止まってしまった銀時計

あれは今にも雨が降り出しそうな朝だった。

初めて他人に銃口を向けた夜、標的となった男の家からどうやってナイトレイの屋敷へ向かったか記憶は曖昧だ。気づいた時には屋敷近くの森を彷徨うように歩き、疲れた体と精神を休ませるため木の幹に身を預けていた。 黒い雲が空を通り過ぎているのを眺めながら考えていたのはオズのことだった。あいつがまたこの世界に戻ってこられるのならば、どんなことにでも手を染める覚悟はできていた。

ブレイクに唆され、ナイトレイの養子となり、昨日の晩ついに人を殺した。

覚悟は出来ていたのに、
別に恨みもない人間を殺すことを躊躇を知らないほど、俺は残酷な人間になりきれていなかった。

バンッ。

右手を地面に叩きつければ晴れるかもしれないと思った鬱憤は消えない。
このまま雨が降って、体が冷えて、いっそのこと消えてしまえばいいのに。そう思わずにいられないほど、俺の心が病んでいた。












「コンニチワ。」












黒い雲の下に、雲より暗い影が視界に入り虚ろな視線を上げる。そこには、真っ黒な傘を差した女がいた。ニッコリと気味の悪い笑顔を向けるそいつが同業者であることを直感で理解した。

「・・・。」
誰だ、こんな時に。

「フフ。聞いたとおりの外見、反応。あなたがギルバート君。」

目を細め、俺の全てを見透かすかのような視線に悪寒がする。こいつの目はあいつに・・・ブレイクに似ているとそんなことを思った。

「私はと申します。どうぞお見知りおきを、ナイトレイの方。」
?!」
女の苗字に目を開く。家は裏社会でナイトレイに肩を張り合う相容れない存在。その家の女が、こうも容易くナイトレイ家に属する俺に声をかけてきたことが信じられなかった。

「まぁまぁ、落ち着いて。はい深呼吸しましょう。」
傘を地面に置いた女が、俺の胸に手をやって息を吸えという。告げられ、初めて自分が息を止めていたことを認識した。

「別にあなたを殺しにきたわけじゃないの。」

射るような視線とその瞳にある黒い闇。野生的な勘が、この女はヤバイと言っている。木の幹に背後を取られ、まるで追い詰められた小動物のように俺は恐怖の目でという女を見つめた。

「まぁ、ブレイクに君の価値を聞いていなかったら遅かれ早かれ殺していたけど。ナイトレイは、私の家族の天敵だから。」
それくらい知ってるわよね、と問う女に首を縦に振る。

「ブレイクが俺のことをおまえに?」
ということはこの女もパンドラの人間か。

「そう。殺すなってきつく言われた。というわけでギルバート君。」

立ち上がった女が傘を広い、笑う。さっきの黒い笑いではない、優しい目元を作った。





「一緒に朝食でも如何かな?」




















「さぁ、じゃんじゃん食べて元気出しなさい!今日は私のおごりよ!」
「はぁ・・・すいみません。」
「そんなに畏まらなくていいってば。私は今日の人間としてじゃなく、パンドラの一員としてあなたに会いにきたんだから。」

内に秘めた闇を隠した彼女は、突発的で大胆だった。がナイトレイのイザコザをパンドラの仕事に持ち込まないスタイルを持っているのは聞いていたが、そんな状況によって簡単に区別ができる訳がないと疑っている自分がいた。
だからいつ攻撃されても、銃を取り出せるように気を張っていたのに、女は笑い、目の前にあるコーヒーを飲むばかりだった。

状況下によって完璧に区別される両家の関係。それは目の前にするととても新鮮なものだった。





「人を殺すのは易しくないわね。」


頬肘をついて、急に話を振ってきた女を凝視する。突然発せられた掬うような言葉に目が熱くなった。先日初めて俺が人間を殺したのを見抜いていたのだろう。さすが、この道の先輩だ。

「命を奪って感じる痛みに、人はいつか慣れてしまう。殺しても、何とも思わなくなる。でも、」

ミルクも砂糖も入っていないコーヒーをスプーンでかき混ぜるが苦い笑みを作った。まるで言葉を発する自分を笑うかのような、表情で。

「これから先、今人を殺して感じる悲しい思いを大切に」

誰に話しても分かってくれないと思っていた俺の中に渦巻く悲しいという感情を、今日突然現れた女が理解していた。

「自分自身の目的と信念を見失わないことができるなら、あなたは大丈夫。」


「・・・なんで俺にそんなことを。」

なんで、俺が必要としている言葉を掛けてくれるのだろう。



「そうね、この天気と同じ。」


レベイユのカフェから窓越しに覗く空の黒が、青さを増し太陽の光を取り込み始めていた。





「気まぐれよ。」