滴ー硝子
滴
座ったまま、瞼を軽く開けた恩師はひどく衰弱していた。
何も目覚めてすぐに尋ねる必要はなかったと、すぐに後悔した。
ゆっくり休養をとってからでも遅くはない。だが、私の好奇心がその判断を誤らせてしまった。
あの導師ゼストをここまで落とし込む何かがあの夜に起こった。
それは一体何だったのか知っておく必要があった。
なぜなら今導師となった自分にそれと同じことがいつか降りかかってもおかしくないからだ。
「死ぬつもりだった。」
急にはっきりした口調で話し始めたゼストの目は光りを宿していた。
輝かない、まるで黒曜石の様な光。声は低く心に響くものがある。
「あの日、城に戻る途中で私が願ったのは自分の死だけだった。
セフィーロは意思の世界、自分で肉体と精神の撲滅を願えば叶わないことはない。」
「・・・あなたはいつもそうですね、勝手だ。私はあなたを必要としていた。なのになぜ死にたいなどと願ったのです!!」
杖を握る手に力が入る。この50年を思い返せば、よい思い出など数えられる程度しかない。
導師としてのイロハを教わる前に倒れた師、未熟ながら導師として立たなければならなかった精神の重圧は当時の私には重すぎた。
同時に始まった、柱との関係を築くことだけで精一杯だった。そうさせたのはこの人の我儘。
「あの夜、私は城の周辺に魔物の気配を感じていたのだ。どんな魔物が現れるかということはおおよそ検討はついていた。」
「どうゆうことですか?」
「・・・変わり果てた姿だったよ。心を悪に食いつくされてしまっていた。憎しみ以外の何の感情も持ち合わせない化け物になってしまっていた。」
急に弱弱しくなった声は震え、一筋の涙が男の頬を伝った。
「ヴェルナは自分の意思を持ち続けられない魔物の人形だった。だから心臓に剣を刺した。せめて…せめて俺の手で次の世に送ってやろうと。」
自分が彼女を突き放したりしなければ・・・。そう言いかけたところで溢れ続ける涙はもう止まらなくなっていた。
「ではあの血は・・・。」
「あぁ、ヴェルナのものだ。愛した女の血を浴びたマントを身に祈ったさ。彼女の元へ行きたい、と。」
一回止めた男は私に視線を動かし続ける。
「だが、城に着いた時お前の顔を見て死を望む以外に一つの願いが宿ってしまった。
今さら師らしいことをいうつもりはないがお前がちゃんとやっていけるか心配でな。
その願いが、私を死なせてはくれなかったのかもしれない。」
最後にヴェルナ様の後ろ姿を見たのは王宮。
ひっそりと暮らしているのであろうと思っていたのは私の勝手な推測だった。
弱弱しく、子女たちに連れられ出て行った彼女はあの雨の日に愛する者に命を奪われた。
愛するがゆえに魔物に心を支配されてしまった女と、国のために愛する女を突き放し終いには殺さなければならなかったこの男。
「願いの一つは叶った。もう片方もすぐに叶う。」
開けた空の光りに細める其の目は、何を写しているのだろう。
死んだ彼女か、死への黄昏か。人間とはこんなに安らいだ気持ちで死を迎えられるのだろうか。
「私はあなたに弟子入りしてから沢山のことを学んだ。とても感謝しています。
だが私はあなたのような導師にはならない。愛する者も国も、両方を守れる導師を目指します。」
最高の餞別の言葉だなと皮肉気味に言うが、どこか笑っている気がする。
「導師となったお前のことを未だに名前で呼ぶ女が一人。」
「…ベレットのことですか。」
「大切にしてやれ。」
”そして今は新しい柱が生まれたこの国・・・か。”
最後の呟きは静かに響き、その後すぐに体は再び眠りに着いた。
今回は永遠の眠りに。
「今頃、ゼスト様はヴェルナ様に寄り添っておられるでしょうね。」
城の頂上テラスに腰かけセフィーロの大地を見渡すのは彼女の日課だ。
今は夕時とあって夕日が海に反射してはチラチラと瞬くように光りを放つ。
「そうだな。・・・ベレット、再三言うがその敬語どうにかならないか。」
まずいというようなポーズをとって見せる彼女は城使いの娘であり、私にとってある唯一の存在。
「だって年齢はクレフさ・・・クレフの方が上だもの。」
反対側から浸食を始める闇は静かに星を輝かせ始めている。
「あなたもいつか素敵な方と一緒になるのね。」
「ははは、それはどうかな。」
「もちろんですよ。そうね・・・きっとこの海のように素敵な人。」
「得意の勘か。」
「ええ、あなたの唯一の幼馴染としてのね。」
END
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あとがき:
なんとなくちょっとダークが書きたかったけどあんまりダークにならなかった作品です。
次は死にネタかななんておもってたり。
ちなみにベレットさんとクレフさんの間にはナッシングです。
本当は最後に海ちゃんとの絡みを持ってこようかとおもいましたがあえてやめました。
未来のセフィーロでクレフさんは海ちゃんと国と両方大切にしてくれているはずという思いを込めてw
滴三部作、お付き合いありがとうございました。
24.11.2009 ich