ずっと、
ずっと、
ずっと、
店が閉店時間を迎えても座り込んだ私はその場を動くことができなかった。毛布を持ってくれた女将さんには心配を掛けてしまうし、話されたことをどうにか理解しようとする頭はグチャグチャ。雪が降り止まない深夜、自分の考えや感情がどこにあったのか分からない。ただ、漠然とそこに座りザークシーズの言葉を、悲痛なレイムの表情を思い出していた。
キラキラと積もった雪が反射したことで、太陽が登ったことを認識して力の入らない足で身体を起こす。寝ていない割には目が覚めていて、毛布を畳み、女将さんに感謝の書き置きを残して裏口から外に出た。
冷たい外気は昨日と変わっていなかったけれど、太陽の光りがあたれば暖かい。
『キースは君を利用していたのだよ。』
ショックだった。そんな話、聞いたこともない。ただただ愛していた男性に私が利用されていただけと言うのなら、疑いもせずまんまと罠に嵌った私はなんて愚かだったのだろう。
「相手が悪いなぁ・・・。」
ザークシーズではなく、他の誰かにこんなことを言われていたら私は笑って、そんなのただの作り話だとその相手を軽蔑できただろうに。あの男は冗談で自分の利益にならないことを言ったりしない。お気楽でフザケタ道化師が昨日見せたあの、真剣な顔。それに、彼を非難しなかったレイム。
話されたことは事実なのだろう。
私が知らなかったキースの人生の一部。
パンドラとウィンベリーの関係が上手く繋がったものだ。現在はバルマ公爵家の使用人でもないただの産業公爵家がパンドラに身を置いていることを不思議に思っていた。
それに、あの家の人間の態度。当時婚約者となった私を歓迎してくれたウィンベリー家。それはチヤホヤされ、まるで娘の様によく家に招待してくれた。
『実験といってもそんなに大したものじゃない。心配するな。』
例の実験の話が大詰めになった頃からウィンベリー家は私に手紙すら寄こさなくなった。今思えば、一家は私を怨んでいたのだろう。私は被験者になるカモだったからチヤホヤされていただけだった。それがまかい間違って跡継の二男が自ら被験者に志願してしまった。
私は実験の詳細をしらなかった。
誰も、何も教えてくれなかった。
まさか婚約者を殺すために契約させられたなんて、知らなかった。
『・・・。』
銃弾を浴び、もう息も薄い状態で倒れていた彼の前に引っ張り出された私は、目の前にある現実を受け入れられず呆然とその場に足をついていた。蚊の鳴くようなこれでキースが何度も私の名前を呼んだ。
キースを囲う様にパンドラの仲間が囲う。重要人物達は随分離れた背後から実験を目にしていた。
なんで。
なんでキースが倒れているのか。
『攻撃なさい。まだチェインが2体彼の中にいるのよ。それを出すの。』
『・・・チェイン?』
『いいから早くしなさい。大事なキースがアヴィスに落ちてもいいの?』
朦朧とする中、チェインとアヴィスという単語で何かが繋がった気がした。崩れる私の背中を蹴飛ばし、髪を引っ張り無理やり立たせたのはキースの姉の一人だった。
『早くしなさいよ!!あんたの・・・あんたのせいでキースは!!!!!!』
グッと口を噤んだ彼女が言わんとすることが分からなかった。なにが、私のせいなの?私は何も知らない。歯を噛みしめて、大好きな人の姿を目に映すことしかできない。
なにがなんだか。
夢、そうこれは夢だ。
そう思いこんで早く覚めろと叫んだ。
『!!』
パニックになっていた私の名前を知った声が呼んだ。引っ張られる髪の痛みに耐えながら恐る恐る振り返るそこには、取り押さえられているレイムと兄のエディがいた。きっと、このバカげた実験を止めに入ろうとしていたんだろう。
『聞くんだ!』
無断で声を上げた兄を蹴飛ばす上官。蹴られた腹をグッと抑える兄は、目に涙を溜めていた。
『早く、攻撃しろ!』
『・・・え?』
