伝説




伝説二十二一/二






沈黙。 私は『セフィーロの伝説』を無言で本棚に戻してソファの机に座り、広げたお菓子を食べ始めた。 導師は杖を立てかけて、ローブを外し、水の入ったカラフェとグラスを持ちまるで何事もなかったかのようにとなりに腰掛けた。 そしてまた訪れた沈黙の末、最初に口を開いたのは私。 「導師とこんな風にゆっくりするのは久しぶりです。」 「ああ。」 そうだったな、とグラスに水を注ぐ顔が少し綻んだ。緊張のメロディーも些か緩くなった。 先ほど本を読んでいた私を見た瞬間の彼の緊張はもう伝わってこない。 私は私で知らぬ振りというか、本の内容を聞くことを少し躊躇していた。 「これプレセアが持ってきたんです。食べます?」 「いや、プレセアはお前のために持ってきたんだろう。少し食べた方がいいぞ、痩せ過ぎだ。」 どれだけ働いているんだ、と導師は頭を抱えた。恒例の仕草、この次には決まって強制休暇を取らせると言い出すのだ。 言い出される前に話を切り替えなくてはと、導師の前にクッキーを10枚重ねて食べてください、と合図した。 「導師ももっと食べた方がいいです。背低すぎですよ。」 瞬間、ソファーのクッションが脇から飛んできた。冗談なのに。 「・・・。」 「・・・。」 私は最後のプレセア特製クッキーを食べ終わったところで立ち上がり、先ほど戻した本をまた引っ張り出してドカっ、と導師の前に落っことした。 これを読んでいたところを見つかって気まずく感じる必要なんてないんだ。 導師は私の表情を横目で観察しながら一言、「すまん。」と呟いた。 「黙っていたことを謝るということはこの記述は嘘じゃないってことですね?」 真面目に答えないと薬湯に毒混ぜますよ、と脅しを入れれば導師のメロディーが消沈に変わっていく。 「すまない。」 本日2回目。 「選ばれたヴァルは他の星を1つ滅ぼす責務がある。遂行しなければセフィーロには帰ってこれない。そういった伝説が存在するのは事実だ。」 「・・・。でもそんな攻撃魔力、私にはありません。星なんて滅ぼせるわけがない。」 ランティスだったら可能でしょうけど、と告げるとクレフは手を伸ばして本の最後尾のページを開いた。 そこには魔法騎士の伝説のマシンが描かれている。 「レイアース、セレス、ウィンダム。これが魔法騎士に授けられるマシン。そして歌法伝来師にも一体、授けられるマシンがある。そのマシンを持って、選ばれたヴァルは2つ目の伝説を遂行する。」 彼の指が弾いたページ、そこに書かれた名前は『リバティ』。 聞き覚えのある名前に眉間に深い皺ができた。 「選ばれたヴァルはリバティと出会う。その出会いがない歌法伝来師は伝説を遂行せずに済む。 リバティに選ばれる者が現れるのは数千年に一度。そんなあるかないか分からない伝説などお前の耳に入れるものではないと黙っていた。」 「・・・そのマシンを使い星を滅ぼすことで帰還できるのですか?」 「ああ。どんな星に飛ばされるのかは私にも分からない。」 未だリバティの記述から目を離せないせないでいる私に導師は続ける。 「これでも父親の真似事をしてながいからな、娘には心配で小さいときから見張りの結界を張っている。 万が一リバティがお前に接触したとき、私にもすぐに分かるように。」 娘、という言葉に心が反応をみせた。彼がこの言葉を使うことは稀中の稀だ。 許してくれ、と覗き込んできた導師は杖を持ち一つ呪文でその結界を解いたらしい。彼は、私が選ばれたヴァルでないと、そう確信を持っているのだ。 私は精一杯、大丈夫ですとか、気にしないで下さいとわけも分からず微笑んだ。 「久しぶりに一緒に酒でも呑もうか。」 乾杯の酒を調達に立った導師の背中を見ているはずなのに、頭の中にもう何年も姿を見ていない古い友達の姿がちらつく。 縦波、銀のような白のような毛。人間の姿になった時、額に現れたするどい角。 心臓がものすごい音を立てて鳴っている。導師に聴こえなくてよかった。 もう出会っていたんだ、何十年も前に。 私は選ばれた歌法伝来師だった。 あの日、リバティが別れ際私に告げた「いつか迎えに行く」という言葉の意味がようやく分かった。 その時がセフィーロとの別れになるのか。 2つ目の伝説の犠牲者は私だった。