伝説




伝説之二十八






久々にフルエンスに帰る日、チェリは城下町で何とか饅頭って買い物をするんだと、朝から出て行った。 出発の10分前に帰ってきた彼の手には饅頭が一つ。一つでいいのか、と聞くと一つでいいのだという。 何でも大層不味いのだとか。聞けば配送のおばちゃんに頼まれたのだという。 巷のおばちゃんというか、他の人間に自慢されたものは自分も食べないと気が済まないんだろう。そそくさと頼んできたおばちゃんの姿を想像すれば彼女がどこか可愛らしく思えた。 お土産と言えば師匠にセフィーロ城下生産の米酒でも持って帰ろうかと検討していた時、導師クレフが衛兵に持って来かせたソレを見て、帰りがけに酒屋に行く計画は中止になった。 彼の後ろには荷台を引く力強い男が二人、ガランガランと音を鳴らしているのは大量の酒瓶だ。 「導師、お言葉ですが娘さんの酒依存はかなりの所まできてますよ。」 荷車いっぱいに乗せられた酒瓶を横目にははは、と気まづそうに笑う導師はもはや父親と言うか、祖父のような感覚なのか、孫のためなら何とやらだ。 「…とはいっても本人はご健康ですし、喜ばれると思います。おかげで帰り際街による手間が省けました。」 そうだろう、そうだろう。頷きながら笑う導師、かれこれ何年も様と連絡は取れていないのだろう。 彼女が帰ることを考えて準備してきた酒なのかもしれないと思うと少し彼が不憫に思えた。 3年ほど前、城で催される宴会に招待された様を迎えに来た護衛が、彼女に追い払われているところを見たことがある。 彼女はよほどのことがない限りセフィーロ城どころか城下にすら寄りつこうとしなかった。 昔敵対していた官僚たちを嫌ってなのか、他に理由があるのかそれは彼女にしか分からない。 友好的な大臣に聞いた話、導師は時間を取ってフルエンスに来る努力をなされていたのだとか。 それも相変わらずの多忙さに叶わずじまいだった。その話を師匠が知っていれば彼女の方から導師に会いに行ったかもしれないのに。 「導師、では再来週まで私達はフルエンスにおりますので何かありましたらご連絡ください。」 「ああ、トレディア。時間があったら今度は3人で遊びに来るといい。」 導師の背後に見え始めた神官の姿、導師を迎えに来たのだろう。本当にお忙しい方だ。 「様にもそう伝えます。それでは・・・。」 振り返る先には馬に荷台を繋いでいるチェリの姿。そこに向かって歩き出そうとした刹那もう一度導師に呼び止められた。 「トレディア、チェリ、流石だ良くやってくれた。この国の治癒師、薬師の教育に力を貸してくれたこと礼を言う。」 そして返答と待たずに城への道を歩き出した導師クレフ、次に彼を見るのは休暇が明ける2週間後。 見習い医師達に書かせたテストの採点と新しい教材の用意、フルエンスでやらなきゃならない課題は山積みだ。 弟子二人が城へ行ってから3カ月は仕事をしながらもゆっくりした時間を過ごすことができた。 チェリが城から定期的に送ってくれる薬はとても役に立った。自分で薬を作って診察までするとなると、若いころの体力が必要だ。 見た目に変化はないというのに、年をとっているのが日々の行動で分かってくるのは少しやるせない気持ちになるものだ。 そう言えばチェリとトレディアを教えてから自分で薬草の実験なんてしてないな、と今日は診療所を自己閉鎖させて山に薬草を何十種類と取りに行った。 中には滅多に見れない珍しい薬草もあって、チェリなんてまだ拝んだことのないだろう薬花を見つけては薬草籠いっぱいに詰めて持ち帰った。 「腹痛に効くカラボボ草と胃痛に効くギャンドン豆を一緒に煎じると、論理的に万能腹薬ができるはずなんだけど、出来たのはなぜか劇薬。・・・なんで?」 「珍しすぎる薬花その一、マリーボーと珍しすぎる薬花そのニ、プリエルにどこにでもある薬花、カルロイドを乾燥させて粉にした物体の効果は血圧抑圧。」 「私の勘が正しければ、老衰したカエルの胆に玉ねぎとプリエルを練ったこの物質に火をつけると爆発する。」 何事も実験だ、と火を近づけると一瞬で引火し、爆音が響いたフルエンス。診療所の窓ガラスと入口のドアが吹っ飛び、割れたフラスコの破片が高い音を立てて床に落下していく。 いつもなら、ここでトレディアが「何やってるんですか。」って叱ってくれて、チェリが「またやりましたね。」って呆れを見せる、そして、笑ってくれるのに。 それがない診療所、本当に一人だなと生き残ったフラスコを床から拾い上げた。 実験に夢中で時間を忘れていたらしい、外にはもう夜が訪れている。 見事に吹っ飛んだ窓ガラスからまん丸の月が見えた。暫くその月を見ていた、ただボーっと煙がまだ少し残る部屋に突っ立って。 月の前をフクロウが一匹左から右に飛んで行って、ハッと我に返った。 吸い込まれそうな月の輝きに意識が飛んでしまったなんて、なんてことだろう。 