「おはようございます、お嬢様。」
「・・・おはようございます、ブレイク。あなたに起こされるなんて何時ぶりでしょうか。」
目を擦り起き上がる主。彼女の言うとおり、起床を促すため部屋に足を入れたのは久しいことだ。ベッドに腰を下ろし、まだ完全に目の覚めていない主の乱れた髪に指を通す。それはサラリと簡単に解けて流れる様にシーツへ落ちていく。
「今日はシェリル様とウィンベリー家と家のご訪問でしょう?長寝していてはお待たせしてしまいますヨ。」
「そうでした、今日は・・・。」
白いチェストの上に立てられたカレンダーに目を細め俯くお嬢様の頭を撫で立ち上がる。雪が降り出しそうな空は重く、圧し掛かってくるようだ。
「ブレイク、は?」
「朝早く出ていきました。」
まだ太陽が地平線に顔を出さない時間、起き上がった彼女に髪を触られるのを虚ろに感じた。夢だったのか、現実だったのかは分からない。結局言葉を交わすことなく閉められた扉の音が部屋に響くことはなく、性もなく独りになった部屋で誰かが側にいることの大きさを夢で感じた。
公爵家の愛娘がレインズワースのたかが使用人の元で暮らすという話は公にされなかったものの、知る者には大いに批判的な目で見られた。唯一救いだったのは家の方々が口を揃えて了承をくれたことだった。
「彼女の後を追いかけて行くのでしょう?私は行けませんがをよろしく頼みます。」
「ええ。でも会いに行くのは夕方になってからにします。」
「なぜです。私の護衛なら必要ありませんが?」
「パンドラで片付けたい仕事があるもので。レイムさんにもそろそろ雷を落とされそうですし。」
シェリル様とシャロンお嬢様、お二方が不在の間にどうにか済ませてしまいたい。の言葉に甘え押し付けていた仕事の三分の一をまた自分で片付けることにした。慣れないことに慣れるのはなかなか難しく、結局放ったらかしにしていたパンドラの雑務は溜まりに溜まって、最近ではレイムも手伝ってくれないほどになってしまった。
そして別件で引き受けたある事件の調査。本当なら『お断りです』と蹴飛ばして投げつける上官からの依頼。引き受けたのは個人的に気になる一件だからだ。
「ブレイク、あなたこんな日に・・・!パンドラとどっちが大切なんですか!?」
目を見開いてハリセンを手に取り出したシャロンから2歩ほど後ずさる。ちょっと待って下さいと両手を上げてみれば、彼女は今にもベッドから飛び出してこちらへ突進してくる勢いだ。
「仕事がなくても、会いに行くのは夕方にしていましたヨ。私だけじゃない、きっとレイムさんも同じ考えでしょう。」
ハリセンを降ろし、首を傾げるシャロンを見る自分がいつもと違い元気に満ちていないことくらい分かっている。それは落ちてきそうな空のせいであり、また今日が1月29日ということもあり。
「四大公を初めとした多くの貴族の訪問に見舞われるウィンベリー家。そしてウィンベリーの跡取りであった次男の婚約者がいた。」
10年前に起きたある事件。四大公爵家が引き起こしたと言っても過言でない隠蔽された「事故」は悲劇だった。巻き込まれ、利用され、そして殺された一人の青年の死は四大公爵家に深い傷を残し、今日まで忘れられることがない。
毎年命日の前日、1月28日には公爵家から多くの花が青年の墓に贈られ29日が弔われる。
はもう青年が眠っている花に囲まれた墓石に腰を下ろしているだろうか。
こんな寒い中、冬の墓場で。
「一人に・・・いえ、二人きりになりたいでしょうから。」
一年に一度1月29日にのみ墓を見舞うが、
一年に一度、二度と目を覚ますことのない彼と二人になれる時間だから。
「邪魔はしたくないんデス。」
私に入りこむ隙なんてない。
「すごい花の量でしょう?」
「本当にすごいな。」
「例年の倍はありますネ。」
パンドラで顔を合わせたレイムと共に向かったレノアルド墓地に贈られた花に囲まれた墓石。そこに座り込むがいた。日が暮れる夕方、私達を見つけた彼女は立ち上がり『じゃあね。』そう石に漏らす。
「もう少しいていいんだぞ。私達は先に『隠れ家』へ行く。」
彼女の髪に乗った雪を払いながらレイムが言う。
「いいのいいの。もう充分。」
寒いしね、そう苦笑する彼女は名残惜しそうな様子を見せず歩きだす。例年のこと、1月29日の晩は行きつけの居酒屋へ向かうのが好例だ。そしての気がすむまで呑む。感情を酒で押し込める解決策はどうかとは思うもの、今日と言う日くらい好きにさせようとはレイムの台詞だ。
「ザークシーズ?」
振り返り首を傾げるに、
「どうした行くぞ。」
困ったように眉を顰めるレイム。
白い花と白い雪に囲まれた墓石に目を細め、顎を引いた。
「後から行きますヨ。どうぞ先に行っていて下さい。」
何の音もしない静寂、視界の前で動きがあるのは落ちてくる雪だけ。『キース・イヴァン・ウィンベリー』と彫られた石の目の前に足をついた。
私も、もこの墓を訪れるのは今年が最後になるだろう。
だからかつての友人と2人の時間を共有したかったのは、彼女だけじゃない。私も同じだ。
「キース。」
呼んでも返ってくる返事などないことは分かっている。
「君は私がを君の元へ行かせなかったことを怒っているかい?」
死んでアヴィスへ堕ちる婚約者を追いかけ、共に落とされようとしていた彼女を全力で抑えこんだのは私だった。
この墓にキースの死体は入っていない。それを知っているのに、自分の理性を殺し、悲しい事実を抹殺しようとしたは今、彼が本当にここに眠っていると思い込んでいる。
この墓に誰もいない事実を彼女は思いこみで塗りつぶした。
「今、パンドラである事件を任されているんデスよ。君の過去とウィンベリー家に大いに関わりのある件だったので引き受けましタ。」
アヴィスの意志の願いを叶えること、
そしてあの事件と君が背負っていた過去を暴くこと。
その2つが私が今なお生き続けなければならない糧となっている。
「レイムにも相談したんですがにね、話そうと思うんデス。」
私が知る、君と分かっている限りのあの事件の全貌。
「大体あなたが何も言わずに死んだから私とレイムが悩むことになったんです。そこ分かってます?『隠し事なんて最低だ』なんて私を怒鳴りつけた事のあるあなたがですよ。」
一度墓石を蹴飛ばしてやった。
「・・・彼女には知る権利がある。そうでしょう?」
私をレイムが知りながら今まで何も話さなかった事柄を聞いたら、彼女は今度こそ壊れてしまうかもしれない。それでも、聞かず死なせたくはない。それは私の勝手な我儘かもしれないが。
「あ、それと今彼女と一緒に生活してます。事後報告ですが。スミマセンね、横取りして。」
もう本人から聞いているか。
「彼女も私も、もうすぐ逝けそうですよ。」
きっと、私よりも早くに彼女が。
「今さらですが、どうぞ安らかに。」
いつか、空で会えることがあるなら、その時は笑い合えることを願って。