伝説




伝説之二十九






フルエンスに着いたのは早朝、酒の積まれた荷台が馬の負担になって思ったよりも時間がかかった。 街の門をくぐれば門番が寄って来て「お帰りなさい。」とあいさつをくれた。 お帰り、という言葉が新鮮で「ああ、此処が家なんだ。」そうチェリと顔を見合わせ笑った。 街の中心街を通り抜けて、郊外にある診療所を目指す。この季節、街の外では多くの果実が実り、この街の経済を支える。 セフィーロ城下より品数が多いのだから、市に訪れる人々もかなり多い。この街を出た時とは比べ物にならないほどの活気が漂っている。 市を横切る途中、ブイテックを持った住人が薬をくれとチェリに話しかけてきた。 「薬って、診療所でもらえるだろう。」 「それが診療所に立ち入り禁止の札がかかってるんだ。」 「「立ち入り禁止?」」 まさか、自分達がいない間ずっと仕事をさぼってたんじゃ・・・。 師匠を疑う思考が生まれたのは、嘘じゃない。酒があれば毎日休診にして呑んだくれてる様子が目に浮かんだ。 「・・・おじちゃん、これが胃薬ね。夕食後にそのまま飲んで。」 「おお、ありがとさん。ちゃんによろしくね。」 正直、50メートルほど離れた此処からでも診療所の様子が普通じゃないのが見てわかる。 窓ガラスが抜けていて、ドアが外壁に立てかけられている。 そしてあのおじちゃんの言った通り、診療所前の掲示板にはデカデカとおもいっきり『立ち入り禁止』と書かれた紙が貼られていた。 「とりあえず、中の様子を見てこようか。」 馬をそのまま路上に落ち付かせて、診療所のドアをくぐった。 ピシリ、と屋内から感じた空気の威圧感に前を見据えると、部屋の奥先に此処の主人が立っているのが見える。 この圧倒される空気に生唾を飲んだ。これ以上踏み入れてはいけないような、そんな感じ。 「トレディア・・・。」 どうする、とチェリが聞く。自分達がこの建物に入ってはいけない理由はない。 「行こう。」 そしてまた前進をくりかえす。ドアのない入口に一歩を入れると見えた師匠の表情。 痛い空気とは違って、表情は落ち着いている。 ただ、彼女の存在が、身体が薄くなっているのを見たチェリが、持っていた饅頭を床に落っことした。 「チェリ、トレディア。」 目を瞑ったまま、口を開いた師匠の指先。透明化している? まさか、そんなことが物理的に起きるはずがない。 「あなた達、なんで此処にいるの。」 「・・・様、事前に連絡できず申し訳ありません。先日から3週間休みを頂き戻ってまいりました。」バットタイミング、と心の中で舌打ちをした。 もうここまで来て何も話さずいなくなるわけにはいかないではないか。それが嫌で今の今まで一人でいることを選んで、彼らを城に送ったのに。 まさか、リバティが彼らの帰還を仕組んだんじゃないでしょうね。 「師匠、聞いてもいいですか。その身体は・・・。」 遠慮がちに上目で問うてきたチェリ。その怯えた目が不憫で自分をムリヤリ制した。ここは彼らの家、帰ってはいけない理由はない。 放っていた気を納めて、2人をまだ何とか座れる椅子に掛けさせた。 「今朝から消えかかっている。」 私は、話さなければならなかった。幼少の記憶と、この国の伝説を、私と言う存在の事。 まだ導師クレフすら知らない、私とリバティの関係。なぜ私が二人を必要とし、弟子にしたのか。 彼らに伝えることが、師である私の最後の責任なのかもしれない。 「チェリ、トレディア、私の話怒らないで聞いてくれますか?」 テーブル上に置かれたトレディアの手がフルフルと震え始めたのに気付いて、一つ大きな溜息を吐いた。 「・・・怒ってる?」 「怒るにきまってるでしょう!そんな大事なことを何で黙ってたんですか!?」 トレディアには珍しくカッと開かれた目は、うん。確かに怒ってる。 「私もね、正直本当に自分が選ばれた歌法伝来師なんだと最後の最後まで核心がなかった。 頭痛も、全部偶然で、もしかしたら私の師匠のように老衰で死ぬかもって願いもあったし、無駄な心配をあなた達にかけたくなかった。 