オワリはハジマリのハジマリ







もう退社したというのに、今日から始まる私の休暇など全く頭にない部下からの着信が耳につく。
チャリララーンとオルゴールの音が鳴り続ける。こう何度も長く流れると癒しのオルゴールもただの雑音にしか聞こえない。

「運転中だからでれませーん」

ハンドルを握り、料金所を通り過ぎた所でべーっと助手席に置いたバックに舌をだした。
赤信号で止まっても、渋滞に嵌っても今日はもうバックに入った携帯電話を手にしたくない。



仕事は好きだ。

成績はいい、結果も出している。不満があるとすれば持ちあがったポジションに就いてから休みがなかなか取れなくなったことくらい。現在2月、最後の有給休暇はいつだったか考えてみるとそれはもう丸1年前のことだった。
倒れるように呑んで帰宅する金曜日、二日酔いで消化される土曜日、そして大半寝て過ごす日曜日。それが終わればまたエネルギー全開の月曜日が訪れる。
ここ数年まったく変わらないこんな生活のサイクルが原因で、大学時代の友達やサークルの後輩と会う機会が毎年徐々に減っている。

こうやって今みたいに携帯が鳴る時は大抵仕事のことばかり。

仕事と私生活、そして友情の両立はなかなか難しい。





『5日から7日まで休ませていただきます』

妬むことしかできない一部の先輩方の『何こんな忙しい時に休んでだよ』と言わんばかりの非難の眼差しも、『お願い残って!』そんな上司の懇願するような視線も一刀両断にして、もぎ取った今回の休みを使う充ても去年と何も変わらない。

去年だけじゃない。一昨年もその前も、3年前も。私が毎年2月に取る休みの使い道と言えばただ一つしかない。

悲しくも思う。

友人に会ったり、一緒に買い物に行ってストレスを発散したり、何か新しいことを見つけに旅に出たりすることに休暇を費やしてみたいと考えたこともあったが、私はどうしても毎回同じ帰路についてしまう。



『私が戻るまでにこれとこれとこれと、あとこれ、全部片付けておいてね』

午後4時、課題の山の多さに顔を青くする後輩と仲間を激励。最終日を早めに切り上げ、駅ビルに泊めたマイカーに乗りこみ、飛ばした首都高。こんな雪の日は高速も空いていて走りやすい。


目的地は、神奈川県。

高校3年まで住んでいた地元だ。そこで、私は熱い青春を過ごした。スーツに身を包みテキパキ働き社会に貢献するキャリアウーマンと周りから呼ばれる女の子達だって、昔は誰もが学生服を着て、恋や部活や勉強に一生懸命な学生だったのだ。

私もそんな女の子達の一人だった。


小学校から幼馴染だった男の子の影響で中学ではテニス部に入り、高校では男子テニス部のマネージャーを3年勤めた。
今までの一生の中で、一番濃い年月だった。
その幼馴染というのが、テニス界ではかなりな幸村精市という人。

現在プロ選手として活躍する彼は、もう何年も前から世界を飛び回っている。




2月。

毎年この月に幸村は日本に帰国する。それが、私が毎年この季節に実家があった神奈川に帰郷する理由だ。そんな理由がなければ、両親も引っ越して住んでいた家さえ残っていないあの土地を訪れる理由はなにもない。



たった一人の幼馴染。そして、友達以上の幼馴染。

じゃあ恋人か、そう聞かれて返答できる言葉を私も彼も持っていない。俗に言う『曖昧な関係』もしくは『その時だけの関係』というやつ。そんな仲を高校生のころから続けている私達は今もクラゲの様に生活の中を彷徨っている。

お互い彼氏や彼女がいた時もあった。

『幸村君にアメリカ人の彼女ができたんだぜ』大学の時に丸井がそんなことを言っていた時もあったし、社会人になって少ししてから柳には『アメリカ人とは終わって今はフランス人だそうだ』そう聞いた。
友から聞く彼の恋愛事情がただの噂なのか、事実なのか確認したことはないけれど、毎回『そうなんだ』そんな淡白な感情しか私には生まれてこなかった。


