水曜日からはじまる物語

毎日毎日6時に起きて、シャワーを浴びて、昨日使った皿やグラスを洗浄機に突っ込んで、化粧をする。
やることが頭にインプットされているせいで、特になにも考えずとも身体が勝手に動いている。
頭がさえている時なんかオートモードの動く四肢を気持ち悪いと思うことすらある。

ドサッ。
まだ水が滴る髪を揺らして身体をソファに預けた。マグカップいっぱいに淹れたエスプッソに口をつけてテレビをつければ、モーニングエクスプレスのリカちゃんが今日も可愛い笑顔でニュースをお届け。

「癒される、本当。」

『ここで先日盗難にあった世界最大のダイヤモンド、人魚の涙の情報です。
警察は、被害者の殺害方法から犯人を幻影旅団と断定しました。』

「・・・。」

鼻近くに持ってきていたエスプレッソに注いでいた視線を外して、首を90度左に、閉じられた一室を眺め見た。

「へぇ。仕事だったんだ昨日。」





返り際、まさかと思うが血痕を残してないだろうな。そう願うのは毎度のこと。
そんなのが警察に見つかれば、私まで幻影旅団の一因だと世間に思われてしまう。
まだ中身が半分入ったマグカップをソファテーブルに置いて、バスルームへ。そろそろドライヤーをかけないと風邪を引きそうだ。
棚にまとめて入れてある彼の化粧品も、念のため処分しておいたほうがいいかもしれない。
本当に、いつかまた帰ってくるかもとずっと捨てられずにいた子達も主人の帰りを待つのに飽きてしまっていることだろう。


「本当に髪切ろうかなぁ。」
ウインウインと熱風で私のボリューム満点のカーリングボサボサヘアを巻き上げるドライヤー。耐え忍ぶのもそろそろ限界。
もう半年近く訪ねていないお気に入りの美容院、ナンバー3の気さくな彼女はまだいるだろうか。

身支度を整えて、買ったばかりのハイヒールに足を入れる。
出かけ際、閉じられた扉をノックしかけたけれど音を鳴らす前に手を止めて、玄関に身体を向けた。
玄関の内側にセロハンテープで書き置を貼り付けた。別にわざわざ起して伝えることでもない。
今日の残業予測は3時間、夜ごはんは一人で食べることになりそうだ。

最初は寂しかった一人の食事ももう慣れっ子。私達の関係はすでに冷え切っている。
今日、朝起きて玄関に男物の靴があったことに目を見張った。まさか帰ってくるなんて思ってもいなかったのだ。

相変わらず、唐突突然。一応私の家なのだから断りくらい入れてほしい。


柔らかく被ったヘルメット、アップした髪が一日持つことを祈って、FLHTCのエンジンをいれた。
















ちゃーん!」
朝の広報室、さっきまでモーニングエクスプレスで笑顔を振りまいていたリカちゃんがいつもの様にコーヒーを持ってきた。
彼女が持ってくる朝のコーヒー目当てで、彼女が番組を切り上げる時刻に出勤しているのかもしれない。

「おはよう、リカちゃん。」
「ふふふ、今日も綺麗な髪だね。ちん。」
私の髪を手にとって遊ぶ。コーヒーを持ってくること、そして私の髪で遊ぶ、これは彼女の日課。

「いやぁ、そろそろ本気で切ろうかと思ってる。」

「昨日の夜ね、ちゃんあてに電話があったんだよ。」
「電話?誰から?」
「んーとね、ヒソカさんって言ったかな。ちゃんがいないこと伝えたら『了解♪』だって。」

職場に連絡してきてたのか。なんて迷惑な奴。

「リカちゃんありがとう。知り合いだわそれ。」
「あらあら、降格しちゃったんだ。前は彼氏さんだったよね?」
「相変わらず記憶力の素晴らしいことで。」


彼女に「彼氏」の話をしたことは1度か2度。名前を出した事は一回あっただけ。
さすがキャスター、一度読んだこと聞いたことは忘れない。

「じゃぁちゃん、今日のアフタヌーンエクスプレス楽しみにしてるね!」
ルンルン気分で跳ねて行く彼女は上階の編集室にいる旦那さんに会いに行くのだろう。
デスクに置かれた今日放映されるニュースの内容と、専門大学からのゲスト解説者の名前を頭に叩き込む。
終わるころ、コーヒーはすでに冷めてしまっていた。









アフタヌーンエクスプレスの放送後、デスクワークをして、仕事をやり終える頃時刻は夜の7時半。
今日の残業予想は3時間だったが、2時間半で片付いた。帰り際ドラッグストアに寄ってビタミン剤を買い込み、コンビニへ。

書き置に、夜ごはんを作っておいて下さいと久しぶりに甘えてみたけれど、あいつは昔みたいに晩御飯を用意してくれてはいないだろう。
売れ残りで安くなっていたコンビニ弁当とコーヒーを買って、やっと最後の一本道に差しかかった。




ふと見上げれば電気がついているアパートの2階、一番左の一室。全くどんな顔をして会えばいいのか分からないまま、鍵を穴に入れ捻り廻す。
ドアを開けた瞬間に薫ったクリームソース。持っていたビニール袋が衝撃で地面に落下した。

廊下置くのリビングから響くテレビの音、晩御飯の薫り、人がいる気配。それは5年前、付き合い始めた時と同じ香り。

落下したものをそのままに、ハイヒールを脱ぎ捨てて、リビングへ向かった。



「やっと帰ってきたか。」

部屋の隅にある小さな食卓机に頬肘をついている人物。今まで退屈そうにテレビを見ていたのだろうか、 身体はテレビに向けられ、足を組んでいる。

まるで自分の家の様に寛いでいるこの男は誰だ?

