止まってしまった銀時計

「今まで黙っていてごめんなさい。」

彼女のわき腹から背中にかけて刻まれているのはマレフィキウムの烙印。
99年前、世界から嫌われ、殺されたブロッドバーストの魔女達の身体に焼かれた犯罪者の印。

「いつもはコレを貼り付けて隠してるんだ。」
ほら、そうが机の引き出しから取り出したのはシール。

「これ、の親戚の発明家が作ったものなの。貼り付けると色と素材が肌に浸透して烙印も跡形もなく消えるすぐれもの。触っても全然分からないでしょう?」
思わず手を伸ばす。いつも触っている彼女の体。初めて目にしたこの烙印に指をなぞらせ、視線は考えもなく指を追いかけた。

「今日あなたが市内で見つけた例の女、あれは私の姉さん。セイシェル・ブロッドバースト、私達が生きていた時代次のブロッドバースト当主になるはずだった女性(ヒト)。」
「・・・ではあなたも、」
「ブロッドバーストの姓を受けられるのは選ばれた人間だけ。私の本名はフラロヴァ・ロードリース。セイシェルは実姉、選ばれた子だからブロッドバーストの姓をもらえた。」
「フラロヴァ・・・。」
「ふふ。誰かに名前をその呼ばれるのは久しぶり。」




もう、100年以上前の話だ。

「93人。当時生きていたブロッドバーストの民の人数。」
私と、姉さん以外は全員殺された。91人が焼かれ、踏まれ、家畜よりも酷い扱いを受け、殺された。

「サブリエの悲劇。あの事件が起きるまで私達はブロッドバーストの村で平和に暮らしていた。助け合い、支え合って村人同士、知らない人間なんていなかった。姉が次の街の当主に選ばれ、私達家族はとても幸せだったわ。あの赤より赤い目は私達の宝だった。」
「しかし、その時代紅目を持つ人間は迫害をうけていたのでは?」
「それは外の話。私達が住んできた地域はそんな馬鹿な話なかったよ。ブロッドバーストは世界から確立した民族だったからかな。バスカヴィルの民たちと似ている。役目や目的は違くとも、アヴィスに干渉できる一族であることも。でも全員じゃない。当主になれるものだけがその力を産まれながら受け継ぐの。」

私には、アヴィスに手を伸ばせる力なんてない。

「私と姉さんを逃がしたのは、当時当主だったエーファ・ブロッドバースト様。逃げたわ。どこまでも、どこまでも、目的もなく。足を止めるなんて許されなかった。倒れる姉さんを引きずって。私には頼れる存在なんてバスカヴィルの民くらいしか思いつかなかった。でも彼らはサブリエと共にアヴィスへ落ちたという。どこに行けばいいのか分からなくて、倒れるまで逃げた。村を襲った奴らから。」

『一番安全なところへいきましょう。もう、この世界は私達の見方じゃない。』
身を横たえたまま、蚊の泣くような声で何かを口ずさむ姉は泣いていた。空は低く曇り、雨の雫が落ちてくる。その灰色の空に、真っ黒な鳥が一斉に飛び立ったのを見た。

「そこから、この時代に来るまでの記憶はない。でも着いた時にはセイシェルもいた。彼女が言うには一度アヴィスを経由してここに来たって。詳しいことは分からないけれど、それからは一緒に路上で暮らした。たったの3日だけね。」
「・・・。3日?」
「4日目に食料を探しに行くと出て行った彼女は戻って来なかった。2週間、私はその場で蹲って姉を待った。でも帰ってこなかった。」


