叶わない

どんなに好きだと自覚しても手に入れられない存在がある。
手を伸ばそうと試みることさえ躊躇する。
切ない気持を自分の中に押し込めて、殺そうと刃を立てる。

もう何度、繰り返したか分からないその行為。結局、感情を殺すことなど無理な芸当だった。持て余す彼女への思いと自分への苛立ちがグルグル渦を巻いて気持ちが悪い。自分が諦めの悪い人間だということは自覚しているが、これほどまでだったかと首を傾げる。ずっと座っていたからかバキッ、そう首の骨が一度大きくなった。

歳も取ったものだ。
昔はどんなに長く座っていても、元気溌溂な青年だったのに。

「あのころ女に惚れていたら今悩むこともなかったな。」

ふと私が漏らした一言に、向かいに座るフェリオ王子がバッと顔を上げて驚愕の表情をこちらへ向けた。ああ、聞かれてしまった。
居心地の悪い王子の視線を逸らして諦めたように窓の外に目を投げる。行き交う白い雲が、鳥と戯れる。奥には彼女を思わせる蒼い空。

今日も平和だ。












『クレフ様、今夜は私と共に城下へ参りませんか?』
『いえ、是非私と!』
『ちょっとあなた達、先約したのは私よ!』
『何ですって?!いえ、今夜は私がクレフ様との時間をいただくわ!』

つくづく女というのは面倒な存在だと思う。外へ出れば声を掛けられる、夜が近づけば呑みに誘われる、頼んでもいないのに物を貢いでくる。全く持って理解不能だ。
王宮に来るまで、本当の女という存在を知らなかった。唯一四六時中時間を共にした女性、もとい母は淑やかな人で、隣人の娘は花や動物以外に感心を持たない、そんな人物だった。それがどうだ。本当の女というものは遠慮を知らない。こんなにも積極的な生き物は森の妖精たちくらいだ。もはや慎みの欠片もない。

『・・・忙しいので、今日はこれで失礼します。』
取り囲んできた女から逃げるように庭を出て、避難場所を探す。一番安全なのはあの方のところだろう、そう足を向けるのは北の塔の最上階。

『クレフ様お待ちになって!』
追いかけてくる女に振り向くことなく足を進める。あの方を訪ねれば冷やかされると分かっていたがこればかりは仕方がないと自分を甘やかした。









『姫、祈りのご様子はいかがでしょうか。』
走って乱れた服を整え、開けた大扉。足を踏み入れいつもと同じセリフを口にする。このセフィーロの祈りをコントロールしにきたというのは口実で、実際は逃げて来たわけだがまさか此処を避難場所にしたなど言えるはずがなかった。

『話すと楽になる悩みもありますよ。』
なのに何もかもを見通す部屋の主は、蓮の中で穏やかに目を開けクスリと笑って私に視線を送った。

『逃げて来られたのでしょう?』
『・・・あなたに隠そうと思った私が間違いでした。』
苦笑して見せると姫が立ち上がり、足をこちらへ進める。シャラン、と音を鳴らした飾り物が揺れる。そして天窓を見上げ、今日も快晴のセフィーロの空を仰いで私に落される視線。この女性(ヒト)は常に母と同じように淑やかだ。

『導師クレフ、恋とはどういうものなのでしょう?』
いつもならば国や人々の様子を聞く以外、質問など投げかけない彼女が真面目な顔をして私に問う。予想していなかった質問の内容に一瞬ポカンと口を開けてしまった。

『私に聞かれましても。分かりかねます。』
『しかしあなたは私より年上で、ご経験も豊富なのでは?』
『いえ、全く。』

即答だった。真の恋などしたことのない人間が、恋を定義できるわけない。

『では祈ってはいかがですか?セフィーロは信じる心が明日になる世界。あなたほどの意志の強い方が願えば、明日にでも恋を体験できるかもしれませんよ。』
ガックリ肩を落とし、呆れた視線で姫をみる。ニッコリ笑っている姫は自分の発言に疑問を抱いていない。

『姫、恋という物は欲しいと願って手に入れられるものではないかと・・・。』
『そうなのですか?』
『一般論ですが。まずは相手を見つけることが先です。』
まぁ、と目を丸くする彼女に言われた。相手がいないと恋ができないのですね、と。この人が考えている「恋」が一体何なのか分からなかった。

『では私が相手になりますよ。』
終いにニッコリ笑ってそう言われ、脱力。ガックリと肩を落としたのは私だ。




しかし彼女はこの約百年後本当の恋というものを体験することになる。

そして人を一人愛し、死んだ。

私がザガートを姫付きの神官に任命したのは姫と恋について語った数十年後。それからまた何十年という時間を経て、2人は結ばれた。
あの時、私がザガートではなく他の者を姫付きの神官に選んでいたのなら、彼女は自害を考えずに済んだのだろうか。今さら悩んでもどうにもならないことを、繰り返し自問自答する。

この国のことだけを考えていた幼い彼女に、私は幸せになってほしかった。













「確かに導師が昔女にモテモテだった話は有名ですよね。」
頬肘をついてニヤリと笑う王子がそんな事をいう。そんな嬉しくもない事実が噂として出回っていることはあまり喜ばしいことではない。
「いつの話ですかそれは。」
「俺が生まれる前でしょう。御自分が一番良く存じていらっしゃるはずだ。」

そんな時もあった。
もう、確かな時間も思い起こせないほど昔のことだ。まだ、溌溂としていた若かりし頃。

「実は結婚の経験とかあるんですか?隠し子とかいたりして。」
その質問に、自分の動作が止まる。隠し子…って。
恥ずかしい話、私は導師として生きることが精一杯だった人間だ。恋など、愛など、国の誰もが一生に一度は体験するそんな当たり前の人間関係を私は経験したことがなかった。

気晴らしに名前も知らない女を抱いたことはあっても、同じ人間との2回目はない。たくさんの女に想われても、特定の誰かを想おうとはしなかった。 そんなことに割く本気など必要ないと思っていた。
なのに、ここ数日は病的だ。
こうやって仕事をしている最中、風呂に浸かっている最中、それに眠りに落ちるギリギリの瞬間まで、頭からウミの笑顔がはなれない。

「嫁も隠し子もいません。」
「なんだー。」
つまんないな、それを皮切りに仕事をさぼり出した王子が背中を椅子に預け背伸びをする。

『話すと楽になる悩みもありますよ。』
昔、姫に言われた言葉が脳裏によみがえる。楽になるかな、そんなことを期待して、今度は私が机に肘を付いた。

「でも心惹かれている者はいます。」
バッと上体を起こし目を大きく誰ですか、と問う王子に苦笑する。答えを聞いたら、この方は何というだろうか。相手が、もうセフィーロにいない魔法騎士の1人だと知ったら・・・。

『諦めてください。』そう言うのだろうか。

自分以外は誰も知らないこの気持ちを共有することに躊躇はない。
もう自分の内に留めておく自身もないし、叶わないこと決定の恋だ。話して、冷やかされそれで終わりだとしても・・・。
姫の言ったように少し肩が軽くなるかもしれない。





「ウミ、という少女が愛しくて仕方がない。」

口にしたらやっぱり彼女の笑顔を思いだし、破裂しそうな切なさに


初めて本当の恋を知った。




  • Written by ich・アスパラサラダ