「あ、あの・・・。」
「座れ、今食事を出す。」


立ち上がり、暗いダイニングキッチンへ消えた男の背中を点になった目が追いかける。
すぐに2枚の皿を持って出てきたその人物は早く座れ、と2つ目の椅子を引いた。
警察を呼ぼう。携帯を取るためバックに手を突っ込んだ私を見る真っ黒い視線が「早く座らないと殺す。」と物語っていて、おずおずと手を引き抜いた。


「料理はあまりしないから、不味かったら残すといい。」
「イエ・・・。おいしいです。」
カルボナーラ。太めのスパゲティにこのソースは手作りだろうか、ファミレスの味とは違う。
注がれた白ワインもパスタにマッチグー。

美味しいけど、美味しいけど・・・何なんだこのシチュエーションは!

「私なんであなたと一緒に食事してるんでしょうか。」
「お前が夕飯を作ってくれと書き置を残したんだろう。」

この人ずれてる。



「それより・・・。」
「は?」
近づいてくる顔、黒曜石の様に吸い込まれそうな色、バスルームを使ったんだ。サラサラな髪からあいつが使っていたシャンプーの香りがする。
長い指が口元をなぞって美形が不敵に笑った。

「クリーム、付いてる。」

































「おはようございます。」

8時に起床した時にはすでにソファに座り、何をするでもなく外を眺めている横顔。
私の声に反応した表情が一瞬崩れたかと思えば、ゆっくり首を回して「おはよう。」と返してきた。

「遅いんだな、朝。」
「今日は休日ですから。」

休日は特集番組が組まれることが多いから、生放送のキャスターが休めるというのはありがたいことこの上ない。
2人分、プレスで淹れたコーヒーを持って彼の反対側、床の上に腰を下ろす。


「昨日約束した通り、説明して下さい。あなたは誰で、なぜここにいるんですか?」
問いただす前に酔いつぶれてしまった私は、布団に入り間際、明日聞きますからね!とだけ叫んで夢に落ちた。

「覚えてたか。」
「キャスターは酔いつぶれてもセリフと発言は忘れないんです。」
仕方ないか、と言いたげに背をソファにつけた黒髪の男は綺麗な口元を動かした。

「俺はクロロ・ルシルフル。」
「ここの鍵を渡したのは大方殺人ピエロですか。」
「随分な言い方だな、元彼だろう?」

元彼という代名詞に握っていた林檎が粉砕した。今思えばなぜあんな男にぞっこんだったのか、自分を疑いたくなる。
付き合ってる最中ならまだしも、相変わらずの奇行と行動。

あいつ、人の家に男を送りこむなんて一体何を考えているのだろう。
そしてこの怪しいクロロ・ルシルフルさんが一体何なのか見当がつかないわけじゃないけど、一応聞いておこう。
間違いと言うこともあるかもしれないし。

「ヒソカとの御関係は?」
「知り合い、もしくは仕事仲間と言ったとこ。」
ああ、やっぱり。無情な神様、ということはこの人も幻影旅団の一員ですか。

ガクリ、膝が床に沈む。何でこうやって変な人間ばかり集まるようになったのか。
少なくともヒソカと会うまでの私は一般的交友関係を気付いていて、こんな得体のしれない誰かが訪ねて来たことなんてなかった。
全てあの男が持ってきた災いか。


「・・・それでクロロさんはなぜここに?」

「仕事帰りに君に会いに。」

全く冗談ではありません、と見てとれる表情に大きなため息がでる。
「それ、答えになってないです。」


「どこから話すべきかな。2カ月前、アフターヌーンエクスプレスで幻影旅団の事件報道でコメントをしていた君をテレビで見た。」

2カ月前・・・?


『惨忍、犯罪、幻影旅団は非常識人間の悪っしき集まりです、みなさん決して彼らの善意行動等に騙されません様に。
いいですか、幻影旅団は私達一般市民の敵です!』

「あそこまで公共の場で俺達の名前を出す人間を見たことがなかったから興味が湧いた。
一緒にテレビを見ていた仲間の中にヒソカがいて、『この子、僕の前の彼女だ。』っていうから鍵を貰って来たんだ。
会いに行くならこの鍵を返してきてくれと言われて来た。」


ひい!つまりこの人、仕返しに来たのか!?心なしか口に運ぶコーヒーが不味く感じる。

「報復に私を、殺しにきたんですか?」

美形の顔が私を覗きこんで、少し微笑んだ。この顔をこの距離に置いとくのは危険だ。
綺麗すぎる。殺すなら一瞬で殺して下さい、ヒソカみたいに私を痛ぶらないでください、とは口に出さないけれど切に願った。

「殺さないさ、それより今日はどこか食事にいかないか。」

ついていた膝がより沈んだ気がする。











END