なんで、なんで、なんで。私が彼を愛していることを知っているエディ兄さんがそんなことを言うから、ああやっぱり悪い夢なんだ、そう思った。
『こいつらに・・・!パンドラに利用され殺されるくらいなら、最期はお前の手で逝かせてやれ!!』
『そ、そんなこと・・・できるわけないじゃない!!!!』
両手で頭を抱え、吐き出す。愛した人を殺すなんて出来ない。出来るわけがない。
『!!キースを還してやるんだ。百の巡りに!!!』
エディの叫びにハッと、顔を上げた自分がいた。
『また、この世界で生まれ変われるように!!!!!次の人生で、幸せになれるように!!!!!』
頭に上っていた血が足に落下した。そして実験室の扉が開いて、誰かがこちらへ走ってくる。それがザクスだとはその時気がつかなかった。
『!私が殺ります、だからあなたは!』
レイムとエディを抑えつけていた者たちを相手地にねじ伏せ、2人を解放したザクスの声が部屋に響いた。
『おいで。ほら、こっちに来て。』
生まれ変わった彼が、笑う姿を思い描いた。
大好きな花に囲まれ、森で動物達を可愛がる彼の姿を思い描いた。
アヴィスになんて堕とさせない。
それだけが、フラメルを呼びだす原動力になった。
手で顔を覆って、チェインを発動した。
『!』
私がフラメルを出すと、ザークシーズはマッドハッターを出せない。解放され走ってきたエディに強く抱きしめられ、彼の胸の中で泣いた。嗚咽は終わることなく、吐き気すら催した。
その数秒後、炎に包まれたキースの身体から二体のチェインが外へ解放され、彼の最期の叫び声を聞いた。熱い炎に焼かれ苦しむ声に顔を向けられず、私はずっと兄さんに顔を埋めたまま。耳を塞いだ。やめて、こんな声を聞かせないで。何度も心の中で叫ぶ。
神様は、アヴィスの意志は残酷だった。
彼の身体には、もう何も入っていないのに彼の身体はアヴィスへの道に吸い込まれて行ったのだ。何故だ何故だと観衆から上がる声。
もう終わりだと思った。
彼が教えてくれた幸せという意味。彼がいたから手にしていたそれが音も立てずにゆっくり崩れて行く。バラバラに、ガラスの破片よりも粉々になって。
吸い込まれて行く遺体に触りたくて、離れたくなくて、エディを振り払い駆けだしていた。
あと数メートル。
あと数メートルで触れる距離で、突然背後から前に現れた男に肩を持たれ、足の間に足を入れられ、強い力で前進することを阻止された。靡く銀の髪から薫る甘い香りが鼻についた。
『ッ!!』
『っなして!!離してぇぇ!!!』
『いかせません!!!』
彼の力には勝てない。あんなに細いのに、一体どこにあんな筋力があるのだろう。
『いかせない。絶対に!』
そして少し高いザークシーズの肩越しに、キースの身体が視界から消えたのを見た。
『あ・・・。』
声が消えた。
泣き叫んでいたのが嘘のように涙だけになり、立っていられなかった。でも膝を地面に打つことはなかった。ザークシーズにゆっくり降ろされた時は頭部と腰を抱きしめられていたけど、他の事は分からない。
彼がどんな顔で私を見ていたのかも見えない。
何かを言っていた気がしたけど、耳に届かない。
バタバタと忙しそうに回収作業を開始するスタッフ、だんだん静かになっていく空間。
動かない私を不審に思ったザークシーズが私の身体を解放した瞬間、身体が後ろへ向かって倒れた。
『!』
驚いた彼が左腕を掴む。
耳を掠める涙は止めどなく。
鼻につく人間が焼けた臭い。
もう、何もかも終わった。
後頭部強打を避けた状態で宙ぶらりんの私が見たのは、天窓の外。
遥か頭上で輝く満点の冬の星達だった。
ザークシーズが昨日打ち明けた事、それは結果論だ。
ああ、久しぶりに嫌なことを思い出した。
石畳に転がっている新聞を蹴飛ばす。キースが私を利用したかしなかったかなんてどうでもいい。最後には愛してくれた。そのことに変わりない。
「帰ろうかな。」
何処へ?
