ここはパドキア共和国、私の街からは600キロほど東にある国だ。
何でこんなところにいるのかというと仕事があったから。
3週間前に受けた右翼高幹部20人の殺害依頼を遂行するため飛行船で上陸したのは昨日。昨日晩に行われた右翼の会合に合わせ飛行船のキャビネットを予約した。7時間の飛行を終えてパドキア中央飛行場に下りたつと、ロータリーで観光ガイドのお姉さんが「ゾルディック家試しの門ツアー」と書かれた旗を持っているのを見つけた。
他の旅行会社も「ククルーマウンテン殺人一家巡り」とか「試しの門を開けてみよう体験」とか、ここの観光名物はどうやら一つしかないみたい。
冷やかしついでに寄っていこうかな、と思ったけど相変わらず仕事に追われてるんだろうと思ってやめた。
来週の土曜日は月一回のカフェの日だし、今わざわざ『彼』に会いに行く必要はない。
飛行船発着の関係上、私はあとほぼ2日この国に留まることを余儀なくされている。私の街まで直通の飛行船が飛び立つのは明日の夕方。
それまでホテルで依頼メールの返信をするか寝ることのない私は今日朝早めに起きて例の如く教会に行ってきた。
今はその帰り道。黄色く染まった銀杏が遊歩道に作った絨毯の上を歩きながら、秋の空気を吸い込む。後ろからは教会の気持ちよい鐘の音。
パドキア大聖堂から街の中心地へ伸びる遊歩道にはカフェやブティック屋がポツポツとあるくらいで中心地に比べ歩いてる人はかなり少ない。
教会で歌った賛美歌の歌詞を思い浮かべながら、まっすぐな銀杏絨毯を行く。ある一軒のガラス張りのに設計されたお洒落なカフェを通り過ぎようとしたとき、私の視界にある女の人が映った。
「・・・なんだろう。」
横目が捕らえた金髪の彼女はカフェの一席でそのテーブルを一度強く叩いて立ち上がる。
聞こえないけど罵声を発しているのだろうか、ものすごい剣幕だ。そしてその形相のままレジの前を通り過ぎ歩き出す。
一部始終を目撃した店員は気まずそうな表情を浮かべ冷や汗をかいていた。
「フラれたのね、なんて不憫なんだろう」
同情するように、彼女が座っていた向かいに今も座る男性に目を向けた。
その瞬間、私の前方でカフェのドアが殴られたかのごとく勢いよく開けられたけど、まったく気にならなかった。数秒、その男性に見入ってしまったからだ。
ワインレッドのワイシャツを着た彼は、紅茶カップを片手に持ち上げ、テーブルに置かれた雑誌に目を伏せていた。たまに視線を前に向けたかと思えば疲れたように目を閉じ、また開いてを繰り返している。
飲んでいるのはアールグレイだろう。
手に持っていた聖書を脇に抱えて、迷うことなくカフェのドアを内側に開ける。
「いらっしゃいませ。お客様一名様でしょうか。」
さっきまで気まずそうな表情を見せていた店員に「案内は結構です」とやんわり断って店内へ足を進めた。
「イルミ。」
片眉を一度ピクリと動かして、怪訝そうに視線を上げる。本日、彼のご機嫌は斜めらしい。
「?なんで此処にいるの。」
断ることもなく、彼女が座っていた席に腰を下ろした。
「昨日この国で仕事があったから。」
「なんで言わないかな、そうゆうこと」
紅茶のカップを置いたイルミは小さく溜息をはいて、呟くように漏らした。
「ごめん。仕事で忙しいだろうと思ったから。」
「。」
返答ではない。一度はっきり名前を呼ばれ「何?」と聞けばイルミの長い腕と人差し指が化粧室の方向をさしている。
あぁ、忘れてた。
「・・・はいはい。行ってきまーす。」
聖書をテーブルに置いたまま、立ち上がり化粧室に向かった。
これはイルミとの約束。
仕事以外でイルミと会う時(つまり月一カフェで会うとき)はカラーコントレンズを外すこと。
私は自分の目の色を他人に見せるのが苦手だ。
それどころか自分で自分の目を見ることすら抵抗がある。
思い出しては悲しくなる人物を思い出してしまうから。
大体いつも茶色のコンタクトを入れている。おかげでコンタクト代も馬鹿にならないのだが、ブルーレースとマンダリンガーネットを晒すよりはマシだと思ってる。
仕方ないじゃない、まさかこんな所でイルミに会うと思わなかったんだから。
鏡に2色を映して、また昔この目を綺麗だと褒めてくれた人物を思い出した。