それ以上の感情を持たないように、努力していた。

幸村とこの変な関係を築いてしまったことは私にも責がある。好きだと、本当に好きだと自覚していたら普通は嫉妬くらい生まれてもよさそうなものなのに。そして私だけ見てよ、って言えたのかな。

それがないからダラダラとズルズルと・・・。


会えば一緒に出かけて、一緒にご飯を食べて、夜を共にして。
幸村を一種の恋人のように感じながら、肝心な所でお互いがお互いを干渉しないでここまできた。それでいいと思っていた。
彼に恋人がいないのなら、会いに行っても、一緒に寝ても罪悪感も何もない。










でも、今年は少し違う。

『私、幸せになります!』

契機は半年前にあった、私よりも年下の部下の寿退社。私が渡した花束を受け取った彼女は嬉し泣きしていた。本当に旦那さんのことが大好きなのだと誰もが分かる素直さを持つ彼女が、実は腹の中にいるのが双子なのだと教えてくれた。

『これから彼と一緒に、たくさんのものを築いていきます!』

彼女がこの一言を放った瞬間、突然ポカンと自分の胸の奥に空いた空虚感。周りでは拍手が巻き起こっている。祝福する同僚、喜ぶ部下、そんな空間の中で一人地面に視線を落っことした。



想ったのは、今どこにいるかも分からない幼馴染のことだった。

自分の中で、鼓動を上げる蟠りがそこにあった。
中途半端な関係に区切りをつけなくてはいけないのかもしれない、そう思ってしまった。


それは将来の私の、そして彼のために。

立ち止まりお互いを認めているのに歩きだせない私達がこれから『共に築いていけるもの』なんて、なにもないのだから。









「最後の冬がこんな雪なんて、神様も見てるのかな。」

真っ暗な沿岸を横にする最後の数キロ、制限速度に構わずアクセルを踏み込む。
そう、終わりにするため。



雪が舞うこの道のずっと先から、抱き合うたびに優しく呼んでくれるあの幸村の声が聞こえる。























「本当にすごい雪だ。」

白い塵しか見えない遠い空を頭上に路上を歩く私達を照らすのはポツンポツンとたまにある街灯だけで、車も通行人も誰もいない。まるで静まり返ったこの道に、静かな、それでいて憧れるかのような声が耳に届いた。

「東京も結構降ってた?」
前を見ながら質問だけを投げかけられ、一度首を縦に振る。粉雪に踏み出す足が静かに埋もれた。


到着した幸村家は毎年のように私を暖かく迎え入れてくれた。

さんの好きなもの沢山作ったの』

料理が上手で優しい幸村母のお手製料理を頂いて、身体がポカポカになったから散歩に出ても平気だろうと甘く見ていた。冬の海は想像を超える寒さだ。マフラーに顔を埋めて、暖かい息を首元に閉じ込める。コートのポケットの中で、冷たい指が忍ばせたホッカイロを握れば中途半端に暖かいそれが、掌に少し汗の膜を作った。



(早く話を切り出さなきゃ)

心が、焦る。

食べるだけ食べさせてもらって言うようなことではないけれど、今日泊まって帰る気はないのだと、もう、来年の2月に此処に来る気はないのだと言わなくちゃ。

あと最後にちゃんと伝えたい。
大切な幼馴染に今までの『ありがとう』そしてこれからの『幸せに』。
それに『良く寝ろ』『呑み過ぎるな』『仕事頑張れ』『風邪ひくな』、あと柳から『あけましておめでとう』なんて伝言もあったっけ。

