prevarication

暗闇に女が立っている。

それが何処なのかは分からない。昔、造船用に使われた倉庫だろうか。女の背後にはクレーンのような機材が見える。身に纏うスーツにはバラの形状に加工された銀が光り、女は口元に笑みを浮かべている。



声が聞こえる。

しかし、聞き取れない。分かるのはトーンが高くも低くもない点のみに限られている。その声は確かに女が発したらしかった。口元が動く。何かを言い終わった女が、持っていたナイフを地面に落下させる。

そして口元にまた笑みを作る。



銃声がする。

それも複数の方向から。放たれた弾が目指しているのは中央に立つ女のようだ。
あと0.9秒で最初の弾が女の頭を貫く。

そして女がまた口を開く。



笑顔に、涙を流しながら

『クロロ、大好き』


確かにそう言った。










「・・・ッ!!!」
足の痙攣と共に飛び起きたキングベッドの上で、今までの情景が現実のものではないことを知る。全身が汗にまみれていた。変な夢に疲れた思考と汗の不快感を纏って、目覚めは最悪だなと一人悪態をついた。

窓から差し込む光が鈍い。
だるい身体を起こし時計に目をやると、時刻は6時13分を差している。パクノダと呑んで帰宅したのは3時半だった。3時間程度しか寝ていないのに、あの夢の内容の濃さは何だ。これから新しい一日が始まるというのに、気分は団員と呑みに呑んで疲れた時の様に重い。

しばらく手を額に置いて、サイドテーブルに置いた携帯に手を伸ばす。あっちの現在時刻はまだ朝の4時。迷惑と分かっていたが、慣れた番号にダイヤルをかける。いつもなら数コールで声を聞かせる相手が、出ない。

諦めて携帯を元の場所に戻した。
シャワーが終わって折り返し電話が来ていなかったら会いに行こう、そう予定になかった訪問を決めた。

『休みの日は起こさないでって言ったよね?』

こんな早朝に訪ねれば怒られると分かっていたが、それよりも今は彼女の顔が見たい。
















「それでわざわざ会いに来てくれたんだ。」

コーヒーを2人分用意するに相槌を打つ。先日買ったんだという稀少なコーヒーを入れる彼女は満足そうにその薫を楽しんでいる。

「朝早くに悪かったな。」
「いいよ。私が死んでないか見に来てくれたなんて素敵じゃない。クロロらしくないけど。」

俺らしくない?

「私の替えなんて、いっぱいいるでしょうに。」

にそう思わせているのは、間違いなく今までの俺の交友関係に問題がある。複数の女と寝て、たまに会いに来るだけの男をいつまでも恋人だなんて思う人間は珍しい。

「夢に出て来たのがお前だと思ったから来たんだ。他の女なんて顔も覚えていない。」

こんなに長い年月を通して誰かを訪ねるなんて彼女以外にはいないのに、他の女を抱いても頭に浮かぶのは彼女の満たされた瞬間の顔だけなのに「それはそれで酷いね」と微笑むに漬け込む隙など、もう俺には残っていないのかもしれない。そう感じる。

エスプレッソマシーンが静かに音を立て、フライパンの上で目玉焼きがトーストに乗せられるのを待っている。初めて此処に泊まった翌日、彼女が作ったのと全く同じ朝食に当時を振り返る。

するとやっぱり、今日俺の気持ちがにもうこれっぽっちも届いていないのは自分が犯した過ちで、自業自得だったのだと認識せざるを得なかった。
サイドボードにあった俺達2人の写真が消えていた。

「夕飯は俺が作ろう。」
コーヒーをカップに移すの隣で、フライパンに手を伸ばした。繋がった2つの目玉焼きを中央で切って、それぞれをトーストに乗せる。

「夜までいるの?」
目を丸くして、ギョッとした表情を見せる女に苦笑した。

「何だ、予定があるのか?」
「・・・特にないけど。」

なら決まりだな。
そうエゴイスムに事を運ぶ俺を否定しなかったの反応にホッとした自分がいた。
、愛してる。」

『いや、帰って。』
そんなことを言われたら、今度こそ本当に好きな女を失ってしまいそうだから。



























『久しぶりねテイラー。』

散々ベッドで私を掻き乱したクロロが帰宅して、また一人になった自宅の一室で親友に電話を掛けた。思ったより早く電話口に姿を見せた彼女が「上手くいっている?」そんな言葉を口にする。

「クロロの記憶が揺れてる。」
そんな物騒な一言に、電話の先でパクノダが緊張しているのが手に取るように分かる。言葉を発しない彼女を見かねて、「憶測だけどね。」そんな曖昧な言葉をかけた。

「昨日、クロロが会いに来てね。夢を見たって。」
『・・・夢?』
が死んだ時の夢。」
『なんですって?』
「彼の潜在意識のそのもっと底の・・・私達では弄れない部分に当時の絵がまだあるみたい。」
『それを手がかりに団長がを思い出すことはある?』
「それはないと断言できる。奥底に眠る記憶も、それを繋ぐ部分がなければ意識されないから。」

そうね、そう胸を撫で下ろしたかのような声色を聞かせるパクノダは安堵している。そして、続ける。

『・・・辛いわね、テイラー。』

私の感情を見透かして、親友が掛けてくれる声に涙が流れそうになった。

『もうあれから2年。あなたが一番辛い思いをしているのは、私も他の団員も分かっているつもりよ。』

2年。
クロロの恋人だったが死んで、が持っていたクロロに関する記憶をパクノダが私に植え付け、そして私がの死に関する記憶とテイラーに関する記憶をクロロから抹消し、私がと名乗るようになって2年が経った。


本当のを忘れて、私という偽りのに恋して今を生きる団長も、
自棄を起こして自爆するように死んでいったも、

2人ともずるい。


!!!!!!』
叫び声を上げる団長の姿も、
動かないの身体を抱き、崩れる団長の姿も、

私は何一つ忘れられないのに。






『夢に出て来たのがお前だと思ったから来たんだ。他の女なんて顔も覚えていない。』

クロロに惹かれてしまう。どうしよもなく、焦れている。
いつも一緒にいてほしい、私の本当の名前を呼んでくれなくていい。

ただ、ずっとずっと愛してほしい。

でも私は彼に「好き」と言えない。そしてこれ以上、2人の関係を深めることもできない。
はサバサバした女だった。私とパクノダ以上に物ごとに興味がなくて、クロロのこともどこまで本気だったのか分からない。『好き』その一言を彼女が日常でクロロに伝えたことがないことを、私はパクノダが私に移植した彼女記憶で知った。

たった一回、最後の最後。
死ぬ寸前に、『大好き』と一度言っただけ。


「辛いのは自業自得なんだよ。」

の恋人であるクロロが大好きだった。友達の彼を好きだなんて、自分は何て最悪な女だと思ったけれど、どうしても諦められなくての記憶を受け継ぎ、そしてとして生きることを選んだのは自分自身。

なのに、

こんなに辛い。



『テイラー。忘れないで、あなたがの役を買ってくれたおかげで今の団長があるの。』
そう、もしあの時私達がこの処置を施さなければきっとクロロはの後を追ってた。
それくらい、彼は彼女を愛していた。

団員の誰も理解できないくらい大きい愛だった。

優しくに微笑む彼と、何よりも彼女を大切に思っている彼を良く知っているから言える。

クロロが見ているのは、今までもこれからもやっぱり私じゃなくて

、愛してる。』

ずっとずっと、




いつまでも、もう居ないあなたただ一人なのだと。













END