フェイクウェディング当日。
会場となったマクダレーナ教会に足を運ぶ両家の代表者、そして新郎新婦の友人を装ったパンドラの構成員達。チェインとの戦闘を予期しているのか緊張の面持ちを隠せない者もいれば、偽りの式を楽しみに笑顔で待つ人間もいる。この結婚式がヤラセとばれない程度、両家の重要人物を用意した。本来なら危険な場所に居させるわけにはいかないのだが、芝居がばれてしまっては元も子もない。
『ブレイク・・・。私、生涯寄り添った兄を送りだす心境です。ごめんなさい歓喜あまって涙が。』
『ハハハ・・・。それよりお嬢様、何度も言いますが何かあったときはシェリル様と公爵を真っ先にエクエスで移動です。そしてあなたも脱出。私のことは置いていってください。』
『分かっています。昨日からもう耳タコです。ザクス兄さん、あなたは今日私の従者ではなく花嫁のジェントルマン。お好きに暴れて下さい。』
おばあ様のことはドンと任せなさい、そう胸を張った彼女はシェリル様と最前列に位置を取っている。シェリル様の背後には呼んでもいないのにちゃっかりバルマ公が座っているし、通路を挟んだ反対側の最前列には家でチェインを持つの兄アルフ様と母君のマリアンヌ様がいる。
そして当主のキリル様に『よくも私の可愛い姪を!』と睨まれているのは、きっと気のせいではない。
それにしても社交界パーティも顔負けのメンツが勢ぞろいしたものだ。そんな中、この舞台に上がっているのが自分ということが信じられない。
(何事も人生経験ですネ。)
胸元で緩んだ生花のブローチを上げて祭壇の時計に目をやる。
丁度サイドの扉から姿を見せたクリストファー神父に視線を移した。ニッコリと笑う神父に曖昧な笑みを返す。
リンゴーン
リンゴーン
レベイユを誇る教会の鐘が鳴る。
重低音のあるそれが、教会内の空気を震わせた。
神父に向けていた視線を外し、振り返る。その先で開かれた教会の扉。
淑やかに、そしてどこか威厳ある空気感。
入場する仮の花嫁が身に纏っていたのは、漆黒のレースドレス。公爵家の名に恥じない、丁寧に仕上げられたドレスに10mはある裾が彼女が一歩一歩前へ進む度に大理石の床を掠める。
白い肌が引き立てられる黒の中で、口元のルージュが笑みを作る。
手には真っ赤なバラの花束を、
赤と黒のバラを長い山吹色の髪に絢爛に編み込み、
この空間で唯一、絶対ともいえる雰囲気を背負っていた。
「これは、素晴らしいのう。キリル、あの娘養女にもらえぬか?」
「冗談ではないルーファス。流石我が姪。やっぱりキュートすぎる。」
「・・・。わ、私言葉が見つかりませんわ。」
「駄目、ママやっぱり泣いちゃう。」
「母さん、ほらハンカチ。」
文字通りポカン、と口を開け入場した彼女に見入る観客。
頬を赤く染めるパンドラの男子構成員達。
花嫁の姿に目を剥くレイム。
『女性らしさの欠片もないって言ったこと、絶対に後悔させてやる!!!』
数日前の啖呵を思い出し、張っていた肩の錘を落っことした。彼女がどれだけ本気で今日のための花嫁衣装を用意したのかは分からない。いつもとは少し違う化粧に、振舞い方、どれを見ても、完璧な公爵家のお嬢様にしか映らない。
着飾った女性は見慣れているのに、遠目に見ても心が波立つ容姿。隣に立たれたら心臓が持たないかもしれないとすら思ってしまう。
『お嬢様のくせに女性らしさの欠片もない、』
自分の発言が失言だと、口にしてすぐに後悔した。だから本当は謝りたかったのに、機会を失って、怒っている彼女に会いに行く勇気もなくて迎えた今日という日。
の隣で号泣しながらフラフラ歩いてきたハルド・に「娘を頼みます。」と手渡され、細い手を取る。らしくもなく緊張していた。
私が軽く握った手。彼女は薄いベールの下から私をつま先から頭部まで凝視して、諦めたように笑う。その笑みが優しいものだったことに、安堵した自分がいる。
(似合ってるね、新郎君。)
(さんも・・・。驚きましたヨ。)
(少しは後悔してくれた?)
