胸糞悪い仕事だった。
深夜、家の仕事を終えレインズワースの屋敷に帰ってきたときには時刻が既に午前2時を指している。殺しを終えたのは11時だった。それから今までの間、自分がどこをほっつき歩いていたのか覚えていない。
若い人間を5人殺した。
自分よりもずっと若い、これからを楽しみにされているだろう青年たちを5人。
5人が地に伏したと同時に襲ってきた虚無感と、憤りを抑えるためすぐに帰宅せず街を徘徊した。これは仕事だったのだ、仕方ないのだと自分を落ち着かせる。
殺し屋に罪悪感なんて言葉は合わない。
場数を踏むたびに罪悪感を隠し冷静を装う技術は向上する。主観的な話だ。そんな技術を客観的に見たならば「殺しそのものに慣れてしまう」と一言で判断されてしまう。
非情になりきれる人間なんていないのだ。
罪悪感を感じられるうちはまだ私も幸せ。
これを感じる日が来なくなったら、もう人間でいることの意味も失ってしまいそう。
すでにベッドで夢の中にいる同居人を起こさないように扉を開け、ソロリ足で入る部屋。
持っていたバックもコートも胸に抱え、とりあえず爪先歩きで部屋に付いているバスルームに直行した。
「これじゃもう着れないかな。」
返り血を浴びるなんて私らしくない。気の乱れか、連日の疲れからか、精神が波打っている。
脱いだものをゴミ用のバスケットに押し込んで顔を洗う。ガクリと肩と頭を落として蛇口から排水溝へ流れていく水を眺めていた。目を瞑れば涙が伝った。なんで泣いているのか、いやこれは涙じゃなくて洗顔した時の水なのか。
『。』
ゾクリ、背筋をなぞる声に驚いて顔を上げる。
鏡に映るのは私。背後には、室内には私以外誰もいない。
誰の声・・・?まるで見られている視線を一心に受ける。その出所を探すけれど見つからない。
『何処探しているの?此処よ。』
「・・・なッ。」
鏡の中で、私の顔がニッタリと笑った。裂けそうな程口を弓なりに引き上げて、手を振っている。
後ずさる。
これは、何の夢?
『ねぇ。なんで貴女は生きているの?ねぇ。なんであの時死んでしまわなかったの?そうすれば私は、は悲しい思いもせずに死ねたのに。』
「あなたは・・・誰?」
『何言ってるの?私はあなたよ。私は。』
『答えて、。なぜ貴女は生きているの?』
いよいよ自分の頭がおかしくなってきたか。
でも幻覚とは思えないこの空気の圧迫感はなに?
「私には事実を突き止める義務が・・・」
ボソリと告げる私の言葉を拾い上げた鏡の中のが肩眉を上げた。
『でも、その事実はもう明かされたじゃない。分かっているんでしょう?』
受け入れたくない。
見たくない。聞きたくない。信じたくない。思い出したくない。
受け入れられない。
思い出せない。信じられない。
『答えはもう出ているのに、なぜ貴女は受け入れようとしないの。』
鏡に映る私が、鏡の前に立つ私に射るように問う。妖艶に笑う口元に悪寒を催す。
『恐いんでしょ?受け入れてしまうのが。』
「違う!私はッ・・・。」
『何が違うの?認めて死ねばいいって言われるのが恐いんでしょう?キースに?それとも今好きなあの男に?』
「や、めて・・・。」
『あなたはいつもそう。自分自身じゃ何も始められない。キースも、ザークシーズもあなたがいなければこんな今を持たずに済んでいた。』
『あなたがいなければ、キースは死ななかった。ザークシーズ、それにお友達のレイムも貴女のことで悩む必要なんてなかった。』
『そうでしょう?あなたがあの時生き残ってしまったから、あなたに関わることになった人間の運命が狂ってしまった。あなたは恐いのよ、認めることが。』
「ち、違う・・・。」
『悲しい子。そうやって自分に嘘をついて、自分を護ることしかできないのね。』
「もうやめて!!!!」
ガシャーン。
我武者羅に頭を抱える私を鏡の中の私が蔑むように笑う。叫ぶと同時に感じる手の痛み。痛みの先で、拳が鏡を殴り壊している。女はいなくなった。甲高い嘲笑だけを残して、まるで気配も残さずに。
指の関節に刺さる破片、抉られた肉、滴る血液。全てが気に障る。
グシャリ。
鏡から引き抜いた手が、落下する。
「?」
私は大量の汗をかいていた。今だ水が流れる蛇口、音を鳴らす排水溝。そしてバスルームの扉を開け、入ってきた人物の声。
落ち着いた様子で私を呼んだ声色が、数秒後には一転した。
「ちょっと何やってるんです!?早く応急処置を!」
心配そうな瞳で、彼には珍しく焦った声で言葉を紡ぐ彼をじっと見ていた。白い寝具に移ってしまった私の血液が広がる様。彼が私の手を取って状況を確認する様。まるで口が利けなくなったように黙り込んで、ザークシーズのことばかりずっと、ずっと。
「抜きますから、歯食いしばってください。」
人差し指の関節に刺さった鏡の破片を持った彼が言う。そしてその直後に襲った痛みに「うわぁッ!!」そう初めて声を上げ舌を噛んだ。
「歯食いしばれって言ったでしょう?一体どうしたんですか?」
どうしたんだろう。
「人の話聞いてます?」
「・・・ッ!!」
バチンバチン。反応しようとしたら間髪入れず浴びせられた頬の往復びんた。ザークシーズ・・・今のは本気で痛かったよ。
「幻覚を見ていたみたいなの。慌てちゃって、そしたら鏡割ってた。」
「あなたまさかまた。」
ジッと私を見るザークシーズの云わんとすることを理解して全力で否定する。
「ち、違う!麻薬なんてやってない!!」
「まぁ、信じましょうカ。それより服着て下さい。医師を起こしに行きますよ。」
「え、いいよ。こんな深夜に起こしては迷惑だし、こんな怪我明日でも。」
「ダメです。こんな時に役に立たなかったら何のための医者ですか。それに私も目が覚めてしまったのでちょっと散歩に付き合いなさい。」
「お医者さんのところまで?」
「ええ。」
『恐いんでしょ?受け入れてしまうのが。』
恐い。
私は恐いのかな。
恐い。
『答えはもう出ているのに』
分かってる。分かってるんだ。
『なぜ貴女は受け入れようとしないの』
だって、恐いから。
「何ですか?」
見上げる彼。もう当たり前のように何年も傍にいてくれる男性 (ヒト)。
いつも私を守ってくれたこの男性に、
今こうやって隣を歩くこの男性に、
『死ねばいいって言われるのが恐いんでしょう?』