席に戻るとイルミは私のブルーレースとマンダリンガーネットを確認するかのように目を細めて「もったいないよ。」と零す。
そして銀杏の絨毯の方に目を移し、さっきより大きな溜息を吐いた。
「、何でこんなときに限ってパドキアにいるわけ?」
おお珍しい、八つ当たりか。
「どうせ見てたんだろ、さっきの女。」
イライラしたように今も窓の外を見るイルミ。彼がこんなに不安定になってるなんて明日は雷だ。
まだテーブルに放置されている口紅が付着したアイスココアのグラスに目を移して「神様が仕掛けた偶然。」と返した。
その後すぐあのウエイターによってオレンジペコが運ばれてきた。どうやら化粧室にいる間にイルミが頼んでおいてくれたらしい。
気のせいじゃない、彼は不機嫌だ。普段は喜怒哀楽に属することのない彼がこうやって怒に身を置いているのはとてもめずらしいこと。
イルミとカフェ交流を始めて1年ちょっと、何となく表情を読み取れるようになったのだが、不機嫌なイルミは初めてで接し方に困ってしまう。
「タイミング悪くてごめんね。これ飲んだら帰るから。」
これ以上、彼のストレスになるような存在は早くホテルに帰ってメールの返信をしよう。
しばらく回答が帰ってこないのが気になってイルミの顔を覗くと「え?」見たいな表情で固まっている。今この人の思考回路にはどんな情報が行きかっているんだろう。
「ごめん。」
そしてその後、普段のイルミの口調で謝罪の言葉が返ってきた。
八つ当たりの次は謝罪?
「時間あるならもう少しいてくれない。」
怒ったイルミの反応はよく分からない。
「あの女、母さんが連れてきた。見合い相手。」
あの女・・・と話し始めてまたいささか不機嫌な口調になったイルミはアールグレイを追加注文する。
「キキョウさんが?」
私はイルミの母親と面識がない。ただシルバさんを「さん付け」で呼んでいるからキキョウさんのこともキキョウさんと呼んでいる。名前がキキョウだというのはシルバさんから直接聞いた。
「一緒に出かけて来いって追い出された。休みだっていうのに。」
家族は大切にしているイルミのこと、キキョウさんに逆らわず出かけた結果、あの女性を怒らせることになってしまったのだろう。
同時によく殺すの我慢したな、と少し尊敬した。それも家族のためなんだろう、家同士の付き合いとかあったら響きそうだし。またこめかみに怒りマークが出そうなイルミの雰囲気。
とにかく話題をあの女の人から逸らさなきゃ。
目に付いたのはイルミが広げている雑誌。さっきから気になっていたのだが、それはとてもカラフルでまるで女の子が読むような一冊だ。
「イルミ、それ何読んでるの?」
聞くと雑誌の表紙が見えるように一度持ち上げてくれた。それはとても気まずそうに。
そこには『タルトが美味しい店500』と題打ってある。
鋲専門雑誌なら頷けるけど、イルミがお菓子特集って。
似合わなすぎるよ・・・。
「・・・来週の水曜、誕生日なんでしょ。」
どうする?どう反応すればいい?笑うのも失礼だろうと一人対応に悩んでいたときにイルミの口からポロッと出た言葉で我に返った。
「ん?ああ、うん。」
その通り、私は来週の水曜日20になる。
教会に行って、夜は仕事で終わり。流星街を出てから誕生日なんて祝われることもなく過ごしてきた。お祝いなんて気分じゃない。
何たって9年前の11月13日は親と妹、親戚の命日。そして私が流星街に捨てられた日なのだから。
今月イルミが私の予定に合わせて休みを取ったのは16日の土曜日。
「プレゼント代わりに予約しといたから。」
几帳面に折られたページがイルミの長い指によって開かれる。
そこには『フルーツタルトが自慢のカフェ特集』なるものが組まれていた。
ここね、と彼が示す場所にはたくさんのタルトがショーケースに並んだBlack Mariaというカフェと『自慢のグレープフルーツタルト』のみずみずしい写真。
「たまには違うカフェでもいいよね。」
今日の朝、母さんに連れられ俺の自室にきたのは金髪に蒼い目の女。のブルーレースよりかなり濃い蒼。
けたたましく鳴る目覚ましよりひどい女の声色、そういえば見合い相手がどうとか母さんが昨日の晩言っていた気がする。