どんなに孤独だったか。どんなに心配したか。思い出せないくらい、孤独だった。


「一人になった私は生きるために何だってした。身を売ってその日の食べ物を手に入れたこともあった。」

ハルド・とマリアンヌ・に見つかり引き取られるまで。

「私が姉を失ってもこの世界で生きようとした目的は、当時の黒幕を探して葬りさってやることと、姉を見つけ出すこと。の名前を使えば不可能じゃないと思っていた。」

けれど、なかなか情報は手に入らなかった。皆無、と言ってもいい。
だってパンドラは全員グルになって、私に隠し続けていた。

「寿命を知って自分で黒幕を突き止めることも諦めていた。でも、あなたが。それにレイムが教えてくれた。黒幕が四大公爵家とパンドラだったこと。」

そんなビックな相手に復讐できるほど私は強くない。

そして

「私の大切な人達を殺したのがウィンベリー家の人間だったこと。」
私が愛した婚約者の生まれた家。
彼がくれた偽者の愛を私は受け取って舞い上がった。

「キースが私を利用していたって話でピンときたんだけど、」

認めたくなかった。

「彼は私を愛してなんていなかった。最期の最期まであれは愛じゃない。」

「何を言っているんデスか・・・。」
眉間を寄せるザークシーズに苦笑する。泣きたいのは私のほうだ。

「私は彼を愛してた。だから自分の全てを知ってもらいたくて、過去の話もしてこの烙印も見せた。彼は自分の家の歴史とブロッドバーストに関係する話を全部知っていたんでしょうね。烙印を見せたときのあの歪むような表情・・・忘れられないわ。」
今思えばあの日から、彼の態度はどこか変化していった。

『君が誰であろうと、の人間でなくても私は君を愛していたよ。』
毎日のように夢のような言葉を掛けてくれた。でも、

「それは愛じゃない。」
認めることを恐れちゃいけない。

「同情。」
「そんなわけッ!」
掴み掛かるように口を開くザークシーズの唇に人差し指を当て、少し目を伏せた。


「ねぇ、知ってる?私ね、キースに抱かれたことないの。」
「は?」
「だから・・・。抱かれたことないのよ。」
私は苦虫を潰したような顔をしていることだろう。あんなに長く一緒にいたのに、彼が私を求めてくることはなかった。

「キスはしてくれたけど。それに・・・あの人に恋人がいたのも知ってる。ウィンベリー家の平民出身のメイドさん。ああ、これは後になってパールがエディと内緒話してるのを耳にした話ね。当時は信じなかったけど、ここまでくると認めざる得ない。」

きっとキースはウィンベリー家とブロッドバーストの歴史に不信感を持っている数少ない人間だった。私が全てを打ち明けた数日後、彼は自らが被験者になることを志願したのだろう。家族の歴史に負い目を感じていた男だから、今度は当時被害になった哀れな女を助けるヒーローになりたかった。

「『君がこれから笑ってくれればもう何も望まない。』これが彼の口癖だった。そのために自分を犠牲にして勝手に死のうとするなんて、私からしたらいい迷惑・・・。」

残される者の気持ちも知らないで。

膝の上に涙が落下する。

「パンドラにブロッドバーストの件をあなたに公にしないよう苦言したのは、ですか。」
「おそらく。」

ハルドとマリアンヌに拾われた夜。私の烙印を目にした2人はすぐにキリル様を呼んできた。まさか、と言わんばかりの視線で見られた。彼らはすぐに私が過去から来た人間だと理解したはずだ。

「家族のみんなは私にはデレデレだったから。」
「今もでしょう。あなたのためなら一家全滅しても文句を言わない方々です。」
「私が過去を知ることで、危険な目に巻き込まれるのを避けようとしたんでしょうね。パンドラがその裏事情を知らずに私を被験者に選び半場無理やりキースと婚約させられた時は流石に反抗できなかったようだけれど。」

ポカン、と口を開けたザークシーズが喉の奥で笑い声を上げる。そんな風に笑う彼に首を傾げた。

「とんでもない。キリル様とマリアンヌ様は腰を上げられましたよ。レインズワースまで木刀下げて喧嘩を売りに来られました。」
「え、そうなの?!」
お母さん!!叔父さん!!

「私がお相手させていただきました。さすが暗殺一家のお二人です。レインズワースの護衛をコテンパンにして乗り込んできて・・・。でもね、あの実験を計画した四大公でしたけれどベザリウス家、そしてレインズワース家は貴女を被験者にすることを最後まで拒でいたんです。そんな私の説明を信じて下さって、最後にはシェリル様とお話され帰っていかれました。おそらくその足でナイトレイとバルマ公爵家に喧嘩を売りに行ったのだと思います。」


『私は反対です。』
家当主を交えた四大公会議でシェリル様は全員を見据え、放った。

『私も反対だ。家唯一のご息女を巻き込むのはいくらなんでも無理があるのでは?』
オスカー様はと交流がある方だ。反対するのは当然だった。

『ならばレインズワース女公爵、の代わりにシャロン様をお借りしたい。』
『『・・・・な!!』』
言い出したのはウィンベリー家と実験計画を率先して計画していたナイトレイ公爵。そこにいた誰もが聞き間違いではないかと疑った一言は、両家間の関係が戦争に発達してもおかしくないものだ。

