止まってしまった銀時計

「シャロンが行方不明?」

首狩りの一件に新しい情報が入り捜査に追われているところ飛び入るように入ってきた別件に、持っていた眼鏡ケースを落っことした。捜査に出した部下2人は未だに戻って来ない。まさか出かけ先で何かあったのではないか、そんな気疲れと連日の不眠症の反動がこの期におよんでやってきた。

「事実なの?」
「ああ。犯人の目的は分かっていないが誘拐の線で上層部は話を進めている。」

このクソ忙しい時に・・・。
額に冷や汗を浮かべ事を手短に話すレイムを前に手を額に当てた。心なしか、頭が痛い。

「分かった。シャロンのことはこっちでも調べておくから、レイムは四大公会議でしょ?早く行ってきなさい、遅れるよ。」
ザークシーズは今おそらく現実世界にはいない。フラメルでマッドハッターの気配を探ってみるけれど全く足がかりがつかめない。

『猫がね、掛かったんですヨ。』
最後に会った時ザークシーズがそんなことを言っていたことを思い出す。ケビン・レグナードの片目を受け取ったというチェシャ猫。あの黒猫に巻き込まれている、基自ら巻き込まれに行ったのなら早々は帰って来ないと踏むのが正解。

レイヴンの気配も、ビーラビットの気配もない。

「まさか全員あの家にいるの?」
だけどエクエスの気配は薄くある。ということはシャロンは現実世界にいる。誘拐もまんざらではなさそうだ。従者がいないよりによってこんな時にシャロンが攫われるなんて。いや、まさか従者がいないこの時を狙った・・・?


「こんばんは、。」
不意に背後から掛けられた声に振り返る。誰かが近づいてきた気配は全くなかった。忙しさと動揺に完璧に気を張るのを忘れていた、失態。

「ヴィンセント。」
「薔薇を摘んだんだ。君にもあげようと思って。」
はい、と差し出された黒い薔薇の花束を凝視する。ニッコリ笑う男の手に自分の手を出して花束を受け取った。

「私に花束なんてなんのつもり?」
受け取った瞬間、鼻についた異臭に噎せ返る。
「ふふふ。君は鋭いからね。今邪魔されるのは困るんだ。」
そして血が頭に登るのを感じ、全身を襲ってきた鋭い痛みに膝を床についた。
「一体・・・。どう・・いう。まさか、あなたがシャロンを・・・」
「悪いね。死にはしないよ。そんなに強い毒ではないから。」
「ヴィンセント、あんた!!」
「ほら、大人しくして。君は寝込んでくれればいいんだよ。」

私の唇を彼の人差し指がなぞるのを感じる。ゾクッと冷たい悪寒を背中に感じると同時に意識が朦朧とし始めた。

「・・・ッ。」

シャロン。

薄く開けた視界に移る世界の角度が落ちて行く。
もう、頭を地面に打ち付けても何の痛みも感じなかった。




















『・・・なんですって?』
ヴィンセント・ナイトレイの元から主を取り戻し安堵の感に浸っていたザークシーズにの姿が眩んでいることを告げれば彼は私の肩を掴み、手に力を込めた。

『何度も言わせないでくれ。俺だってこんな報告はしたくない。』
私は、罪の意識に苛まれていた。
『シャロン様の捜索を・・・に頼んだのは私なんだ。』




シャロン・レインズワースを保護したと従者のザークシーズ・ブレイクが四大公に報告した後、すぐに同じく行方不明になっているの捜索が行われた。彼女の姿を最後に見たレイム・ルネットはそれがパンドラ内であったと報告している。パンドラを構成するの人間は全員が捜索に加わり、同じく彼女と交流関係にあるルネット家、そしてレインズワース家の関係者もまた共に2日間を費やした。

レベイユ市内に数あるパンドラの施設そして本部の捜索の成果もなく、誰もがもうダメかもしれないと諦めていた際、駆けこんできたのは直属部下の一人イザベル。パンドラ本部の地下にある犯罪者を収容する務所の奥にある昔処刑場として利用されていた個室の扉が閉まっていると、彼女が息を切らして捜査本部に走ってきた。

「この部屋の鍵は!?」
「それがあるべきところにないんです。上層部に確認を取りましたが、誰も何も知らないと。」
「ブチ破るしかないってことですカ。」
「ああああーダメですブレイク様!この部屋はそんなに大きくありません。鉄の扉が倒れて様に当たったりしたら!!」

