3月5日と聞くと必ずと言っていいほど彼のことを想ってしまう。それは恋愛感情とか、憧れとか、他の女の子が抱いているような儚く可愛らしい気持ちじゃなくて『ああ、彼の誕生日だ。』ってそんなシンプルなもの。大学生になって持つようになった皮のスケジュール帳の3月5日に予定は書かれていない。もう数年も前のこと、元彼の誕生日なんてそろそろ忘れてもよさそうなものなのに、青春時代の記憶というのはなかなか簡単に脳から消えうせないものだ。

「もうあれから5年かぁ。」

パソコンに向かい硬直していた体を後ろに思いっきり伸ばした。腕を上げて更に後ろに引っ張ると背骨がボキボキと鳴る。最後にグルリ、首を一回転させて立ち上がった。マグの中にはもうコーヒーがない。ケトルでお湯を沸かしインスタントの安物コーヒーをカップに入れる。将来自分で働くようになったらまずプレスを買おう、そしてコーヒーは常に良いアラビカ種で淹れるのだ。
キッチンの時計は4時を指している。約束は6時半に上野の居酒屋だったか。よりによって誕生日パーティに呼ばれるとは思っていなかった。しかも連絡を受けたのは昨日の夜。プレゼントなんて用意していないし、本当に私が行っていいのか疑問だ。
「柳のやつ。一体どういうつもりだろう。」
もう5年、中学を卒業すると同時に別れた元彼の誕生日パーティに元カノを呼ぶ友人の思考は理解できない。
これを飲んだら支度しないとね、そうマグに目を落としながら呟いた。





幸村と私の初めての出会いは、告白現場。私達の告白現場だ。幸村という人間にいきなり呼び出されて告白された。誰だコイツはと断ろうとした瞬間に『拒否権はないから。』といわれ卒倒しそうになったことを覚えている。
拒否権もないから付き合うしかなく一緒にいるようになった。最初はくそったれと思っていたが、彼や彼の友人を巻き込んでの日々は楽しかった。守られてると感じたこともあったし、好きだなと思ったことももちろんあった。

幸村と最後にデートしたのは彼が15歳になった3月5日。別れたのもこの日。高校は親類のいる東北へ行くことが決まっていたから遠距離恋愛は避けられなかった。自慢するが私はとてもガサツで、毎日楽しければそれで良くて、何かに情熱を持ち続けることなんて出来ない人間だ。
中学3年の時に自分の本質に気づいていた私は「遠距離恋愛なんて器用なこと無理。」そう判断して、幸村に告げた。『別れよう。』そう一言だけ。幸村は私の手を握り締めて、何も言わなかった。ずっと地面を見ていて、横顔は辛そうだった。

無言で2人駅まで歩いて、私は自分の手を幸村の綺麗な手から滑りぬけさせ、何も言わず家に帰った。その後、学校でもクラスが別々だった私達は校内で会うことはなくて、そのまま卒業式に。後輩の女子生徒に囲まれる幸村が最後に見た彼の姿のはずだ。







上野駅の駅ビルにあるフラワーショップに寄って綺麗な花を見繕ってもらった。私は花のことは良くわからない。自分用に1鉢形がおかしいサボテンを買った。あまりの変形のし様に買い手が現れなかったのだろう。憐れなサボテンには60%OFFのシールが貼られていた。









居酒屋までの道のり、思い浮かんできたのは中学校のときの思い出ばかりだった。幸村と初めて会った美術室、テニスの試合に来てくれないかと言われ休みに応援に行ったこと、逆に私のラクロスの試合に応援に来てくれたこと、仁王とばかり話をして妬かれたこと、丸井と歩けなくなるくらいケーキバイキングを堪能して幸村に家まで自転車をこいでもらったこと、切原君とコーラ掛け合って遊んでたら怒られたこと、風紀委員の真田に追いかけられているところ助けを求めた幸村に救われるどころか突き出されたこと、ジャッカルと冬の川原に座って話してたら後ろからマフラーで首を絞められそうになったこと、柳生と映画館で鉢合わせしたと思ったら柳と幸村もいて4人でベタベタの恋愛映画を見たこと。なんであの3人があんな映画見る気になったのかは今でも不明だ。

