One for All









One for All



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「本命と思われるバレンタインのチョコレート数、235個。俺が知る限りでは精市の過去最高記録を見事に更新だ。」
「柳先輩そんなに軽ーく言わないでくださいよ。数えんの大変だったんすから!」



恋心に戸惑い、迷い、そして気持ちを好きな人に打ち明ける乙女の日ことバレンタインがほぼ終わりを迎えようとしている。昼休み、いつもならクラスで大笑いをする男子クラスメイトの数が異様に少ない。午後の授業が始まる数分前に戻ってきた男子の多くが手に包みを持って現れた。ガッツポーズをしながら帰ってくる生徒がいれば、クラスメイトがおめでとう、と拍手で歓声を送る。

『今野にもようやく春が来たか。』

卓球部の今野君が顔を赤らめながら持って帰ってきた包みに視線を投げた春希は頬肘をついて微笑んでいた。






今日一日で一体何人の女の子が告白をして、ゴメンナサイを言われたのだろう。そして何人の女の子が誰かと付き合うことになったんだろう。悲しみも幸せもバレンタインという言葉に溶かしてしまう不思議な日に夕日が差し始めた。
女子テニス部は明日の部活後カラオケで報告会だ。
みんな素敵な一日を送れているといいな、そう心から思う。

今日女子テニス部の活動は、ない。男子テニス部の部活開始前、彼らの部室前で中の話に耳を傾けていると笑い声やらチョコレート獲得数ゼロだった部員の喚き声が聞こえてきた。そして柳によるレギュラーのチョコレート数報告。

「235個・・・。そんなにもらったんだ。」
しかも、本命だけだって。義理もいれたら何個だったんだろう。

「負けた。」
30個差で、幸村に負けた。

今日、朝登校した私を待っていたのは漫画に出てきそうな光景だった。開けた下駄箱に狭し敷き詰められている可愛らしい箱やら手紙、同じような包みが塔になっていた教室の机、そして隣の席の松永の机の上にまで『先輩へ』と書かれた手紙の数々が置かれていて、それを見た男松永は自分宛が一枚もなく苦笑い。昼休み部室に来てみれば見なれない段ボールが1つ、その上には琴音の文字で書かれたカードに『クラスの方々からカトレヤに渡して下さいと頼まれた物です』と書かれている。

長妻先生にビニール袋を沢山貰って、顔も分からない誰かからの贈り物を詰め込んだ。ホワイトデーは全員に返すべきなのか、こうゆうことにはベテランそうな幸村に聞いてみようと思う。




「みんな今日も練習頑張ってね。」

音も立てずに入りこんだ男子テニス部室で項垂れている1年の肩に手を乗せ言えば、奥で着替えていたレギュラーの視線を一気に浴びることになる。ざわついていた部室が静まり返った。

「レッドローズじゃ。」
「すっかり幸村君のところに行っていらっしゃると思っていました。」
先輩何してんすか!幸村部長の面会時間終わっちゃいますよ!」
「そうだぜい。幸村君バレンタインデート楽しみにしてたんだから早く行け。」

早く此処を立ち去って病院へ行けとレギュラーから非難の言葉を受け止めてヒラヒラと手を振る。

「はいはーい。行ってきます。ついでにその235個が入ったバックも持って行くからちょうだい。」
「大丈夫か?」
「大丈夫、持てるよ。」

筋力ならそこらの男子には負けない。大型バックを2つ肩に背負って今さっき閉めたばかりの部室のドアに手を掛ける。女子部は休みでも、男子は部活。レギュラーに用がある女子メンバーも多いのに、これじゃ今日休みにした意味がないなと溜息を吐く。


今部活をまとめている男子の副部長が、恋愛や恋のイベントに疎い男だから仕方がないのかもしれないと思いながら。








『何でみんな此処にいるの?』
男子部室に来る直前に寄った女子部室には奈々、春希、琴音それに由里亜が座って談笑をしていた。もうとっくに帰ったのだと思っていたから、既に空いていたドアに驚いた。

『相手待ち中。早く仁王君来ないかなー。』

机を囲んで好きな人を待つ4人はまだ、バレンタインの幸せが訪れていない。いつも通りに振舞っている彼女達も、心の内ではドキドキしているはずだ。興奮にエネルギーが切れないうちに、相手に会わせてあげたいと思うのは何だか4人の姉のような心境だった。










「真田、今日の練習早めに切り上げてあげて。」
「む?」
「女子テニス部部長命令、よろしく。」

病院に行く前に男子の部室に寄る予定はなかった。寄ったのは、これを真田に伝えるためたけだ。4人の姉になったつもりでのちょっとした助言。
預かった幸村への荷物は想像よりも重い。案外定番のチョコレートやお菓子だけがバレンタインのプレゼントではないのだろう。これは本とか、ガラスとかが入っていそうな重みだ。


肩に乗せた大荷物と家から持ってきた自分の荷物を持って歩く道で、冬の夕日がとても赤く輝いている。




























「おじゃまします。」
「もう来ないかと思った。」


学校の近くにもある図書店と同じブックカバーが彼の手元で目に入る。何の本だか分からないそれを閉じた幸村は私を見て、私の持っているとんでもない量の荷物を見て、呆れたように苦笑いした。