ダメ、絶対ダメ。
そう慌てるイザベルを背後に突き飛ばし、ザークシーズが鞘を抜いた。

「そんなのが当たって死ぬほど弱い女ではないでしょう。」
「あなた様を鉄筋コンクリートとでも思ってるんですか!?」

次の瞬間、ドンッと音を鳴らし倒れた鉄の扉をイザベルが瞬時に発動したチェイン、ゴーレムが支える。中で倒れていたのは、みなが探していた長い髪の女、その人だった。

!!!」
「しっかりするんだ!!!」
様!!!」
彼女を抱き上げるレイムが、頬を叩いて起こすことを試みるが彼女は少しも反応を見せることがない。青ざめた肌の色、重力に落下し床に広がる巻き髪。





見ていなかった。
シャロンを取り戻すことだけに神経を置いて、に目を配っていなかった。保護したシャロンよりもずっと顔色の悪い動かない女を目の前に剣を壁に殴り付けた。

ジンッと伝わる振動。
シャロンを奪われたこと、100年前の記憶を消し去ったこと、そしてをこの状況下に置いていること、全てが許せない。



ここまで自分の甘い判断を呪ったのは久しぶりのことだ。


































『もちろん私も行きます!!』
一連の事件後、体調を取り戻しになったシャロン様、ザークシーズそして私が公爵家を見舞いに訪れたのは、まだが目を覚まさない週末のことだった。彼女の従者であるオリヴィアに案内されたの自室には当主のキリル・と母君のマリアンヌ様がおいでだった。

「マリアンヌ様、この度は私のせいでが・・・。」
目に涙を溜め、頭を下げるレインズワース公爵家の娘。そして同じく頭を下げるザークシーズを前にのお二方は戸惑うように顔を見合わせそして私達に向き合った。
「お顔をお上げ下さい、シャロン様それにザークシーズさん。」
優しい瞳でシャロン様の肩に手を添える淑女はが横になっているベッドに目を向け続ける。
「あなた方のせいではないのです。あの子が自分の身を守れなかった、それだけですわ。」
首を振り視線を床に移す彼女はと似ても似つかない容姿をしている。隣に立つ当主、キリル様もまたとは違う顔を持っている。
「あれはさんの物ですか?」
ふと視界に入った彼女の机にある煙草の箱を見て、ザークシーズが口走った。
やはり、本人から聞いていなかったのか。

「ええ。」
回答に驚いた表情になった2人。が禁煙を始めたのはもう10年以上前。それ以降、彼女は煙草を一度たりとも手に取らなかった。シャロン様とザークシーズを前にマリアンヌ様が一度深く息を吸い、それを吐き出す。

「あの子は・・・はもう長くないのです。」
告げられた事実に手で口元を覆うシャロン様、そして紅い右目を見開くザークシーズ。
「随分前から持病の治療に目処が立たず、その上チェインの負担が圧し掛かり。」
涙声になったマリアンヌ様を止め、私が話すよと代わるキリル様のこの様な表情を見たのは初めてだった。常に女装をしている彼を人は変人と呼んでいる。

「2カ月前から服用する薬の量も倍になった。最期くらい好きに生きるのだとずっとやめていた喫煙を再開したのは最近のことだ。」
「・・・レイムさんはご存知だったのですか?」
マリアンヌ様同様、涙を浮かべるシャロン様のお顔を見ることができなかった。無意識に拳を握る。遣る瀬無さが、襲ってきた。

「はい。本人から聞いていました。」
彼女はシャロン様とザークシーズに余命の話をすることを拒んだ。バレる時がくるまで、2人には言うな。そう固く口止めをされた。

「もってあと数カ月だと。」
「数カ月・・・?そ、んな。」
隣で立ちすくむザークシーズを見上げるシャロン様の頬を涙が伝った。シンッと静まり返った室内で、窓から吹く風だけが動作を見せる。

「10年前心を病んでいたあの子を救ってくれたレイムにザークシーズ、そしてお友達になってくださったシャロン様、どうしたら私達があなた方を責められることができましょう。どうか最期まで、普通に接してやってはくれないだろうか。あれは病人だとチヤホヤされるのが大嫌いなんだ。」

頼む、そう家当主そしてマリアンヌ様に深く頭を下げられた。

有名な公爵家の当主が格下の者に頭を垂れるなど、初めて目にした光景だった。