カツン・・・。ヒールの音を止めた。人が往来する道の真ん中で花をぶら下げた私は立ち止り、視線を前方のアルファルトに落っことす。

懐かしい。
もう5年前のこと、いやまだ5年前のこと。5年なんて人間が生きる中では小さな期間なのに、もうずっとずっと前のように感じる。こんなに過去を思い出すことはなかった。東北の高校に入学して最初こそ知らぬ地の孤独に神奈川のみんなを思い出したけれど、友達ができるにつれて思い出さなくなった。高校3年間毎日楽しく過ごして、3月5日には「幸村の誕生日だ。」そう遠い神奈川にいる人物を想って、それで満足だった。毎日楽しければそれでいい、私はそういう人間なはずなのに。



「何で・・・。」
何で思い出すのは幸村のことばかりなのだろう。

私の傍に、いつも彼がいたからだ。ずっと近くにいてくれた。

は強いけど寂しがりやだから。』

望めはどんな時も声を聞かせてくれた。

会いたいといえば、必ず会いに来てくれた。



ドンッ、過ぎざるサラリーマンの肩がぶつかって花を落としそうになる。手から逃げないように持ち直して、また歩き出した。街のネオンは輝いている。週末の東京、疲れが見える人も、これから騒ぎに行く若い人間もみんなが溶け合っているここは一種の芸術だ。きっとこの街自体が一つの作品だ。





「もしもし。私だけど、ついたよ。」
「迎えに行こう、待っていてくれ。」
目的の居酒屋の看板は新鮮魚介という文字が堂々と書かれていて、今にも切れそうな電球に照らされている。何でこの居酒屋にしたのか。理由は誕生日の彼が「魚を食べたい。」と言ったからだろうか。

幸村が彼女を連れてたら私はその子になんと自己紹介をすればいいのだろう。「元カノのです。」は無いな。第一印象最悪。幸村と同じクラスになったことがないから「元クラスメイトです。」なんて嘘はつけない。いっそのこと柳の彼女ということにしておこうか。いやそんなことしたら奴の本当の彼女にキレられる。

「いや、いっそ真田の彼女ということに・・・。」


。」


頭を抱えて真田の彼女に・・・なんて思っていた時、耳に入ってきたのは柳の声じゃない。私が知る声より少し低くなった元彼の声だった。恐る恐る視線を上げる。まぶしいネオンに輝く街が消えうせ、私と幸村だけの無の空間ができた気がした。 じっと見つめてくる瞳の力は相変わらず強くて、私は視線をアスファルトに戻したくなる。

「久しぶり。元気だったかい?」

彼が続けた一言に、無の空間が消えうせ周りの喧騒が戻ってきた。何とか目を合わせたままでいられた私はゆっくり肩を落として、安堵の溜息を吐き出した。

「うん。幸村も元気そうでよかった。」

中学校の面影も十分あるけれど、すごく大人になった幸村がいた。背も当時より高くなっていて女の子の人気は相変わらずなんだろうな。現に私達を過ぎていくOLや学生の視線が彼に向けられている。こんな凄い人と付き合ってたなんて、自分はラッキーな人間だったんだ。




ちゃん。」
今度は背後から声が聞こえた。この声は淳さん、柳の彼女だ。私が言葉を発する前に淳さんは幸村を見て「初めまして小早川淳です。ごめんなさいね、待たせてしまって。」と言う。そして幸村がお辞儀をした。私は何が何だか分からなかった。もしかして幸村が迎えに来たのは私じゃなくて淳さん?いや、でも柳と淳さんが付き合っていることは知っているだろうし。会話がかみ合っていないよ。


頭上に飛びまくるハテナに気づいたらしい幸村は「。」と私の名前を呼ぶ。

ちゃん。」そして今度は淳さんが。

「幸村君と素敵な夜をね。」

は?

「行こうか。」

は?

