ザ・ダイアモンドDAYS
『応援してます、がんばって下さい。』
昔、そんなことを書いたハートの便箋を渡すと、笑ってくれる男の子がいた。
2回、その子の試合を見たことがある。私は小学校2年生だった。
大輔と一緒に通っていたテニスクラブ、『ジュニア』のコーチが、全国小学校選抜の東京地区強化練習に連れて行ってくれたときの話だ。
自分たちとはレベルが違う、見ていて感動するテニスを見せてくれる選抜メンバーの中に一人すごく落ち着いている、表情を表に出さない選手を見つけた。
その子がするテニスは華麗で、限界をしらなくて、小さい体で大きなテニスラケットを見事に捌いていた。
見たこともない技、自分で真似してみたけど全く形にならない技を使う男の子だ。
コーチにまた連れて行って!と無理を言っては3度目に訪れた強化練習で、芝生の上で休んでいた男の子に、用意していたハートの便箋を渡した。
あれがあの時の私の精一杯だった。
「偶然…じゃないよね。」
今さっき、不二周助が放った打球、あれは私が小学校2年生のときに見たあの技。見間違える分けない。
自分がテニスを辞めて、もう二度と見ることなんてないだろうと思っていた技だもの。
「!俺やったぜ、不二にあの技出させた!!!」
立ちすくむ私に大輔が涙声で言った。
『俺もいつかあいつみたいなプレイヤーになってやる!』
昔、一緒に強化練習を見学に行った大輔が、フェンスに身を乗り出して、そうコートで華麗なテニスをする少年に目を輝かせていたのを思い出した。
今になって思えば、大輔がシングルスを始めたのは、あの男の子、不二君の影響だったのかもしれない。
「馬鹿、泣かせないでよ。」
まさか、こんなに近くにいたなんて。
「よっしゃー!不二来い!!」
威勢だけは立派な大輔が、そのあと見事にコテンパンにされたのは言うまでもない。
最後、マッチポイントが青学に決まって、観客席からは大きな拍手が両選手に送られた。
お互いにしっかり握手した2人。
すぐにコート内に全レギュラーが集まり審判と挨拶をする。これで青学の準々決勝進出が決定した。
大輔は満足そうに「引退だぜ!」と叫んで、応援に来てくれた皆川中の生徒を沸かす。
ベンチコーチの竜崎先生に一礼した青学レギュラーはどうやらここで解散のようだ。
不二君は、ラケットを持ったまま、迷うことなくその足を私と、妹が座る席へ進めてきた。
「さん、ちょっと話できるかな。」
まだ終わったばかりの試合で息があがっている不二君の言葉に、胸がドクンと大きくなった。
「待ってるから、いってこい。」何かを悟ったらしい妹に背中を押され、彼に導かれるままテニスコートを後にした。
「ここ座ろうか。」
自動販売機で紅茶を買って、歩いていた私たち。
不二君の言葉に無言で頷いた私はぎこちなくベンチに腰掛けた。
「もう7,8年前の話だけど、牛乳瓶の底みたいなメガネ着けた見知らぬ女の子から手紙をもらったことがあって、ずっとお礼を言いたいと思ってたんだ。」
やっぱり、バレてる。
「ずっと知ってたの、あれが私だって。」
「うん、その子が誰か知りたくてたくさん調べたよ。4丁目のテニスクラブのミックスダブルスの子だって姉さんが教えてくれて、見に行ったこともあるんだ。
入学式の体育館で偶然見かけてあの子に間違いない、と思った。さん、全然僕に気づいてなかったから言い出すきっかけも見つけられなかったけど。」
ごめんなさい、ごめんなさい、心の中でそう呟いた。バックミュージックにはチーン、と仏壇の御鉢が鳴っている。
「不二君、つかぬ事を聞くけど、先週私を中庭に呼び出したのは…。」
「僕だよ。」
神様、私に今すぐ入る穴を下さい。
顔面を手で覆って、私は頬を引きつかせた。ということはあれから1週間半、私は「あの時の彼」と毎日顔を合わせていたにも関わらず、何もなかったかのように振舞っていたことになる。
確かに、あの小学生の男の子が不二君なら、テニスをしていたころの私を知っていると説明がつく。
「不二君…、あの日私、コンタクトを入れてなくて、誰だか分からなかったんだ。」
大変申し訳ないっ、と頭を下げた私にクスクス、と笑った不二君は以外にも「知ってる。」と返してきた。
「実は先週の日曜日、新藤と歩いてるさんを街で見つけて、その…、まさか2人が付き合ってるのかなって、さんに相談したんだ。」
「美奈子に!?」
あいつ、何にも言ってなかったぞ!!