どれから言い出したら話が上手くまとまるだろうか。雪の積もった道に、足跡を残しながら考えてなんとなく上手くいきそうなシナリオを組み立てて行く。

「ねぇ、幸村」

これなら本題に話を続けられる、そう感じたシナリオを思いついた瞬間にはすでに彼の名前が口から飛び出していた。



名前を呼ぶと、名前で呼び返す。そんな昔からの癖は変わらない。先を歩いていた彼が、振り返って微笑んだ。この女誘惑度満点の笑顔もまたずっと変わってない。この男にコレを見せられると弱いのだ。私やそこら辺の女の子よりもずっと綺麗な彼の存在を再認識すると、隣に立つことを躊躇してしまう。

だって、幸村と私はまるで釣り合わない。
私が男で私のナリをした女と幸村どっちがいいと聞かれたら、きっと私は「幸村」と即答すると思う。


そんな綺麗な彼が、優しい瞳に私を映しだしている。





「柳があけましておめでとう、って伝えておけって」
「それ・・・帰国する前に本人から電話で聞いた」
「頼まれたの12月末だった」
「だろうね。1月半ばに電話がきて『と話をしていないのか』って言われたし」

ジッと私を見る瞳が何だか悲しそうな表情をし始めたことに気付いて、吐き出されるのを待っている言葉が喉の奥に引っかかって出てこなくなった。

なんで、そんな顔をするの?



、新年に電話くれなかったし」

痛いところを突かれ、胸が苦しくなっていく。

「でも俺からの着信、気付かなかったわけじゃないよね」

返せる言葉が見つからない。

「話したいことがあったのに、おかげで言えなかった」

『仕事が忙しかった』は理由にできない。1月1日、携帯電話が鳴った瞬間は自宅にいた。鳴っている携帯を手に取って目にしたのは見なれないとても長い相手の番号。海外から掛かっている電話だと、心当たりは一人しかいなかったその着信。

見ないふりをして、震える電話を机に置いた。
もう終わりにしよう、その決断にすでに行きついていた。声を聞いたら決心が揺らいでしまいそうだった。
だから、無視した。

着信が鳴り終わって、留守電にメッセージが残されていく。
スピーカーから流れる幸村の声を聞きながら、罪悪感で満たされる瞬間は後味が悪すぎた。

ただの友達だったらそんな面倒な事をしたり、思ったり、考えたりしないのに。




「ねぇ、幸村。」

終わりの話をしよう。

「あの・・・さ。」

冷たくて、感覚がない手を精一杯握り締める。視線は雪が降りる地面に落ちて、落ちて、落ちていく。
そして終に目を閉じる。

真っ暗になった視界で蘇る彼と過ごした思い出の断面図。バカなことばかりした小学校、仲間と共に汗を流した中学の夏、がんばれと叫び続けた高校の全国大会、海外へ発る彼を送った成田空港、初めて一緒に酒を呑んだ大学2年の2月、西洋美術館で過ごした大学4年のバレンタイン、そしてテニスで稼ぐようになって初めて買ってくれた仕事用の名刺入れやマグカップ。

楽しかった思い出や幸せな思い出に背中を押されながら、捲られるシーンの数々が途切れたところで瞼を上げた。今なら言えると、ようやく勇気が固まった。



彼の綺麗な目を見てちゃんと言おう、そう思ったのに、

視界の先に、降っているはずの雪と海岸へ続く道が見えない。

その代わり、すぐそこの地面には目の前に男物の靴が、
顔の高さには彼のマフラーが、
頭を少し後ろに倒して見上げれば真剣な顔をした幸村がいて、

私のその先の視界を塞いでいる。





私の両肩に手を置いて、これでもかという位優しい声で名前を呼ばれた。

「これでおしまいにしようか」

そして幸村の口の動きが、紡がれる声が、力の入る手が、私の感情をどんどん麻痺させていく。


・・・私が伝えたかったサヨナラを言われてしまった。

いつか幸村に告げられるのが恐いと思った終わりの言葉。
言われたら弱い私は泣いてしまうと分かっていた言葉。


『彼の将来を思って』なんてただの偽善で、本当は自分が傷つくのが恐かっただけだった。幸村という幼馴染が自分の中で大きな存在になっていることに気づいた時、いつか彼から突き離されてしまうことに不安で、その別れの先の将来を想像できる自分がいないことに焦って・・・。