誰かが耳元で囁く。
か、それともレインズワースの新しい家か。
行き先も分からない足は勝手に動く。ぼーっと動く足を見ていた。前を見ずに人にぶつかって、怒られて。それでも足は止まらない。
気づけば私がいたのはパンドラで、正門を潜り中央のエントランスに向かい歩いていた。
「様!!」
前方で聞いた声にようやく顔を上げる。ずっと下を向いていた首が痛かった。慌てた様子でこちらへ掛けていたのは部下のリンダだった。
「心配したんですよ!レインズワースにもにも帰っていないとオリヴィアさんが昨日慌てて!」
「悪いね。ちょっといろいろあって。でもこの通り、無事だからオリヴィアと両家に連絡してもらっていい?これから一回に帰る。」
「分かりました。」
「ねぇ、リンダ。ちょっと頼まれごとしてくれないかな。」
「なんなりと。」
「ザークシーズ・ブレイクの今後の予定と今関わってる事件について調べて。」
キョトンと首を傾げた彼女が私の持っていたバックを取り、身体を並べる。
「ご本人に聞かれるのが早いのでは?」
「聞けないから頼んでるの。内密に調べて。それも超至急。これ、使って。」
「・・・かしこまりました。」
ザークシーズから預かっている鍵を渡した。
あの男の部屋に忍び込んで書類写してこいという超難題な命令を理解したリンダは息を呑んだ。
「先ほど様がの家にいると連絡を受けました。」
皆が集まり紅茶を呑んでいた部屋に扉を開け入ってきた従者のオリヴィアさんとブレイクがやれやれと安堵の息を吐いた。
「専属の医師のところに薬を貰いに行ったようです。直にこちらへ向かうということデス。」
「そうですか。それはよかった。」
同じように安堵の息を吐くシャロンちゃんは今日、あまり元気じゃない。いつも通りに振舞っているけれど、ふと落としたように見せる表情がらしくないな、そんなことを思う。
「オリヴィアも掛けたらどうだ。」
「ありがとうございます、ギルバート様。」
ギルが引いた椅子に掛けたオリヴィアさんは肩のに力を抜いて、紅茶のカップを手にする。疲れた顔をしている、きっと昨日は寝なかったんだ。いや、寝れなかった。主が心配で。
「あの方のお嬢様らしからぬところは珠に傷です。外では子供と泥遊び、街では不良と喧嘩、2,3日いなくなったかと思えばパニックになり心配する従者の前にいきなり帰ってくる。怒れば反発するし、外出禁止を言い渡せば暴れる・・・。男ばかりの環境で育ったから仕方ないと言えば仕方ありませんが。」
「大変ですネェ、オリヴィア。私はその気苦労がなくてホンとに良かった良かった。感謝していますよシャロンお嬢様。」
「ふふふ。昔私がに川に連れていってもらったこと覚えてますか?遊んで水浸しで帰宅したときのあなたの表情、今でも忘れていませんよ。」
「そのあと風邪を引かれたんでしたっけねェ。」
「ええ、でもすごく楽しかった。懐かしい思い出です。実は今日もと約束しているんですよ。」
「初耳です。寒中水泳なんて許しませんヨ?」
「いえ、それは流石に。街へ買い物に行く約束をしていたのですが、お昼までに戻っては戻ってくるでしょう。オズ様、オズ様たちもご一緒にどうですか?」
「え、いいの!?」
「はい。今年ももう残すところあと僅か、街では今年最後の市が出ていますわ。」
「行く行く!ギルとアリスも一緒にくるよね?!」
「私は行くぞ。ここにいても暇だからな。」
「お前が行くのに残るわけにはいかんだろう。」
「わーい!楽しみだ『ガコンッ!!!』・・・な??」
ガコン?
