よくありません。」
こんな私達のやり取りを見ていたシエラ様は笑った。
「優秀な弟子を持って幸せね。何にしても人数は多い方がいいわ。」
コクリ、とうなづいた師匠の眼が真剣なそれに戻った。それは治療開始の合図。
持ってきた法衣を身につけて、カバンからありったけ持ってきた薬を取りだした。
「数十年前にも一度流行った疫病よ。1カ月前ここに来た時はみんな元気だったのに今はこの惨状。
感染力が以前よりも強くなっているみたい。私が魔法で治療するから、チェリとトレディアは薬とその後の治療をお願い。
シエラは何か食べものを調達してご飯を作ってくれるかしら。」
「「「了解。」」」
「様一つ気になることが。」
「何?トレディア。」
「柱が守っているこの世界、数十年前の感染病といい、今回といい、平穏さが失われている気がするのですが。
一体なぜなのでしょうか。」
師匠はつかの間見せた驚きの表情をすぐに上手に隠して眼を伏せた。
「トレディア。国の平穏はあって当たり前のものじゃない。常に何かの犠牲の上にある。
今回の様に疫病がはやることがあっても誰も何も責められない。私達はその為に技術を持ってるの。
こうやって疫病や感染が広まるのは自然的なできごとだから国を責めてはいけないわ。」
この時の私は彼女の言わんとすることが理解できなかった。
ただ、分かりましたとなずいてチェリに持ってきた薬を渡した。
その後続いた治療は丸2日。
街の人口3分の1を失った街の生き残りは、1週間後には立ち上がり普通の生活ができるほどに体力を取り戻していた。
「この街を拠点にしようかな。」
街の長が提供してくれた家で、夜酒を飲みながらぼそりと師匠が言った言葉をチェリは聞き逃さなかった。
「拠点?なんのですか。」
「んー・・・・チェリ・トレディア診療所その2っていうのはどう?」
「名前長過ぎ。それにその1ってまさかあの城の診療所のことですか?」
「ぴんぽーん。」
大分出来上がってきた師匠に付き合って自分も久しぶりに酒をのんだ。
彼女が酔うほど大量に呑むのは、大きな仕事が終わった時。この街の人間はもう大丈夫と判断したということだ。
「でもいいですね。まだ3人で診療所を開くのは。」
シエラ様が持ってきて下さった強い酒に口をつけた。
「この街の名前をとってフルエンス診療所でいいんじゃないですか?」
「「ええ、つまらなーい!!」」
重なった師匠とチェリの声に噴き出した。こんなに笑うのは久しぶりかもしれない。
次の日には家の表に立てられた看板。
『フルエンス診療所』
医師 ・
薬師 チェリ・デュアリス
治癒師 トレディア・シルエイティ
お金がない方も大歓迎。健康な生活を送りましょう。
セフィーロ城
「導師、フルエンスより遣いが書簡を。何でも橙の髪に桜色の瞳の女性が診療所を開き
地域の民に慕われている、と。」
読み上げる姫付きの神官にそうか、と導師は南西に向く窓に手をついて笑った。
「匿名で城の地下にある薬をトレディアとチェリ宛てに送ろうか。ここに置いておいてももう意味がないしな。」
「御自分で行かなくてよろしいのですか。」
ふるふる、と首を振り、いや、と答え導師はまた椅子に腰を着く。
「あれの無事が分かるだけで充分だ。報告ありがとう、ザガート。」
「いえ。」
こうやって私達の新しい生活が始まった。
このフルエンス診療所はそれから18年、この街と西南西セフィーロの診療拠点として活躍し続けた。