(ええ、カナリ。謝罪は日を改めて。)
(酷いこと言い始めたのは私だから。ブレイクは悪くない。シャロンのことまで話にかけてしまってごめんなさい。)
(せっかくここまできたんです。なんならこの茶番、本気で演じてみましょうか。)
(賛成。)
「今日という日に結ばれし2人よ、顔をあげなさい。」
祭壇に向かい膝をつき祈りを捧げる体勢から、頭を挙げ、神父に視線を移す。ちょうどその時、ずいぶん後方でカチャリと鍵が閉められる音を耳にした。かなり注意して気を張っていなければ気づけない音、認識したのはブレイクも同じだろう。この中にいる人間を外に出さないために鍵をかけたと見て間違いない。
「両家が祝福するこの者たちの婚姻に意義があるものは申し出なさい。」
静まり返った大聖堂に、神父の声が響き渡る。
「汝リーベルト・レインズワースは、この女を妻とし、良き時も悪き時も、共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓うか?」
「誓います。」
「汝ジョアンナ=は、この男を夫とし、良き時も悪き時も、共に歩み、死が二人を分かつまで、愛を誓い、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓うか?」
「・・・誓います。」
「では、神の前で誓いのキスを。」
その言葉が告げられると、背中に良く知った悪寒が這った。
背後の観客席ででチェインを保持する人間の雰囲気が強くなったのを感じる。
ブレイクがゆっくりとベールを上げ、彼が私の頬に手を置いた瞬間、ついに現れた大ボスに唇を寄せ合っていた私達は口元に笑みを浮かべた。
「やーっとお出ましですカ。」
「結婚式で一番盛り上がる瞬間に殺そうなんて、ずいぶんな神父だこと。」
目の前に立つ神父の背後に出てきた真っ黒な人間の形をした影を睨みつければ、クリストファー氏が足を一歩背後へ退く。
「な、なんだと!?お前たちは・・・!?!?」
「ここにいる全員がパンドラの関係者。あなたを捕まえるために一芝居打たせていただきました。」
「く、なんだと!!?」
容赦なく急に攻撃を始めた神父のチェインを消すため、チェインを発動し始めたブレイクの頭を持っていたバラの花束でぶん殴った。
「私がやるから、君は今日お休み。」
私が発動を始めると、一気に人が教会からいなくなる。閉められていた扉は開いたようだ。私と彼のチェインは、両方ともアヴィスに関わるものを抹殺する能力。マッドハッターとフラメルを同時に使ったら何が起こるかは私達が常に話題にする話。マッドハッターがフラメルを抹殺するのか、もしくはフラメルがマッドハッターをねじ伏せるのか試したことはない。危険度数が高すぎて、実践できないのだ。
だけど、私達のチェインはここにいる契約者全てのチェインにとって害。契約をしているものは立ち去るのが得策。
「花嫁を守るのは、私の務めだと思ったのですケド。」
やれやれと剣をしまう彼を「なんだ、男らしいとこあるじゃない」とからかう。
「また血を吐くザクスは、見たくないから。」
大人しくしてろ、と極上の笑みで笑いかけてフラメルを呼んだ。
「というわけで神父さん、違法契約者と断定して逮捕します。このフラメルはあなたのチェインを焼き尽くすギャロップ。反抗したら、死ぬよ。」
「う、うわああああああああああ!!!!!!」
胸に隠し持っていた短剣を引き抜いた神父が、襲い掛かる。大きな溜息を吐き、手にしていた花束から鋭利なナイフを抜いて突進してくる男の腹に突き刺した。
「そう、じゃぁ死んで。」
飛び散った血が、黒いドレスに掛かるけれど染みすら浮かばない。
「あなたのチェインも、さようなら。」
フラメルが炎に包んだチェインが、アヴィスへ堕ちるのを見て教会のステンドグラスを仰ぐ。
いつかあの男性(ヒト)と共にこの場に立てる日が来ると信じていた。
夢に見たこの壇上で、神に愛を誓うこの神聖な祭壇で、
人間を傷つけることを全く厭わない領域まで自分が到達してしまったことを注ぐ太陽に目を瞑り懺悔した。