「その時に、実は告白して返事待ちなんだって話をしたら『それ、自分から返事催促しないと不二君、一生返事待ちになるよ。だって、告白してくれた男子の顔見えてなかったんだから。』って。」
明日、明日登校したら美奈子シメる。
そんな話を聞いておいて、先週一週間私に何も言わないなんて!薄情だと思ってたけどやっぱり薄情者!
「さん。」
声のトーンが一つ下がった不二君に向き直った。私は今、結構大事な決断をしなければならないようだ。
「この前の返事、もらえるかな。」
冷たい紅茶の缶を両手で握る。小学校2年の時に憧れた男の子が今目の前にいる。
『ありがとう。』ハートの便箋を渡した男の子の残像が、不二君と重なった。
彼は今までずっと私を見てくれていたという。少し、目頭が熱くなった。
「…昔、すごく憧れたテニスの選手がいてね。私、習ったばかりのひらがなと少しの漢字で、ハートの便箋にメッセージを書いたの。」
「うん。」
「小学校4年でテニスを辞めるまで、ずっと目標にしていたのに、名前すら知らなくて。こんなに近くにいたのに全然気づかなかった。」
「うん。」
「でも今日、またその選手のファンになちゃった。あのころよりもっと強くなった不二君のテニスをこれからももっと見たいって。」
一度目をきつく閉じて大きく深呼吸した。
「これから、一番近くで見ててもいいかな。」
青かかった瞳が大きく揺れて、笑う。「やっと叶った、7年越しの片思い。」
テニスラケットを持ったままの腕に一度強く抱きしめられた。不二君の鼓動が早いのが聞こえる。
私の顔は真っ赤になっているかもしれない。恥ずかしさと、嬉しさに、目に涙が浮かんだ。
「お帰り。」
「不二!」
手を繋いで戻ったテニスコート、そこには妹の奈緒とテニス部レギュラーの3年が待っていた。
「げ。」っと思わず離してしまいそうになった手を不二君はそうさせてくれなくて、そんな私たちを見た青学3年からは何故か拍手が上がった。
「やっと成就したな。」とか「おめでとう。」とか。
奈緒にいたっては「鈍感なお姉ちゃんでごめんないさい。」とか不二君に謝りだして周囲を笑わせた。
「不二ね、ずっとちゃんのこと好きだったんだよ。」耳打ちする菊丸君の背後で、手を振りながらこっちに来る幸子と美奈子の姿が視界に入った。
「ー、おめでとう。」
美奈子をシメてやろうなんて思っていたのを見事に忘れて、2人に抱きついた。
「黙っててごめんね。全部不二君に任せてみたくてさ。」
「これで私たち3人、全員テニス部レギュラー彼女だね。」
大石君の彼女の幸子、河村君の彼女の美奈子。
後から聞いた話、2人は不二君が私を好きなことを昔から知っていたらしい。
でも、何も言わず私が好きなように好きな人を見つければいいって、手を出すことなく見守っていてくれたようだ。
「みんな、これから準々決勝進出祝い、それに不二とを祝ってウチで寿司でもどうかな?」
河村君の提案に、みんなが大きく頷いた。
河村寿司へ足並みを揃えて歩く道、「これね、7年メッセージをもらった選手がくれた女の子にずっと渡そうって持ってたもの。」と不二君が財布の中から少し皺が入ったメッセージカードを取り出した。
そこには、とても歪な小学生の文字で『もらったカード、お守りにしています。また君に会えるかな。会いたいな。』そう書かれていた。
「会えたね、また。」
見上げた星空に流れ星を一つ見つけた。
私が不二君にまた出会うことができた様に、今度来る七夕で、彦星も大好きな人に会えますように。
中学3年最後の夏の始め、そんなことを心から願った。
END
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