案の定その女は候補の一人。そいつが「今日は買い物に付き合ってね。」と訳の分からないことを言い出したのが原因でムリヤリ出かけさせられるはめになった。
見合いの話がなくなったら絶対殺す、そう思わざる得ないほど一日中引きずり廻されたんだ。
数時間の買い物の末に女がランジェリーショップに入ったところで、一人向かいの本屋に行った。
別に本を買う予定はなかった。ただあの女から離れるために店内をぶらぶらしていたら、雑誌が一冊目に入った。
表紙は1ヶ月前が食べてたベリータルトに似たケーキの写真で飾られてる。
先月ブルーベリータルトを「美味しい美味しい」と頬張っていたの顔を思い出した。
彼女はタルトと名がつくもの全般が好きらしい。キッシュタルト、ケーキタルトいつもカフェではオレンジペコとタルトを頼んでる。
彼女の誕生日が来週なのは知ってる。本人は誕生日なんていい思い出がないと言っていたけど日にちを知ってる手前スルーもできない。
何を贈ろうか考えるのもメンドくさいしこれでいいや、とその雑誌をもって会計に進んだ。
本屋を出れば向かいのランジェリーショップ前で頬を膨らませて「何処行ってたのよ!」
そう金きり声を上げて待つ女。本当の馬鹿?下着ぐらい一人で買いなよ。
「ああもう疲れたわ。座りましょう。」
歩き出す女にムリヤリ腕に手をまわされ、悪寒におそわれた。
本当疲れる。
数分後入ったカフェでようやく腰をつくことができた。イライラする、こんなの久しぶりだ。
母さんも母さんでもう少し選んで連れてくればいいのに、こんな女といるくらいなら仕事をしてた方が何倍もいい、貴重な休みが飛んでった。
さっさとアールグレイを注文してさっき買った雑誌を広げた。
『フルーツタルトが自慢のカフェ特集』のページにが好きそうなグレープフルーツタルトの写真を載せていたカフェの案内で目を止める。
「私の目は世界一綺麗だと思うの。」
どう?と自慢げに化粧ポーチから鏡を取り出してアイメイクをチェックし始めた女を無視した。
こいつ本気で言ってるのだろうか、こんなドス黒い蒼い目、あの2色とは比べ物にならない。
さーっと一通りの記述に目を通す。要予約の文字を見つけてすぐに「連絡先」に続く番号に電話をかけた。
「イルミ・ゾルディック。来週の土曜16時から2,3時間二人席を予約したいんだけど。」
俺と違ってはカフェの日、仕事を休むわけじゃない。
大体いつも夜に依頼を入れててその前の数時間を月一のカフェに使って大体そのまま仕事に行く。
目の前に座る女がパッと鏡から顔を上げたと思ったらバックから手帳を取り出し、目を輝かせながら唇を両サイドに吊り上げた。
「そう。タルト10種類くらい用意できる?」
すぐバックを漁ってペンを取り出した女は、手帳に11月16日16時『デート イルミ』と書き込みをしている。
絶対勘違いしてると思うんだよね。
「・・・それでいいよ。連れが誕生日なんだ、土曜の朝花束届くように手配するからそれテーブルに置いといて。じゃ、よろしく。」
電話を切って見れば、週秒前にあった輝く目とは大違い。
持ったペンをわなわな震わせ怒りから今にも歯軋りを始めそうな表情が睨みつけてくる。
オーラ漏れてるよ、こんな低レベルと見合いなんて一体母さん何考えてたんだろう。
「誕生日って誰の?」
「・・・仕事仲間。」
ペン折れるよ、と忠告した俺を無視する。興味があるのは誕生日の彼女だけらしい。
「花束ってことは女なの?」
「そうだけど、なに?」
関係ないだろ、と睨みつけた瞬間テーブルを殴るように叩き立ち上がる女の顔は真っ赤だ。
女って本当にわけが分からない。
めんどくさい。
何でこんなに疲れるんだろう。
とカフェにいて疲れたことなんてないのに。
また雑誌に目を伏せれば、女のハイヒールがフロア中に響いた。
「イルミ、どうもありがとう。」
まさかこのあとが来るなんて思わなかったし雑誌は広げたまま。
別にバレたからといってなんの問題はない。
予約した話をしたが笑ってたからもうどうでもいいや。
馬鹿女ことも見合いのことも。
あの馬鹿女がいた席に今いるのはカフェ仲間、仕事仲間。
やっぱり疲れない。
聖書に目を落し始めた彼女を見ながら
何では疲れないんだろうと再度考えてみたけど
その答えは一生見つからない気がした。