「なぜ黒にしたんですか?」
観客席の最前列にザクスと腰掛け、訳もなく血に染まった祭壇を見ていると、誰もいなくなった教会に静かに声が反響した。その声の主に目を向ける。
「白でなければ、紫か赤でくると踏んでいたのに外れマシタ。」
ああ、ドレスの話。
「葬式だからよ。」
「は?」
「あの神父、連行するって言った時すんなり着いてきてもパンドラに着く前に殺すつもりだった。」
少し驚いた目をしたザークシーズが分からない、とばかりに私を見る。
「ねェ、ザクスにとって結婚式ってどんなもの?」
「男女が一生の愛を誓う行事でしょうか。」
「あはは、一般論丸出し!でもまぁ、そうだね。・・・私もね、この壇上に花嫁として上がれる日を夢見てたよ。ずっと、」
小さい頃、私はこの行事をいつも夢見ていた。
「ずっと。」
素敵なドレスを着て、素敵な男性の傍に寄り添えることを夢見ていた。
「あの男性(ヒト)が死んでしまうまで。」
ハッとした表情で私を見るザクスに苦笑する。
とても辛そうな表情をされたから、視線を逸らしてしまう。
彼に乙女心を理解しろとは言わないけれど、今日の彼なら私の言わんとすることを分かってくれる気がした。
「私の場合、結局叶わない夢になってしまったけれど、」
あの男性の死後も尽きることなかった貴族との婚約話。私の心は、壊れていた。彼以外の人間と結婚なんて、当時の私には受け入れられない出来事だった。
だから全力で否定して、家出もした。
「結婚式の主役になる女の子にとっては、誰からも祝福される一生に一度の神聖な儀式。それをアヴィスへ捧げる人間の殺しに利用し続けたこいつが許せなかった。」
立ち上がり、転がる神父の頭部を蹴飛ばして蔑む視線を向ける。
幸せに包まれ、これからの生活に胸を膨らます花嫁達の笑顔をこの男は奪って、そして殺して、堕として。
世界中の女性を代表してこんな男、地獄に叩き落してやる!
「だからこの神父の葬式に黒にしたの。確かに紫と赤も視野にあったけど。」
ザークシーズは私を良く知っているなと思うことが度々ある。別に好きな色がどれだとか、そんな話をしたこともないのに、今回も当てられた。
「パンドラの命には逆らったけど、違法契約者だったわけだしどうせ死罪になるんだからまぁ除名はないでしょう。」
「そうですネ。あの上官に謹慎言い渡されそうな時はフォローして差し上げますよ。」
関わることもないだろうと思っていたレインズワースに助けられた手負いの男。彼は公爵家の交流やパンドラを通して友人と呼べる存在になった。似たもの同士と言えば彼に文句を言われるかもしれないが、ワンマンプレイでパンドラ内でも構成員達から苦手意識を持たれている等共通点は少なくない。形は違うけれど、過去に傷を負っていることも私達をどこか繋げている要因だろう。
そんな近いようでやっぱり遠い私達は、もしかしたら自分が思う以上にお互いのことを理解しているのかもしれない。
「きっととても良く似合いましたよ。」
ザクスが祭壇に目をやりながら呟いた言葉に踏みつけていた神父の頭部からハイヒールを下ろした。
ゴロリと転がった姿に哀れみすら、浮かばない。
「あなたの白いドレス姿。」
「・・・そう?」
私はもう、若くない。婚約を拒みに拒んで、独りを悲しく思う年になったときはもう手遅れだった。
実年齢を告げて今更貰ってくれる相手は社交界にいないだろう。
純白のドレスをいつか夢見た幸せな結婚式で着れるはもう、来ない。
普段なら『あんたはシャロンの花嫁姿だけ考えてればいいのよ』と笑って言っていただろうに、
「似合いますよ、絶対。」
あのザークシーズがそんな恥ずかしいことをあまりにも穏やかな顔で言うものだから、
「黒よりも、誰よりも。」
たとえお世辞でも何だか嬉しくて、
その時の私は少し苦味を帯びた笑いを返すことしかできなかった。
この数年後、ザークシーズ=ブレイクは視力を失うことになる。
彼が自分の眼で誰かの花嫁姿をこんなにも間近で見た体験。
それが今日という日であり、・という女性だったことを知る者は当人を含めこの時、誰一人としていなかった。