Dream under the tree
首都、東京が一夜で起こった騒動に大破された次の日から私達の新たな日々が始まった。
一時三人が並んで歩いてきた道の先に、3つの分岐路が長く伸びている。
分岐点に辿りつくことを恐れた私達だったけれど、寡の戦いでようやくその先へ足を伸ばす勇気ができた。
3人がそれぞれの道を行く。
願わくば、この分岐路がいつかまた交差するように、そう光と留学に空港を発った風を見送った。
「東京をこんなにして、さっさとさようなら、なんて勝手よね。」
空港の帰り、モノレールから左側に見えるのはわずかに残った建物と、高速道路の一部。
その奥には何もない。セフィーロ城が異世界に帰り5カ月経った今でも、瓦礫の山。
国はここの片付けに手を焼いている。
卒業した時、最後に見た校庭の桜は、戦いなんてなかったかのようにその場に堂々と立って、壊れた校舎を見守っていた。
家の最寄駅を見過ごして3つ先の駅で下車した。
駅から中学校へ歩く道、5カ月通っていなかっただけなのに随分変わった道を横目に、プレハブの仮設校舎が並ぶ入口で足をとめた。
今日は国民の休日だ。当直の先生に伝えれば校庭へ入れてもらえるだろう。
桜の木は健在だった。
夏も終わろうとしているのに、緑の艶ある葉を沢山纏い、時たまに吹く風にさやさやと枝を揺らしている。
バックから飲み物を出して、少し幹に背中を着こうと地面に腰を下ろした。
「涼しい・・・。」
日本の夏の日差しは乙女には耐えがたい。テニス部で練習していた時は夏の暑さに気付かなかったものだ。
この学校には屋内競技場が設備されていて、テニス部もハンドボール部も屋内で練習ができた。
そして今通っている高校も、同様に市の屋内体育施設を利用している。
この暑さの中、外で元気に走り回っている野球部とサッカー部を見ると、貧血を起こしそうになる。
自分があのフィールドにいたら耐えられないだろう。
大きかった蝉の鳴き声が、だんだん小さくなってく。火照っていた体が風に冷やされてわかる。
この数カ月の緊張が一気に無くなったかのように、肩の力が抜けた。
同時に襲ってきた疲労感に目を閉じた。
風が、桜を取り巻くように吹いていた。
「こんなところで寝ていると風邪をひくぞ。」
当直の西脇先生が呼びにきたのかと思った。西脇先生以外に声をかけてくる人の見当がつかなったんだ。
「ごめんなさい、私寝ちゃって。そろそろ帰ります。」
「無理には引き留めないが、できたらもう少し話さないか。久しぶりに会えたんだ。」
目を開けた先にプレハブの校舎は見えない。広がるのは真っ暗な闇だけだ。
そして体をあずけたはずの桜の木から自分以外の体温を感じる。
「何、これ。」
持ってきたカバンも、取り出したペットボトルもない。
風が体に当たる感触はあるのに、自分の体が自分の物だという感覚がない。
「桜が願いを叶えてくれたようだな。」
意識がはっきりして、その声の主が西脇先生ではないことに気付いた。
この声、これは・・・。
「久しぶりだな、ウミ。」
5ヵ月前に聞いた愛しい声に、左目から一筋涙が伝った。
「な、なんで。何が起こっているの?」
「エメロードに会いに精霊の森ヘ来て、その中心にある大木に身を預けていた。
どうやらこの木は異世界と繋がっているようだ。」
「そんなことって。」
「ここに座って、お前達の世界のことを考えていた。そしてウミ、おまえのことを。」
「・・・私は、あなた達が帰っちゃってから、あなた達のことを考えない日なんてなかったわ。」
握った手に力が入った。話している相手の姿は見えない、だけど声だけで充分だ。
「彼」が帰ってから気付いてしまった自分の気持ちに、5カ月経ってようやく整理がつきそうだったのに
こんな再会をしてしまっては忘れられなくなってしまうではないか。
「今、こちらとそちらの世界を繋ぐ方法を探している。」
「セフィーロと地球を?まさかまた侵略なんてことは・・・。」
「ははは、心配するな。個人的事情だ。」
抑揚する声にはっとした。こんなに豊かな彼の声の表情を聞いたのは初めてだ。
「クレフも笑うのね。」
一瞬訪れた沈黙、自分の心が疑問を抱いた。これは夢なのではないか。
だったらこれほど残酷な夢はない。好きな人に会える夢がこんなに悲しいことだなんて、この人を好きになるまで気付かなかった。
「言っただろう、桜の木が願いを叶えてくれたと。ずっと、ウミ、おまえに会いたいと思っていた。」
クレフの言う会いたい、がどういう「会いたい」なのかは分からない。
私と同じ恋愛感情の「会いたい」なのか、「顔が見たい」ということなのか。
これは聞かないでおこう。どちらでも同じなんだ。クレフが会いたいと思ってくれた。
それだけで、私は強くいられる。
「そんなこと言われたら、忘れられなくなっちゃうじゃない。」
「・・・それが目的だからな。」
観念したように笑う声。背中に感じる体温がまた少し高くなった。
握った手の中に感じた違和感に手を開くとそこにあるのはピアスの片割れ。
「約束しよう、いつか会いに行くと。それまで持っていてくれないか。」
「でも、これって大切なものでしょ?」
「ああ。だからお前にあずける。」
そろそろ時間のようだ。
最後に聞いたクレフの声に返事をする前に開かれて行く視界の先にはオレンジ色に変わり始めた空。
そして耳に入る幾分元気さを失った蝉の声。
やっぱり夢を見ていたようだ。
本当にそろそろ帰らなければ、と地面に転がったペットボトルを拾おうと腰を屈めた
瞬間、左頬に違和感を感じて指を伸ばして触れてみる。
今日、ピアスは付けてこなかった。まさか、と外してみると、夢の中でクレフが渡してくれたのにとても似ているピアス。
それを手の平で眺めた。その姿を字で描写するのなら「放心状態」。
「・・・まさか夢じゃなかったの?」
「龍崎ー。そろそろ正門閉めるぞぉ。」
手を振りながら近づいてくるごつい声の主は宮脇先生だ。
「はーい!今行きます!」
ピアスを握り締めて、正門への道を駆けだした。
「待つんだ、私。クレフ、私いつまでも待つわ。」
帰りがけに、ピアスを入れる綺麗なボックスを買いに行こう。
背中に感じたクレフの体温が消えません様に、そんなのことを帰りの電車で流れ星に祈ってみた。
「ずいぶん嬉しそうなお顔をなさっていますね、導師クレフ。」
人間と精霊でセフィーロ再建の話し合いが行われた日の夜、
導師クレフが他の神官を放って、一人森の木の下で寝ていた日の夜、
回廊で通り過ぎる導師クレフの和らいだ表情に気付いた魔道師が、珍しこともある、と笑った。