水曜日からはじまる物語続

あの意味不明な訪問者の出現から早一週間、仕事から帰り、扉を開けるのが少し恐ろしい。 また中に誰かいるのではないか、そんな心配を胸に帰宅する道のりは仕事疲れに+αで圧し掛かってくる。 扉を開け、電気がついていないのを確認してようやく肩を緩めて休めるのだ。 作った唯一の相鍵は返してもらったし、不法侵入は止めてくれと念を押しておいたから今度黙って入ってきたら警察を呼ぼうと思う。 私の心はまだ一般人なのだから。 窶れた顔を洗面所の鏡に映す。 顔と声が命のアナウンサーをこんなにした幻影旅団。 私から普通の生活を奪った非同集団に身を置く羽目になってしまった。 それは全てあの食事に誘われたあの水曜日から始まった。 今週、あの不法侵入者クロロ・ルシルフルは仕事だと食事に(ムリヤリ)連れて行かれた時に漏らしていた。 つまり幻影旅団として盗みと殺人をやってくるということだ。 口に含んだトマトと、舌を思いっきり噛んだ。「来週の報道局はネタが尽きないな。」 まるで感謝しろとでもいうように鼻高々に言った男にナフキンを投げつけた。 「殺人なんて最低です。改心する気があるならボスに言って、退団させてもらったらどうですか?」 何を言い出すんだ、と動作が止まった男。 説得しようと身を乗り出して深夜まで善であることの意義を語った。 「抜けるための条件は死か、入団希望者と戦って負ける必要がある。後者の場合死に至る可能性がほぼ100%。」 「でもクロロさん、強いんでしょう?ボスもやっつければいいんですよ。」 「部下にやられるほど、一番上に立つ者は弱くないさ。」 そんなこと私に話して、秘密を知ったからと私に刺客を差し向けられては大変だ。 何と言っても非同集団、人の命を虫けらのように扱う連中。 連れて行かれたレストランも、飲んでいるワインも最高級のはずなのに相変わらずこの人と取る食事は緊張と恐怖で不味く感じた。 「こんどヒソカに会う機会があったら言ってください。もう二度と私の家の半径10キロ以内に近づくな、って。」 持っていたワイングラスを震わせ、口元が引きつる。あの野郎のせいで最近、自分の生活が破壊されているのが目に見えて分かる。 アナウンサーの仕事をしながら細々と普通の生活に魅力を感じてようやく踏み入れた「一般的な生活」。 それを第一に破壊したヒソカ、そして第二に今から更に破壊しようとしているこの人、クロロ・ルシルフル。 できれば彼と会うのもこれで最後にしたい。 幻影旅団なんて、殺人家なんて「非常識」と付き合うのはまっぴらだ。 「・・・強化系か。」 口元に手を当て、考えるクロロ・ルシルフルのまえで握っていたワイングラスを粉砕した。 「念能力者だと気付かなかった。」 「当たり前です。隠してますから。」 「俺に悟られないように隠せるということは、能力もかなりのものということだ。」 「念能力なんて、身につけようとしたものじゃありません。私の今までの人生と私の気持ちがあなたにわかりますか!」 「いや・・・。」 興味もない、とでも言いたげな回答に、テーブルを一発殴って体を乗り出すと周りのテーブルに座っている客の視線が私達の席に降り注いだ。 「持ちたくもなかった能力を両親から受け継いだせいで、道を歩けば他の念能力者に狙われる! 美術館へ行けば盗みを働くのではないかと念能力者の警備員に因縁をつけられる!! 夜一人、バーに座ればいかついマフィアにしつこい勧誘をされる!!! どこへいっても念能力にじゃまされてやりたいこともできない!!こんなこんな能力いりません!! 両親に念を磨けと言われたけれど、冗談じゃない。」 「『発』は知ってるか?」 「なんですかそれ?私は『錬』すらできませんよ。」 それは・・・。盗んでも無駄か。 「それにしてはすごいオーラ量だな。」 「両親の遺産とでも言いますか。私がこの10年磨いたのはこのオーラという不可視物体を隠す技術だけです。」 「お客様、デザートでございます。」 運ばれてきたひんやりしたジェラートを口に含んで盛大に溜息を吐いた。 「私は「普通」に暮らしたいんです。アナウンサーの仕事をして、一般のOLのように友達とあそんで。 ヒソカもいなくなって丁度いいんです。あの男だけが私の生活において「非常識」の生き残りでしたから。 これで本当に一般的な生活ができます。」 パクパク、アイスを運ぶ私を肘をついて面白そうに見るクロロ・ルシルフルの視線に気づいて垂れ流していたオーラを閉まった。 帰ろう。 現金はかなり持ってきたし、出口で自分の分だけ払ってそのまま家へ戻ろう。 家まではバイクで飛ばしで約1時間。明日は朝番組会議で早いし、睡眠時間も惜しい。 「私そろそろ−。」 「ヒソカに言われて様子を見に来て正解だった。名前は、と言ったな。 今団員ナンバー7があいてるんだが入らないか?」 「・・・・。」 この人は私の話をちゃんと聞いていたのだろうか。 こんな身の上話、こんな非常識な人間にした私がバカだった・・・。 「冗談じゃありません。それに旅団ってそんなに簡単なものなんですか?私なんて戦闘したら一瞬で死にますから。」 「簡単さ、権力があればね。」 「バカ言わないで、結構で−。」 バックを持ってレストランを飛び出そうとした刹那、感じた背筋が凍るような殺気に足がそれ以上前に進まない。 「言っておくが、拒否権はない。断って、今死ぬか、入団するか。」 「・・・。」 さぁ、っと引いていく血の気。今の私はライオンに牙を向けられている鼠同然で、まさか対抗する策なんて持ち合わせていない。 お父さん、お母さん、生んでくれたことを私生涯恨みます。 「・・・今日何曜日でしたっけ。」 「水曜日だ。」 ガクリ、と膝を床になだれ込ませた。 涙なんて出てこない、これから始まる新しい日々を全身が拒絶しながら脳は私の人生を笑っている。 自分は、結局念能力者の親と同じようにしか生きられないのか。 「俺の事は名前で呼んでもいい。」 「・・・名前で呼んでも、って他に何があるんです。」 「団員は団長と呼ぶな。」 勢いで頼んだマティーニをボトル2本一人で空ける。もう飲まないとやってられない。 団長・・・この人団員じゃなくてよりによってこの人団長だったんですか。 善を諭すために、語りに語った2時間を返せ。 目を付けられたのが幻影旅団の団長だなんて。お願い神様、この人に善の制裁を。 私が入団する前に幻影旅団を潰して下さい。 翌日、セットした目ざましに起されて立ち上がると歪む視界。 昨日のアルコールを感じるとともに、昨夜の出来事が夢ではないとバスルームで消化しきれなかったマティーニを吐きだした。 こうして、ハンター歴1997年、7月の第二水曜日、・バーセルの夢見た「一般人の生活」は永遠に彼女の元を訪れることがなくなった。 その週から日に日に窶れ始めたを、ブラウン管越しに心配したアフターヌーンエクスプレスのファンから サプリメントや、元気づけの手紙がテレビ局に送られるようになったという。