人当たりが良い、誰にでも良い顔ができる。私はそんな武器を持っている。
女がてら男が多いパンドラで男風に負けずせっせと働く私は、働き始め数年で自分の本音を簡単に塗りつぶせるそんな特技を身に付けた。
その能力は今も健在で万人に有効。
たった一人、あの人を除いて。
人間だれにでも苦手な相手はいる。性格が合わなかったり、行動や言動の理解ができなかったり。自分自信がこうでありたいと思う理想に近づけば近づくほど、異なる人間というのは表立って気に障るようになる。
私のパンドラで最も苦手な人、それはレインズワース家ご息女シャロン様の従者であるザークシーズ=ブレイク様。
彼の言動は理解できても行動が理解できない。構成員内では変わり者、一匹狼、怠け者からレイムの金魚の尻尾とありとあらゆる隠語で呼ばれている彼は私の仕事部屋の向かい側に部屋を持っている。このドアをノックしたことはない。用があっても恐ろしくてノックできず、仲介にレイム様を何度利用したことか分からない。
彼の行動は本当に理解できないの。
今日だってほら。ちょっと疲れたから回廊を歩きまわり気分転換をしようと自室のドアを開けたら。
「ヤッホー、お疲れ様です君。」
ニッコリ、両手を大きく振りこっちだよ、と言わんばかりのアクション。目の前にいるのにどうしてそんなオーバーアクションをする必要があるのか。そして、身に着けている衣類が非常におかしい。
「ブレイク様、その格好・・・。」
「ふふふ。似合うかしラ?パンドラの新年会の出し物の練習なのヨ。」
一気におねぇ言葉になった彼の声に悪寒を催した。
彼が身につけているのはメイド服。一般的な黒を基調に白のレースとフリルが付いたメイド服。丈の長さが膝丈という珍しさだ。履いているタイツが黒で良かった。白で脛毛が見えるようだったら冷静さを失って爆笑してしまうところだ。
「今レイムさんの部屋に行ったら面白いものが見られるわよ。彼はミニスカなの!」
チーン。
レイム様の現状況を想像したら仏壇にあるあの鉢の音が脳内に鳴り響いた。
「ブレイク様、そのおねえ言葉お控えください。」
「あら、どうしてデス?」
長い銀髪のカツラをいじりながら笑う彼から視線を外し、ガックリと肩を落とす。これが友人や仲の良い友であったら声を上げて笑っていただろうか。そう思うと私は彼の行動が理解できないから苦手なのではなく、ただ単に彼という存在が苦手なのだと新たな発見が生まれた。
「君はもう少し羽目を外すことを学んだほうがいいヨ。」
クソ真面目な人間だと思われている。
そりゃ、私は素性を苦手な人間の前で見せたりしないから言われて仕方ないと言われればそれまでなのだが。
「若いんだからもっと遊びなさいな。」
ああ、若いとまで思われているんだ。
「お言葉ですが、私はあなたより年上です。」
「・・・。おいくつなんデス?」
「四十になりました。」
チーン。
今度はあの仏壇の鉢音がブレイク様の方から聞こえてくる。ギョッとした視線で彼が見ているのは外見25歳の女。私のパンドラ歴でそんなに若いわけがないと、普通なら気づきそうなものを。
「ちょっと待ってて下さいネ。」
何を思い立ったのか一度自分の部屋に入り込んだ彼。開けっぱなしの扉の中からガサゴソ物音がする。顔を顰めて雑音の方を見ていた。「あー、コレコレ。」そんな声が聞こえたと思ったら小さな瓶を片手に部屋から「お待たせしましたァ。」語尾にハートが百個はついてきそうな声で、そしてやっぱりメイド服で出てきた彼を目の前に手を額に当てた。
「ハイ、手出して下さいな。コレ差し上げますヨ。」
「何ですか?」
彼が私の手の上に乗せたのは手のひら大のグラス。中に入った丸い物体に目を細める。
見たことのない色合いだ。白の様な、白交じりのパステルカラーのような。見たことのない色。
「アンチ皺サプリです!レベイユ一の化粧品屋で売っているなかなかいいものです。かなり効きますヨ?」
「・・・・。」
女に皺消しサプリを贈るなんて、どんだけ失礼なやつなのだろうと思った。
大体、私や彼の様に契約の影響で身体は年を取らない人間にアンチ皺サプリなんて使ったって意味がないだろうに。
「あと笑顔が素敵になるというサプリでもありますネ。」
笑顔が素敵じゃないからくれたんだ。そう思ったら突き返してやろうかと思ったけれど、こんな事で怒るなんて自分らしくないし、この人にそのらしくない面を晒してしまうのはごめんだ。
これ以上彼と立ち話はしていたくない、そんなことしか思えない。
「それはどうもありがとうございます。失礼ですが私はこれで。これから会議がありますので。」
「無理し過ぎないようにネ。」
本当は気分転換に廊下を徘徊しようと思っていただけなのに、嘘をついた。
ペコリ、頭を下げそれ以上顔を合わせず仕方ないので中庭に向かうことにした。
手に持ったままのガラスの瓶をどうしようか、中の物体を見ながら考える。その色が、太陽の光りに色合いを変えるそれがあまりにも神秘的だったから、一つ服用してグラスは処分しよう、そう思っていたのに。
口に含んだ瞬間、驚いて足を止めた。
「・・・これ飴玉?」
気づけば思わず指を口に添えていた。口内の物体を舌で転がしてみる。
間違いない。
グレープの味がするし感触が砂糖の塊以外の何物でもない。わざわざ部屋で探しものをしてまで彼が私に渡したかったのは綺麗な、甘い飴だった。
久しぶりに甘いものを口にした気がする。
ふわり、広がる薫。そして舌に広がる包むような甘さにフッと小さな笑いが起きた。
丁度足を止めていた中庭で、まるで導かれるように3階のあの部屋の窓に視線を送る。
「ありがとうございます。」
今度は貼りつけた礼じゃない、心からの礼を窓に向かって告げていた。
その中にまだ彼がいる、そんな確証は全くないのに。
そして気づく。
自分が初めて彼に笑顔を作っていたことを。
「本当に、笑うと可愛いのに。ねぇ、エミリー?」
『四十には見えねえナ!』
今日は会議なんて一件も入っていない。逃げるように去る彼女を見て、やはり自分は・に大分嫌われているようだ、そんなことを思いながら窓際に立ち外を眺めていた。ふと視界に入った動く人間を見つけ、目を細める。頭の中にいた人物、本人の登場だ。
何かを思い立ったように立ち止まる女、口に手を当て驚いた様子がうかがえた。もう一つ口にしたのだろうか。数か月前にレベイユの街で買った珍しいあの飴玉。自分用に取っておいたのに残り半分以上を渡してしまったことは後悔していない。
「私が他人に甘いものをあげるなんて、かなり貴重なことなんですよさん?」
いつも見守るだけの自分もそろそろ卒業しようか。そんなコトを企てる。彼女が受け入れてくれる可能性はかなり低い。それどころかセクハラです、と国家警察に突き出されてしまいそうな気さえするけれど。
「エミリー歳の差ってどう思う?私は関係ないと思うんだけどネ。女性が年上っていうのは気になるものカナ?」
『知らねえヨ!』
「仕事漬けのさんも見ていられないと思っていたところだし、今度デートにも誘ってみましょうカ。」
『オイ、そんなことより俺にも飴ヨコセー!』
そんなことを前々から計画していたらしい彼が実行に移し、私を心底驚かせたのはそれから1年も経った晴れの日のことでした。