「・・・何か今すごい音しなかった?」
いや、聞き間違いではないはず。従者2人が目を配らせる。ブレイクの視線に頷いたオリヴィアさんが立ち上がって、扉を開けた。
ああ、外から聞こえた音だったんだ。
廊下の左を見て、そして首を廻し右に廻す彼女を誰もが見ていた。そして彼女が目を見開いたのを見た。目元を引き攣らせ、立ちすくむ彼女に俺、ギル、そしてブレイクも駆け寄った。
「オリヴィア、どうしたんで・・・。」
「え!!!??に・・・。」
「ヴィンセント?!って!」
一同、風化。
「皆さんどうなされました?」
「わー!!!見るなシャロン!!!!!」
顔を真っ赤にしたギルが後から追いかけてきたシャロンちゃんの視界を手で多い、部屋に引きずり戻した。バタンと閉まった扉の中でシャロンちゃんの抗議の声が響く。
初心な彼女には見せられない。
一体何がどうしてこんな格好になったのか。
手に花束を持ち、倒れている。その上に覆いかぶさるヴィンセント・ナイトレイ。
のドレスの裾は上がり、太ももから下が完璧に晒された左足。そしてヴィンセントの手の位置がありえない。
片方は白く細い太ももに置かれ、もう片方がの胸の上。顔はまるで胸に埋まるように位置づけられ、そこから静かな寝息が聞こえる。
ぞぞぞぞぞ。
隣に立ち閻魔のような表情を浮かべるブレイクから、漆器よりも真っ黒な空気が上がるのを見た。
「・・・ん?」
目を開けた先に天井。そして重く圧し掛かる人物。ああ、そうか。私は倒されたんだっけ。
『。』
レインズワースの屋敷に到着して、シャロン達がいるという部屋を目指していた。後ろを誰かが歩いているのは分かっていた。使用人かと思っていたのに。ふいに掛けられた言葉に振り向くと、顔に綺麗な百合を押し付けられる。
『ヴィンセント・・・。』
『家にも行ったんだけど『はレンズワースだ』ってアルフに不機嫌な顔で言われたから追いかけてきたんだ。』
それはそうだろう。ナイトレイの人間がいきなり来て歓迎するじゃない。
『はい、これ。』
『・・・この前あんたに貰った黒バラのせいで私は大変な目にあったんだけど。』
『これには毒なんていれていないよ。昨日の、29日へ贈る花さ。』
毒なんて入れてない、と可笑しそうに笑う男に腹打ちを入れてやった。『もうしないよ。ごめんね。』頭を撫でられ、結局百合を受け取る。この男は毎年私に直接29日への花束を届けに来る。それが分かっていたから素直に貰うことにした。ヴィンセンとが持ってくる花はクオリティーが高い。この百合も、まるで造花のように完璧な美しさを誇っている。
『ギルにも会いたくてね。お邪魔したのさ。』
兄弟愛は相変わらずだ、そんなことを思い並び歩いていた。
異変が起きたのは目的の扉まで数メートルの位置まで来たときだ。
『ヴィンセント?』
急に立ち止まった男に振り返る。するとオッドアイの上に瞼がゆっくりと下りてきて、身体が前に倒れこんできた。
『ちょっと!!ヤマネこんな時に!?』
ガシッ、と支えたけれどその身体は思っていたより重くハイヒールにドレスを着ていた私は一緒に倒れこむ。
その拍子に、置物の大きな花瓶に頭を打って・・・・。
「んんん。」
重い男を押し上げ、自分の身体を起こす。何だか足がスースーすると思っていたらドレスが乱れに乱れ、しかも男の手と顔が胸近くにあった。
全く・・・、心の中でそう溜息を吐き出すと同時に視界に入った6つの足。ゆっくり視線を上げ、足の持ち主を確認して私は口元を引き攣らせた。
オリヴィア、オズ様、それに・・・。
「ヴィンセント!!起きて!早くしないとあんたブレイクに殺され・・・。」
ものすごい剣幕で近寄ってきたザークシーズがすっごい恐い目で私と未だ眠りにいるヴィンセントを見下ろした。
「この溝鼠ッ!!」
ドカッ!!!
「あー!ヴィンセント様!」
オリヴィアが驚いて吹っ飛んだヴィンセントに駆け寄る。ザークシーズが蹴り飛ばしたのだ。急に重りがなくなって身体が軽くなった身体を起こしてとりあえず捲れたドレスを正した。
「た、ただいまぁ。ブレイク、さん?」
よっと手を上げて笑顔を作ってみる。ギラリ、私を見た紅い目にははは、と声にならない笑いを上げた。
反応が、ない。
一難さってまた一難。
『その身体、他の男に触らせないでくださいヨ』
いつかさせられた約束を見事に破ってしまった言い訳をどうしようか、殺伐とする空気の中で必死になって考えた。