だから、終わりにするなら私から言おうと決めていた言葉なのに、

彼に先を越されてしまった。



予想通り、ショックと失恋に涙が込み上げてきた。

肩が、震える。
足に力が入らない。

そんな私の自立反応を無視して、

彼が私に腕を廻した瞬間、終に泣き崩れた。










「・・・俺も真田も話の途中で泣くなって昔散々部活で言ったよね。まだ俺の話終わってないから泣くな。綺麗な顔が腫れるよ」

泣いている女を差し置いて、クスクスと笑う幸村が自分のコートに私の顔面を押し付けて離さない。高そうなコートが、涙と雪でグシャグシャになってしまう。

「中途半端は終わりにして、真剣に考えようと思うんだ」

一体何の話をされているのか、全く掴めない。

「実は4月のリーグが終わったらプロを引退するつもりでさ。そしたら東京でトレーナーライセンスを取って指導する側になる。」

驚いて、腕の中で思いっきり顔を上げた。瞬間、私の頭と彼の顎が衝突してすごい痛みに襲われた。

「痛いんだけど・・・」
「ご、ごめん。びっくりしちゃって。」
頭を抱え悶絶する私と、頬を抑えて何やってんだの眼差しを送る相手。

「そうゆうわけだからさ・・・。」
本当に痛かったようでしばらくぶつけられた箇所を抑えていた幸村は呆れ顔を、また真剣な眼差しに戻して言う。


「4月から、東京で俺と一緒に住んでほしい。」

顎が落下する勢いで開口。

「電話した時今に彼氏はないって柳から聞いたし、俺も君が一番大切にしたいと想ってる女なんだって気づいた事だし何の問題ないよね。」

ちょっと待って、なんだこの展開。

「それに仕事のし過ぎでよく体調崩すをどうにかして見張りたいなってずっと思ってた」


にっこり笑って私の『はい』という一言を聞けると思って止まないこの幸村精市という人物はそういえば昔からこうゆう人間だった。人の感情や意見を無視して、いきなり突発的なことを言いだして、当たり前のように周りの人間を巻き込んで、それでも最後には自分の思い通りにしてしまう。そんな不思議な力を持った人だった。


「正直、今は君が今俺のこと好きかそうじゃないかなんてどうでもいいんだ」
「・・・良くない」


「いや、良いよ。だって、俺達絶対上手くいくから」

恋を失うはずの神奈川旅行が、幸村によって正反対の結果に変えられている。
在り余っている自信と、キラキラビーム幸村に半年悩んでいた自分が阿呆の様に思えてきた。

抱きしめられて、安堵して
彼を近くに感じて、ドキドキしているのは紛れもない事実。



「俺と同棲・・・してくれる?」

プラスアルファこの状況下、幸村と一緒に住む生活を想像できている自分がいた。

きっと、彼と築いていけるものがあると思えた。



「け、検討しておく!」
恥ずかしすぎて顔を上げられない。
幸村のしっかりした胸板に顔を張り付けて、素を隠す私の意地っ張りをどうか今日は許してほしい。



そして『じゃぁ、』その投げかけと共に頭上から降りてくる柔らかい髪が、頬に当たる。左頬に触れる冷たい手に肌を撫でられ恥ずかしさに失神する寸前、


「それまでに今回は本気で惚れさせるから、覚悟しといてね。」

甘く、自信満々の彼に深く長く口付けされ、やっぱりこの男性(ヒト)には叶わないのだと強く痛感した。














終わりの次に訪れる

私達の新しい始まりを見にいこう。

















END & BACK