そう言えば・・・・、とずっと持っていたフラスコをテーブルに置いて耳を澄ます。 あんな爆音があったのに誰も村人が出てこないのを不審に思った。外は不気味なほどに静まり返っている。 爆発の片づけを後回しにフラリと外に出た。 開けた扉、視界に真っ先に飛び込んできたのはチェリの薬草花壇そして診療所の門先に見えた人影。 そういえばこの2日頭痛がなかった。何年も断続的にあったものがプツリと途切れたことにも意味があったんだろう。まるでこれから何かあるぞ、と示唆するように。 月の光で長い影を作る人影、その表情は笑っているように見えた。 人間の身体と額には長い角を携えたソレの瞳はとても澄んでいる。 『久しぶりだね、。』 シエスタが死んだあの夜と変わらない声、心に響くその音が私の緊張を取り解いて行く。 不思議な気分、驚いているわけでも恐いわけでもない。何年も会ってなかったのに、あんなに再会を拒んだのに、今は「ああ、時が来たんだ。」と納得している心がいる。 「ココン・・・。じゃない、か。リバティね。」 『君にはそう呼ばれていたね。ココンでいいよ。』 「村人に何をしたの?」 『心配しないで。少し、寝てもらっているだけだ。』 ゆっくり前を過ぎて行く風、満月が一番高いところまで昇った雲一つない空の下に現れた「友達」の存在。 今までセフィーロを離れたくないという葛藤と、他の星を滅ぼさなければならない嫌悪に苛まれ、リバティと言う存在を、歌法伝来師である自分自身を恨んだ事すらあった。 なのに、疎んだ彼が登場した今、全てに対して落ち着いている自分がいることをとても自身不思議に思う。 そう、来る時が来てしまった。それだけのことだ。 『、我が主。私の力を持つ歌法伝来師よ、私と友へ空の果てへ逝く時が来た。』 本当に、プレセアに武器を作ってもらったのも、シエラにバカラを預けたのもギリギリだった。 偶然か、それにしては出来過ぎているだろう。 確かにあの頭痛が始まって伝説の到来に危機感を感じるようにはなったけれど、親友の武器なしでこの地を去っていた可能性の方がはるかに大きい。 まるで時期を見計らったかのようなタイミングだな、と少し笑った。 「ココン、待っててくれたんだね。頭痛も合図だったわけだ。」 『痛い思いをさせたね。本当はもう少し長くセフィーロにいさせてあげたかったんだが。』 少し目を細めて、申し訳なさそうに地面に視線を落としたリバティはまるで伝説の生物とは思えない程に人間味を感じる。 彼の心の旋律は何よりも澄んでいて、何よりも気高い。 『、明日の夕刻、月が地平線に現れる頃もう一度迎えにこよう。それまでにやり残した事をするといい。』 「やり残したこと、ねぇ。」 『このまま連れて行ってはあの導師に叱られそうだから。』 「・・・あなた導師クレフを知ってるの?」 『ああ、君がつけてる腕輪は私の目のようなもの、それを通して全てを見ることができる。 だが、彼には直接会ったこともあるんだ。最も彼は私を知らないけれど。』 へぇ、っと感嘆の声が漏れた。変身して導師に会いに行ったのだろうか。いやそれよりも今身に付けているこの腕輪がリバティに全てを伝えていたなんてまさか考えたこともなかった。 毎日24時間監視されているようなものだ、そう思うと少し冷たいものを背中に感じた。 『。』 一瞬、私とリバティの間に大きく強い風が吹き込んだ。飛んできた枯れ葉に驚いて一度目を瞑った。 風が収まり、目を開けるとリバティの姿は消えていた。星の集まる空の川、そこに登るようにどこからともなく聞こえて来るのは声。 『本当にごめん。』 何に対しての謝罪なのだろう。他の星を滅ぼすことに大きなリスクがある謝罪なのか、ヴァルという存在に対しての謝罪なのか分からない。 それはきっと誰が謝るべきでもないこの国の摂理に対して。 ランティス、そしてザガートも自分の人生と意思に決意を固めている。 自分の出来ることは何なのか、守るべきものは何か見極めて自分の道を踏み出した。 それは恐ろしく勇気と覚悟のいることだ。特にザガート、彼はきっとこの国の全てを捨てても大切な者を守ろうとしている。 「・・・私も、見習わなくちゃいけないね。」 クルリ、とUターンして診療所の吹っ飛んだドアをとりあえず壁に立てかけた。 中に入って、さてこの部屋の状態をどうしようか考えたけど、片付ける気力もなくてスル−した。 せっかく作った調合薬も爆発で吹っ飛んで、チェリに残してやれるものが無くなってしまった。 でもマリボーとプリエルを花壇に植えておいたから見つけたら喜んでくれるかな。 トレディアには私の書物が役立つといいな。 リバティが言っていた「やり残したこと。」特に思い当たる事はない。 ただ、我儘を言うなら最後の夜くらい、一緒に呑んで今までの事最初から最後まで話したかった。 そして一言ありがとうと、導師あなたに伝えたかった。