『彼女もまだチェインと契約されていないでしょう。フラメルのお相手には丁度良いだろう。キース・ウィンベリーの命を奪うことで少しは社会というものを学べるのでは?』
『しかしシャロン様はまだ成人前。身体への負担も大きすぎる。』
目を見開くシェリル様。彼女の代弁をするベサリウス公。場を落ち着かせなければと分かっていても、自分がそうできる状況になかった。私も同じように腸煮えくり返ってたのだ。

『口を慎みたまえ、ナイトレイ公。』
凍りついた空気の中、重い口を開いたのはキリル様だった。裏社会では天敵のナイトレイとはその憎しみをパンドラまで持ち込んだりしない。
黒いドレスに身を包んだキリル様は手を額に当て、自嘲するように目の前のテーブルに置かれたカップを見つめ、続ける。

『シャロン様を秤にかけては、私がに殺されてしまうよ。』
彼の目から涙が伝ったのを見た。

の友達になってくれたあの方を危険な目にあわせることなど出来ない。』

それが、決定の言葉だった。

の当主が認めた。シャロン・レンズワースを実験台送りにするくらいならを被験者とすること。

フラリと立ち上がった彼は両手で肘を抱え、まるで凍るように肩を震わせる。

その背中はとても小さく私達の目に映っていた。



「キースの愛が本物だったかどうか。それは彼にしか分からないことだ。でもね、君はキース以外の人間にこんなにも愛されている。」

彼という大きな存在に、彼女を見るほかの存在が埋もれていただけなんだ。

「キリル様、シェリル様、シャロン様、あなたのご両親そしてレイムや私もあなたが好きだから、幸せになってもらいたいと。みんなそう思っているんデス。」

この子は本当に綺麗な泣き方をする。
泣き喚くよりも、声を押し込めて一つ一つを丁寧に解いていく泣き方。こうゆうのは見ていても嫌な気がしない。













「・・・認めたくなかった。キースに愛されていなかったこと。」
「はい。」
「恐かった。事実を認め、あなたに嫌われてしまうこと。」
「ええ。」

ザークシーズがこの件を引き受けた以上、ブロッドバースト関係者である私を野放しにしておけば死活問題になる。
パンドラから命が下れば彼は私を殺さずにいられない。


「私はまだセイシェルを見つけなきゃいけない。だからお願い、あと3日待って。」
「見つけてどうするつもりですか?」
「・・・殺す。」
拳を握ると食いこんだ爪が痛む。

「今夜見たでしょ。あの女は・・・もうセイシェルじゃない。壊れたただの人形。彼女の断片みたいな存在よ。断片が現代にあっては彼女は転生することを許されない。アレも本当のセイシェルがいるところへ送ってあげないと。」

本体はもうとっくに死界を歩いている。
誰かに任せたくない。もう、どうせ会えないのなら彼女の最後の欠片を送り出すのは私でありたい。

「3日したらパンドラに突き出すなり、殺すなり好きにしていいから。」

もう、そうしたらこの人生に未練なんてないから。

言葉が落下して、部屋に再び静寂が訪れた。とても重い、静寂が。



「・・・全く残念です。」
長く座っていた椅子から立ち上がり、片手を私の頬に当てたザークシーズは少し怒っていた。
思いっきり頬を抓られ、予想外の行動に目を剥いた。

そしてそれに加え、

「ザークシーズ!その子を殺すなんてやめてくれ!ごめん!パンドラに極秘令を出したのは叔父さんなんだ!」
ちゃんがいなくなるなんてママ絶対嫌!!」
!!!俺はお前を死んでも守り抜くぞ!」
「妹を奪うなんていくらシャロンちゃんの従者でも許さないジャン!」
「俺はヘタレだがオリヴィアと共に戦ってやるぞ!!」
「ってなんて破廉恥な格好してるんだ!!!前を隠せ!!!」

「「・・・・・・。」」

バーン、と音を響かせ隣の部屋へ続く扉から雪崩れ込むように入ってきた面子に潤んでいた目が一気に乾いた。
雪崩れ込んだ勢いで倒れこんだ面子が『どけ、下りろ』ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。


「叔父さん、父さん、母さん、それに・・・兄さん。何してるんですか?此処私の部屋なんですけど。」
フルフルと拳が震える。
そして背後からレイムと笑いながら部屋に入ってきたオリヴィアがエディ兄さんの方をポンポンと叩く。彼女とレイムはこの全員が隣の部屋で聞き耳を立てていたことを知っていたのだろう。