ただ・・・もし自分が居なくなる日が来るのなら、準備が必要でしょ? あなた達2人を弟子にしたのは、私が居なくなったセフィーロの民を病から守れる存在を育てるため。 二人とも、期待に答えてくれた。これで私は安心して逝けるわ。」 悔しそうに一度大きな音を出して机を殴りつけたチェリも、怒りで前が見えなくなっているトレディアも これから国のため、力になってくれる。 「この話、導師クレフは・・・。」 「ご存じでないわ。」 「「・・・!?」」 「伝説の事はもちろん知ってらっしゃるけれど、幼少の私がリバティと接触を持ったことは話してない。」 更に薄さを増した自分の腕を見据えて、想像してみた。自分が消える瞬間、一体私は何を見て、何を思うんだろう。 バン、と立ち上がり私の手を取ったトレディアはいい加減にしてください、と私をムリヤリ立たせようとする。 彼が目でチェリに合図すると、チェリは外に駆けだし家の前に馬を2騎連れてきた。 「行きますよ!」 「行くって・・・どこに。」 「セフィーロ城です!あなたは、導師クレフがあなたをどれだけ大切にされているかご存じじゃない! このままあなたが居なくなったら、あの方がどんな顔をなさるか分からないんですか!?」 ほとんど引きずられる状態で外に連れて行かれ、地面に座り込んだ。 トレディアに反論する言葉も見つからず、これからセフィーロ城に行って導師に何かを言うとして何を言えばいいのか、そんな言葉も見つからない。 ただ、彼の姿を頭に描いたら、両方の目から涙があふれて来たのに驚いて、肩を震わせた。 「様、この酒、導師があなたにって用意してたものです。きっと、ずっと会いたかったんだと思います。 帰りましょう。あなたには責任がある!育ててくれた人に全てを話す責任が!!」 怒鳴ったトレディアの声に驚いた住人達が家から出てきて診療所を囲った。これ以上、透けた身体を 公衆の面前でさらすわけにいかない。時間は待ってくれない。 残り時間がない今、彼女がやり残したことをこの世界に残さないように。 導師クレフの元へ。 「チェリ、今から出てどれくらいに着くと思う?」 「馬を無理に走らせて、夕刻。」 「・・・ギリギリだな。」 「出よう、時間が惜しい。」 チェリの馬に彼女を座らせ、後部からチェリが支える。泣いているのか、具合が悪いのか身体を震わせ俯く彼女に今は同意を求めている時間はない。 今朝着いたばかりの家をもう発って、来た道を戻る。ひたすら、目指すのは前。 導師クレフ。 シエスタが死んで数日後、あの家にふらりとやってきた人。 初めて会って、城に引き取られるまでの記憶が私にはあまりない。初めて乗った導師クレフの友達の背中。 初めての精獣の背中で大興奮だった私が落ちないようにずっと手を握ってくれていた。 エメロード姫と導師クレフが家族になった。そしてザガートとランティス、プレセアとシエラと知り合い仕事に打ち込んだ。 その中で、忙しい毎日に置き去りにしたもの、それは導師クレフへの敬愛だった。成長すればするほど距離を感じるようになった。 本当の家族ではないと、子供のころから知っていたのにそれに甘えてしまっていたんだ。 物心つけば導師クレフにどう接するべきなのか、分からなくなっていた。導師の下で働く臣下としての立場を取るべきか、家族として接するべきなのか。 子供の様に無垢な心を持ち続けられたらいいのに、毎日そう思っていた。 彼にはまだ、伝えていないことがある。そして・・・。 「トレディア!!!!!!」 私の身体を支えてくれているチェリが前を行くトレディアの名前を呼んだ。 「トレディア!師匠の身体が透明さを増してる!お前先に城へ行け!」 一度軽く振り返ったトレディアの目に私の視線が重なった。私の身体の薄さに驚いたトレディアは、分かった、とより馬の速度を速めて前方へ消えて行く。 間に合うのだろうか。 夕焼けが赤みを差し始めた空に目を細めた。 これがセフィーロの最後の夕日だ。