別れ際、素敵な笑みを残して居酒屋の中へ消えていった淳さんと私の手を掴んだ幸村。私は無言で手を引かれるまま彼の背中を見つめていた。過ぎていくネオンの眩しさに、一回目をギュッと瞑ってまた開く。


夢じゃない。

何が何だか分からないけれど、今私は幸村に手を引かれ歩いている。「幸村!」私は声を上げて彼の手を引いた。 「着いたら説明するから。」 質問する前に返ってきた答えに目を丸くする。そしてまた手を引かれ、歩く。手に持つ花束が揺れに揺れて、花が一つ落下した。


















「上手くいくよ、あの2人。そうね、96%。」

頼んだビールが卓に置かれて、乾杯した。

「98%だ。」

さっきまで幸村が座っていた席で寛ぐ女はタバコを取り出し火をつける。本当にが来てくれて良かったと思う。に付き合っている男がいないことは調べた。いや、調べる前からいないだろうと踏んでいた。あいつを扱える男はそう多くない。
大学でと再会したことを告げた精市は驚いていた。


「でも賭けたね幸村君も。彼女が20歳の誕生日に来てくれなかったら諦めるって言ったのいつだっけ、中学の卒業式?大恋愛だわ。彼女のほうは別れたつもりでいたんだろうし?」

「別れようと言われて「分かった。」とは言わなかったらしい。精市の中では付き合ったままの5年の遠距離だったわけだ。」

「カッコいいよねあの子。いつも蓮二から話し聞いてただけだから、どんな熱血男子かと思ったら。イメージ全然違かった。ちゃんに釣り合うわ、あの子もかなりもてるでしょ?」

「精市の女だ、モテないわけない。」





『20の誕生日まで、会うつもりはないんだ。』

精市はそう言って引き合わせようとした俺の提案を断った。それ以降、特に彼女の話をすることはなかったが、先週になって『みんなで誕生日パーティをするという口実で呼び出してくれないか。』と言われ俺は快く承諾した。


彼女が来たら、そのまま2人で。

来なかったらそのまま俺と失恋の自棄酒だと。



淳を呼び出したのは自分のデータに自信があったから。
が来て、俺が居酒屋に一人残される可能性は100%だった。



彼らの5年越しの片思いの結果が見てみたかった。















「ふーん。じゃぁ、は俺とキッパリスッパリ別れたつもりでいたわけだ。いい度胸だね。」


幸村は当時と何も変っていなかった。プレゼントの花束をレストランの従業員に頼んでテーブルに飾ってもらった。その花を一厘指で撫で、香りを楽しむ彼はプレゼントの花達を気に入ってくれたようだ。フラワーショップの店員に感謝した。

「・・・ッ!だって、5年だよ、5年。あの時「嫌だ。」って否定しなかった彼氏のほうにも問題ありだと思うんだけど。」

シャンパングラスが空になって、白ワインをボトルでオーダーした。はぁ、と大きな溜息を吐き出して額に手を当てる。 誰が予想するだろう、5年も待っていてくれた人間がいるなんてさ。


「でもよかった、自棄酒の結末にならなくて。」

注がれたワイングラスを持ち上げて、精市がそれを傾ける。私もグラスを手にかけて、もう一度乾杯をするためグラス同士を近づける。

「・・・今日来なかったら、私のこと諦めらきれてた?」

グラスが音を鳴らす直前にポロリと漏れた言葉に幸村の目が細まる。聞いてどうすんのよ、自問自答した。

「俺にできないことあると思う?」
「思わない。」



「そう、諦めることはできる。でもその前にかなり泣いただろうね。」

泣くの、幸村が?

「2年付き合って、5年好きだった女にフラれるんだ。辛いよ。」

そんなに私のこと・・・?

「でも、が来てくれた今日があるから一人だった5年の寂しさはチャラ。」

すみませんでした。

「あ、まだ正式に聞いてなかったね。さん、俺ともう一回付き合ってくれますか?」



こんなすごい告白されて、断る女の子はいないでしょう。
言葉の代わりにカツン、と幸村のグラスに私のを鳴らして笑った。久しぶりに、また彼氏ができた瞬間だった。




「ちなみに拒否権は?」

「ないよ。」

相変わらずだね、と笑うと幸村が私のグラスにワインを継ぎ足した。
明日のゼミは休みますと教授にメールを打つ。時間が許す限りこの街の芸術に溶け込んでみたいと思ったんだ。

今日からは、またこの人と。






「誕生日おめでとう。」







その夜は上品なワインに酔わされて、結局2人朝帰りになったのは言うまでもない。

















幸村さん誕生日夢。Teni-tan 4 Seasons Plus+に贈呈します。
桜花さん素敵な企画をありがとうございました♪

[29.03.2011]