「−っ。っあぁ。」
「ちょっと痛いけど我慢して。すぐ楽になる。」
「はぁはぁ。…っん!」
「力抜いて。大丈夫だから、任せて。」




















バキっ!!!!!



「っっっ!!」
「はい、終わりー。やっぱり関節ずれてたね。重いものはこれから左で持つようにして、右肩の負担はラケットを振るだけに減らしてあげな。ほら、右肩の筋肉がすっごい硬くなってる。」
「うわ。痛い!」
「こうやってね痛くても圧力かけて血行を促進しないと筋肉は伸縮機能を失っちゃうの。」


ゴリゴリと固くなった筋肉に親指をねじ込むとあまりにも痛かったのか一度全身を跳ねさせた。マッサージ台の上で悶絶する旧友にブランケットを渡して、コーヒーを飲むために湯を沸かす。外は秋晴れのいい天気だ。柔らかい風に吹かれる街路樹の銀杏が綺麗。

「5分休憩、そのあとマッサージね。」
「毎回悪いね。日本に帰ってくるとどうしても君のところに来てしまう。」
「世界でも有名なテニスプレイヤーの施術をさせてもらっている私がお礼を言いたいよ。でも専属のセラピストは?私よりずっと有能だと思うけど。」
「いたんだけど折り合いが合わなくてね。それ以来誰にも頼んでいないんだ。」
「取ったほうがいいと思う。今回みたいに関節とか筋肉の緊張とか試合にも響くし。じゃ、うつ伏せに寝て。背中から解すから。」


学校の先生が言っていた「筋肉の標本」というのはこういう身体のことだ。背骨を支える筋肉を下から上に引き上げる。肩甲骨を持ち上げて指をその下に滑り込ませ解す。首筋に手を当てて肩に向かって伸ばしそこから続く筋肉を押し付けるように下げていく。



「気持ち良い。」

「それは良かった。」

の手は魔法の手だ。」

「それ、幸村が入院してたときも言ってくれたよね。」


今、私がマッサージで解している身体は一度医者に「テニスはもう無理だ。」と言われたプロテニスプレイヤーの身体だ。半年以上入院していた幸村をテニス部のマネージャーだった私は毎週のように見舞いに行った。病室で一緒に泣いたこともあった。手術前日「大丈夫。」そう握った幸村の手。その時、彼は『の手は魔法の手だね。』と私に言った。
彼が入院していた事実が、全く見えていなかった私の将来の夢というものを確立させた。



人を助けられる仕事をするんだ、そう決めた。




「覚えてたんだ。」
「忘れないよ。すごく嬉しかった。はい、次は前。仰向けになって。」
力を入れれば筋肉の標本、普通にしていれば男性なのにしなやかな綺麗な身体、幸村はこの両方を携えている。この仕事をしていると、人の身体の造りにばかり目がいってしまう。一種の職業病だ。

「きれーな鎖骨だねぇ。」

「そうなの?」

「そうなの。」

窓から差し込む光が背中に当たる。それがすごく暖かい。

「ねぇ。」

「何、幸村?」



「そろそろ俺の専属セラピストにならない?」
動かしていた手を止める。彼の手が私の髪を掬い絡める。

「・・・んー、どうしようかな。」

「実は君が今回の帰国の目的なんだ。」

幸村の身体の上に置いていた手を彼の腕が掴む。上体を起き上がらせた彼は苦笑した。

「本当は今夜食事に誘って聞こうと思ったのに。あんまり気持ち良いから今言っちゃった。」

笑う幸村に胸がドキドキする。


「返事は急がない。ゆっくり考えて。」

「うん。」



反対の腕が背中に回されて引き寄せられる。唇が重なって、目を閉じる。
それは長いキスだった。











「良い天気だね、この後出ようか。」
窓の外に目を細める幸村が言う。その先では相変わらず銀杏が風と遊んでいた。マッサージ台から降りて着替え始めた彼に「そうだね。」と返事をしてベランダに出る。そこで一人息を殺して泣いた。
不安だ。外国で今の職業を続けられるのか、今担当している患者さんはどうする。放っていくなんて無責任なことはしたくない。

。」

泣き顔を見られたくなくて隠れたつもりが、すぐ彼に見つかって後ろから抱きしめられた。首筋に当たる体温が熱を伝える。

「・・・泣かせるためにプロポーズしたわけじゃないよ。」

分かってる、と幸村の胸で首を縦に振る。彼の言葉が嬉しかった、それは本当。お互い両想いなのは高校のときから分かっていたけれど、付き合うとか形式的な関係は一切とらなかった。たまに2人で会っては話をしたり食事に行ったりを数年。その数年で周りの友達はみんな既婚者になってそれぞれの家庭を築いている。仕事ばかりの毎日、たまに会う彼らを見て『素敵だな。』そうずっと思っているのも事実だ。


「なんか感情的になちゃった。最近涙もろくてさ。」
「先月赤也の結婚式のときも大泣きしてたね。」
「あれはね、弟を送り出す姉の心境。」
「そういえば去年俺がチャンピオンリーグで優勝したときも大泣きしてたっけ。」
「それは私だけじゃない。真田と赤也だって鼻水垂らして泣いてた。」
「ああ、あの2人は退いたね。は可愛かったけど。」

目元を引きつらせていたから、本当に退いたんだなと分かって笑ってしまった。可哀相に。
真田は特に幸村を大事にしてるのにな。




「行こうか、散歩。」

「うん。」

一度顔を洗って、秋物のコートに腕を通した。銀杏の街路樹を天井にして歩く街には家族連れが多い。公園では子供を抱いてママさん友達と話しこむ女性や親子4人で座り銀杏を指差す家族、遊具で遊ぶ子供たちを見守る保護者、そんな彼らを目で追っている自分がいた。

チラリ。

隣に立つ彼を見上げれば同じように砂場で遊ぶ子供に目を細めていた。何を考えているのか、聞かなかったけれど幸せそうな顔をしていた。




「もう28なんだよね私達。」

「…俺はまだ27だけど。」

「そうじゃなくて。決めるなら今ってこと。」

「真剣に考えてくれていて嬉しいよ。」



公園を抜けて、また先を行く。次第に姿を消していく街路樹の代わりに見上げた空は雲ひとつ無い快晴だ。

悩んでいることを全て引き受けてくれそうな、そんな青空の下で大好きな彼の手を強く握った。














銀杏の季節、責任感のあなたは仕事と恋どちらを選びますか? 私は間違いなく仕事です。笑

[01.04.2012]