「これ柳達から預かってきた。本命235個おめでとう。」
「好きな子に他の子からのバレンタインのプレゼントを貰う男の心境、分からない?」
「いいじゃない。私はそんな君の気持より早く本命の気持ちが幸村に届けって願ってる女の子達の気持ちに味方してあげたい。」
「世界中が君みたいな子ばかりなら、きっと嫉妬とか憎みなんて生まれないだろうね。」


確かに幸村宛のプレゼントを見ても、贈った女の子達の気持ちを考えても嫉妬という感情は生まれない。でもそれは私がその子達を知らないからだ。アンアンは幸村にチョコレートをあげたのかな。そんな疑問が思考を掠ったけれど、嫉妬という感情が生まれる前に横から注がれている視線に気がついて顔を上げる。


からはもらえないのかな?」


優しい目元。首を傾げて、ねぇ、と問う幸村は確信犯。渡すものがなかったら、わざわざ他の子からのプレゼントを届けるためにバレンタインという日に訪ねてくるわけがないじゃないか。


「チョコレートケーキ焼いてみた。」

駅ビルに新しくオープンした香水屋の淡いエメラルドグリーンの紙袋から真っ黒なケーキと地元の寺で買った『健康第一』とデカデカ書かれている巨大蝋燭を取り出して見せる。

「ここで蝋燭はさずがに不味いよね。」

点火するためライターを手にした瞬間、手を竦めた。信じられないほど大量のチョコレートやカカオパウダーが投入されたケーキは丸い煤と言われても疑いなく頷けるくらい黒光りしている。その真ん中に突き刺された真っ白い蝋燭がその不気味さを更に酷くさせていて、彼はやっぱり笑った。


今度は、お腹を抱えて。

「ごめん。奇抜さがすごく君らしくて。」



こんな風に笑う幸村を久しぶりに見たと思ったら、何だか胸がキュッと苦しくなる。


彼の病は回復に向かうどころか悪化している。体だけじゃない、精神も蝕んでいる。筋肉が落ちていることは目に見えて分かるし、以前より痩せた。それは女性がダイエットで手に入れたい体が締まるという綺麗な痩せ方ではなくて、萎びていく痩せ方だ。

溜息の数が増えた。
ベットの上でだるそうにしていることが増えた。



相方である男子テニス部部長のそんな姿を見ていて苦しくないわけがない。

未だに日常を取り戻せていない男子テニス部、不安を隠さない部員、中学テニス会もトッププレイヤーの病という現実に騒ぎを起こしている。学生の気持ちを汲めないどこぞの記者が、部活後部員を捕まえて幸村の現状を探っている話は柳から聞いた。

頭を抱える問題は、後を尽きない。
こんな日々、早く終わらせてしまいたい。








幸村が諦めないように

帰ってきたときに最高の形で迎えられるように

そしてまた、私達の日常が戻ってくるように

。」


私は笑う。
そしたら、君に少し笑顔を分けることができると思うから。






「そんな安心した表情して・・・。病院じゃなかったら押し倒したのに。」
「なら今度は病院じゃないところで会いたいね。」

私の発言を聞いた彼が、驚いたように目を丸くする。
押し倒して、また強い両腕で抱きしめてほしいなんて本音はまさか言わないけれど。

「私を押し倒せる筋力また付けないとね、幸村部長。」














『恋じゃない、愛じゃないと背を向けていると一生失ってしまう関係もある』
マリーがいつだったか溜息混じりに漏らした。

『恋でも勉強でも趣味でも、許されるうちに精一杯やりなさい』
パパが会うたび私に毎回言う言葉。

『好きだと思った相手に好きだって言えるのは幸せなことなんだぜ』
兄さんの格言。

『一度心を通じ合ったなら、それがもう離れないように努力するのが恋愛じゃないかな』
凜さんの格言。




人生の先輩達が私に教えてくれる恋愛の価値観を、今日の今日までどこか馬鹿にしていた自分に気づく。私が男を好きになる分けない、もう恋人なんて失ったら取り返しのつかない存在は要らない、そう思っていた。

でも、そろそろ素直にならないとダメだと言う私がいる。自分の中にある変な感情が恋なのだと、認める時がきた。

「このケーキは君の本命?」


でも言葉にするにはまだ時間が要るようだ。
だから彼の手を取って、手を頬に添えて、初めて自分から唇を寄せる。目を閉じて、彼を感じる。これだけあればもう他に何もいらないと現実を忘れてしまいそう。



幸村という男性(ヒト)が好きだと、最近心が高鳴りを止めてくれない。















「美味しいよ。」
「私も美味しいとは思うけど・・・」
「重いけどね。」
「鼻血出そう。」

ホールケーキなんて軽くさっぱり食べれてしまうはずの私が、わずか3ピースで断念せざるを得ないボリュームを誇るバレンタインのチョコレートケーキは舌の感覚を一口で麻痺させてしまう恐ろしい作品に仕上がっていた。

家にあと4ホールもあるよ。
ああ、どうしよう。




















ONE FOR ALL そして物語が折り返す