日が昇って数時間、王宮の食堂で昼食を取って、姿の見えない導師クレフの部屋を訪れてみれば、珍しく目を閉じている彼を見つけた。机に置かれた右手のすぐ傍には筆が無道さに転がり、紙にインクの染みを作っている。その紙が前回の会議の内容をまとめたものだと分かり慌てて筆を横に退いた。
「・・・。」
物音に気がついた導師が目を開けて、マジマジと驚いた様子で俺を見る。ここで何をしてるんだ、と言いたげな瞳に小さな溜息を吐く。
「あなたが居眠りとは、明日は太陽が隠れるかもしれないですね。」
「不覚な。最近寝不足が酷いもので、まさか寝てしまうと。」
「プレセアが導師の昼食を持ってくると言っていました。それまでどうぞお休みになってください。フウがウミと出かけていますから、今なら寝れるでしょう。」
「・・・王子もご経験が?」
「もちろん。フウが俺のところで寝始めた数週間はほとんど寝れませんでした。慣れですよ、慣れ。時間が解決してくれます。」
初心だなと思う。数日前だっただろうか、ウミが太陽も昇らない時間俺の部屋のドアを叩いたのは。ドアを開けると真っ赤な顔をした彼女が立っていて、何も言わず部屋に入った彼女はフウを抱きしめ泣きそうな顔をしていた。
『私、クレフの部屋で寝てしまったみたいなの!』
何て恥ずかしい、手で顔を覆う彼女を見ながら導師クレフのことを考えた。一体どんな状況でウミが彼の部屋で寝ることになったのか、想像ができなかった。でも、ウミの慌てようからまさか導師が薬でも盛って無理やり部屋に留めたのだろうか、とか危ないイメージばかりが浮かぶ。もっとも、事実はもっと簡単なもので、ウミと導師の進展に嬉しさが込み上げてフウと笑ったものだった。
プレセアの代わりに、ウミが夜、茶を持ってくるようになって数ヶ月。理由もなく、契機もなく、私が仕事を片付けている時間はウミも私の部屋で寛ぐようになった。窓の傍にあるソファに座り本を読んだり、ベンキョウをしている彼女は時折窓の外の星や、宙に浮かぶ島が月明かりの中を動くのを見ている。部屋に響くのは、私が走らせる筆と印を押す音くらい。2人の人間がいるとは思えない部屋の静けさに包まれる時間だ。
ウミがいても、特に話をするわけでもなくありきたりな作業ばかりを繰り返す。それでも、彼女は満足なようで、毎晩時間を共有している。
最後の書類に印を押し、ピンッと伸ばしていた背中の緊張を解く。椅子に上半身の全体重を任せて、少し深く息を吸った。今日の仕事はこれで終了だ。
一気に押し寄せた疲れに閉じた目をこじ開けて、薄い目で窓とソファに目をやれば、読んでいたチュキュウの書物を膝に置いたまま意識を手離している彼女がいた。小さな寝息と、端整な顔立ちに愛しさを覚える。これほどに誰かを近くに置きたいなんて我侭、彼女以外に感じたことが無い。
「これも慣れ、だな。」
ウミがソファで寝入るのはよくある事で、一番最初の夜こそどうするべきか戸惑ったものだ。
起こし、部屋に帰れと促すのは気が引けて、結局私のベットへ運んだことを思い出す。あの時、久しぶりに体を元の大きさに戻したのだ。小さな体のままでは彼女を引きずることなく運ぶのは無理だった。そして私はと言えば、彼女が寝ていたソファで夜を明かした。
『な、なんで私がクレフのベットで!!!!?』
朝、バンッと開けられた寝室の扉の音に起こされて、パニックを起こしていたウミに事情を説明するのが、大変だった。
『でも、私があなたのベッドで寝て、あなたがソファで寝るのはおかしいと思うの。』
フウの部屋から戻ってきた彼女は些か冷静さを取り戻し、抗議する。ベットの持ち主がそれでいいと思っているのだから、いいじゃないかと言っても彼女は納得しなかった。
だから、提案した。
『ならば一緒に寝れば何の問題もないな。』
我ながら、自分らしくないことを言い出したと思う。顔を真っ赤にして、黙るウミの髪を撫でる。口をパクパクさせる彼女を置いて出た部屋の外で、今度は私が手で顔を覆った。押さえる皮膚が熱くて、心臓が痛いくらい鳴っていた。
賭けだった。
その夜、ウミが私の部屋に来なければそれまでの関係なのだと認めざるを得なかった。その日は、一日中感情がフワフワしていて、日中何があったか覚えていない。意識がはっきりしだしたのは、いつもと同じリズムで響くドアのノックに動かしていた手が止まった瞬間、ウミが来た瞬間だった。
『お、お邪魔します。』
「・・・ん、クレフ。お仕事は?」
また眠り込んでしまったウミをベットに運ぼうと彼女の体に手を掛け、抱えるのに力を入れたところで意識を戻した彼女の声と息が、耳に掛かる。下げられていた腕が、背中に廻され私の鼓動を早くさせる。
「今日は終わりだ。立てるか?」
「ええ。」
いい子だ、そう頬に軽いキスをして窓のカーテンを引きにかかる。低い月の軌道の上に、今日はファーレンが見えていた。ファーレンよりも遠くの星もまるで宝石のようにセフィーロの空を彩っている。
「ねえ、クレフ・・・。今日も泊まっていい?」
いつも言わせてしまう。一緒にいたいと願うのは、彼女よりも私のほうなのに。
「ああ、もちろん。寝衣を持って来させようか?」
「いいわ、自分で取ってくる。ちょっと待ってって。」
靡く青い髪を見送って、寝室の温度を少し上げた。
彼女は、冷たい部屋で寝るのが苦手だから。
『慣れですよ、慣れ。時間が解決してくれます。』
彼女の吐息が耳に掛かるほど近くで、ウカウカ寝れるほどこういった状況にまだ慣れきっていない。
「お待たせクレフ。」
けれど振り向いた先に立ち、枕を抱え笑ってくれる彼女がこの先も近くにいてくれるのなら
きっと寝不足も悪くない。