「すみませんお嬢様。さすがにこの人数は押さえ切れませんで。」



!!!」
口を噤んでいた父のハルド様が声を上げた。普段はもの大人しい方が開いた口に兄たちが一気に視線を彼に向けた。

「父さんだ、珍しいジャン。」
「まだ場違いなギャグとか言うなよハルド父さん!」
「父さん、ファイト!!」
コソコソと密やかに話す兄3人に俺は笑った。この家族は本当に大らかだ。私が遣えているバルマ公爵家にもこういった雰囲気があれば毎日楽しいだろうに。


「パパは悲しいぞ!他の者の気持ちを無視して『殺すなり好きにしていいから。』なんて!それではキース君と変らないだろう。」

ハッと顔を上げた彼女が、瞳孔を開く。
珍しく意標をついたハルド様の発言に家族の全員が拍手を送った。

ジッと俺達を見て、そして窓の外に視線を向けていたザークシーズを見たは手で口を覆う。



「君を愛してくれているザークシーズ君に言う言葉じゃないだろう。」

そして空かさずハルド様は立ち上がる。言いたいことを告げ、すっきりした様子の彼は『まだ話は終わってなーい!』そう嫌がるキリル様の首根っこを掴みだす。
「はいはい。皆さん撤収ですよー。」
同じく一同を蹴飛ばすように隣室へ押し込むオリヴィアに続き、俺もパール様の腰を抑え、扉を潜った。
部屋に入ってとりあえず血の匂いがしなかったことに安堵した自分がいる。

思ったよりも温和に進んだらしい話し合いに笑みを残して、あとはザークシーズの仕事だと。

『上手くやれよ』そう心で呟いた。





















「本当にね。」
一同が去って静かになった部屋にザークシーズの落ちた声が響く。チラリと背後の私を振り返った視線はとても悲しそうなものだった。

「無神経にも程があります。人がこんなにどうすれば話を丸く治められるか必死で考えているのに。」
身体を廻し、おっかない様子で詰め寄る彼に後ずさりする。いや、背後は机。これ以上逃げ場はない。

「残りの人生を楽しんでから死ぬと言っていたのは嘘ですか?」

口を噤む。
このことに対して反論できることなどない、そう分かっていた。

「私はあなたと過ごせる時間を幸せに思ってマス。でもあなたにとってはそうではないから、今死んでも何の未練もないと。私と過ごす時間はあなたが生きる意味に値しませんか。」
「ち、違う!」

もう駄目だ、そんな風に自分を笑うような顔をするザークシーズの手を思わずとった。
だってこれは反論できる内容だ。

「私だってあなたとの時間は、」

大切。
幸せで、
優しくて、
守られて、

「愛されて・・・、」

きっと当時のキースよりもザークシーズは私を愛してくれている。それは態度とか、行為とか、いろいろな面で感じられる彼の優しさ。
でも昔愛した恋人の存在が大きすぎて、重すぎて。
過去を美化しすぎて、実際以上の想いを注いでしまって。

今手にしている愛の大きさに今日の今日まで気づけなかった。


「私はあなたのこと・・・。」
コツン、ザークシーズの額と私の額が重なった。頬に添えられた手が当たる部分が異常に熱い。

「何です?」
待ってるんですけど。
そう早く言え、そう急かす彼はやっぱりSだ。

「・・・ッ。」
恥ずかしい。
こんな言葉、彼には言ったことないから余計に。ドクンと大きくなる心臓の音が聞こえてしまいませんように。地面に落としていた視線をゆっくり上げて紅い目を見た。

「愛してます。」
友情だと思い続けてきた気持ち。関係を持っても、友情を少し脱線しただけの関係だと思っていた気持ち。
でもそれは、ちゃんと辞書に名のある感情だった。


「・・・良く出来ました。」
緩んだ目元を見せた彼が、もう片方の腕で私を抱き寄せる。くっ付く額のせいで強制的に屈む体制になった彼が小さな溜息を吐いて、私の髪をクシャリと触った。


「今はもう、何も考えて頂かなくて結構です。」

同時にキスが降ってくる。それは優しくて、やっぱり甘くて、
私は全てを忘れたように、ゆっくりと目を閉じた。



こんな時間が永遠であればいいなんて、そんな他愛のないことを願いながら。