BLACK MARIA

ここはロマン市。

デパートのスイ−ツ、スーパーの菓子コーナー、カフェのペストリーケース、何処を見てもチョコレートだらけの正月明けから2月14日までの一ヶ月。

たかが数個チョコレートが入った可愛い箱に魅了された女性達が毎日のように群がり、キャッキャッとまるで動物園。

花柄だったり、水玉模様だったり、ジャポン和紙を起用した箱を手にどれにしようかと悩んでいる。

彼女らを惹きつけるのは結局のところ「デザイン」であり「テイスト」ではない。

「汚い箱に入った世界一美味しいトリュフと、綺麗な箱に上品に収められたどこにでもあるチョコレートどちらを取りますか?」

そう質問された女性は聞かれると99%、綺麗な箱に入った普通のチョコレートを選択する。

これは美食ハンターとしては決して喜ばしくない回答だ。「見た目は大事」しかし根本の味がダメでは元も子もないのだから。










座るカフェ反対側で売り出されているブランドチョコレートのワゴンに群がる女達はまるで甘いものに集る蟻のよう。

明日、出勤したら蟻女、ならぬ蟻男達を見ることになるのだろう。勤め先、有名菓子店ブラックマリアは私を美食ハンターに育ててくれた師匠が始めた店だ。

彼が居たからこそ刺激があり、あの店で働くことを選んだが、彼が死んだ今あそこに留まる理由が見つからない。

先週、総指揮に着任した師匠の息子、通称若旦那が「呼び込みには美人、可愛い女の子達を」なんて馬鹿馬鹿しいことを言い出した。

常連の女性客だけではなく新たな男性客層を見つけるためだと本人は主張している。

日雇いの呼び込みの女の子目当てで来ている男達が、女の子が居なくなった後も客として店に足を運ぶと思っているのだろうか。


私は美食ハンターとしてスイーツを専門にしてきたこの数年高額な、だが質はどの店にも負けないチョコレート菓子を提供してきたつもりだ。

生産量を去年の10倍にしろという命令から、呼び込みには女の子を使って男共に金を払わせる計画まで、スイーツに対する若旦那の態度を私のプライドは許さなかった。


利益ばかりを求めている店に未来はない。

なぜ師匠が自分の息子を美食ハンターにしなかったのかよく分かる。









「そんなに嫌なら見なければいいだろう。」

ソファ席に深く腰を落ち着け本を読んでいる男は、人差し指で目の前に座る女の手で握りつぶされている雑誌をゆび指した。

の記事もあるかと思って盗ってきた。」
昨日、マチが持ってきたパティシエ紹介の雑誌はこの季節ならではだ。

美食ハンターの中でもパティシエとしては現在ナンバーワンといわれているがこの手の雑誌に紹介されていないわけがない。

彼女の特集には勤務先、ブラックマリアと過去コンクールで優勝した作品の紹介がされている。来年、またこの雑誌が刊行されるときは勤務先の名前が変わっているだろう。

この数ヶ月が放つ仕事の愚痴の多さから、彼女の転職が男には容易に想像できた。たとえブラックマリアが彼女の師匠が始めた「彼女の居場所」だったとしても。

嫌なことを辛抱強く続けられるような、ストレス型の女ではない。




「あ、ごめん。持ってきてくれたもの潰しちゃった。」

「いや、気にするな。もうお前の記事は読んだ。」

「新しい情報なんてあった?」

今更知らないことなんてないでしょうに。苦く笑らってコーヒーに口をつける。

ブラックマリアのチョコレートが世界一なら、この暗く静かなカフェはコーヒーに関して世界一なのだ、と師匠が言っていた。

ここのマスターと共同でコーヒーに会うチョコレートを作ったこともある。そんなアットホームな、優しい店だったんだブラックマリアは。

そう思うと、長年身を置いた店に哀れみを覚えた。









「14日は休みか?」
黒い瞳はまだ本に伏せられている、長いまつげが微かに揺れた。

「うん。菓子製作は13日までだからね。14日には再起不能になってるかも、製作量去年の10倍よ、ありえないと思わない?」

「その後はいつまで続けるんだ?」
辞めるつもりなんだろう?と聞かれれば胸がチクリと痛んだ。

「・・・どうだろう、できるならすぐ辞めたいとおもってるけど。」

「残念だな、あの店は好きだったんだか。」

クロロ・ルシルフルと知り合ったのはブラックマリアだった。元々師匠と知り合いだったようで、見習いに入った私を師匠が常連のクロロに紹介した。

「これが次期当主になる子じゃ。」なんて師匠あのころ言ってたな。

「あの若旦那が当主になった今、あの店に先はないよ。」

「そうだろうな。だ辞めるもあの店を変えようと動くのもおまえ次第だ。俺はもう何も言わない。」

・・・変える?私があの店を?






「それよりお姫様、14日何かご希望は?」

「去年と同じ。甘いもの以外でお願いします王子様。」

私は仕事で毎日何時間も甘い匂いを嗅いでいる、自分の休みの日まで甘いものは見たくない。プレゼントでお菓子を贈られるなんて真っ平ごめんだ。

子供の頃はそりゃぁクリスマスケーキやバレンタインのチョコレートなど嬉しいものだった。

パティシエになり、後悔している事があるとすれば今ではもう師匠と自分の作品以外に舌を巻く菓子などない、ということだ。


師匠はトリプルハンターだった。美食界でトリプルハンターの称号を手にしたのは彼が最初で最後。エロ親父だったけど偉大なパティシエだった。

平日鼻を菓子に犯されているせいで、休みの日家で菓子を作るものNG。

そんなパティシエを彼女に持つこの男はクリスマスはおろかバレンタインも彼女からお菓子をもらえない、付き合い始めて最初の年はそりゃ文句を言われたが

今ではバレンタインは逆チョコが当たり前、毎年ディナーに連れて行ってもらってる。



人殺しを何とも思わない盗賊団の頭のわりにはとても優しい男だと思う。

















携帯電話を取りレストランの予約に立ち上がった男が残したコーヒーのカップを見ながら、彼が今日もってきた雑誌のことを思った。

私が特集されている雑誌や本は片っ端から読んでいる彼。何だかんだ私たちは今年で6年目。


最近、彼の周りに他の女の影がちらつき始めた。別に非難するでもなく気付かない振りをしていて苦しいわけでもない。

それは自慢すればこの男と6年一緒にいる貫禄というやつ。

誕生日はおろかクリスマス、バレンタイン放って置かれたことなんて過去一度もない。

それが自信に繋がっているのだろう。


イベントをいつも任せきりにしている彼氏に今年くらいは奉仕してもいいんじゃないだろうか、そんなことを心のどこかで思った。




「どうしたんだニヤニヤして。」

「ふふ、なんでもなーい。」

見習いとして初めて自分の作品を作ったあの日、先輩、常連、師匠を囲んだ試食会でクロロと師匠に真顔で「不味い。」と言われて以来、彼に自分製作のスイーツを食べさせたことはない。

それに反抗してか憎たらしいことにクロロはブラックマリアに来ても師匠の作品か私の弟子についた見習いの作品しか買っていかない。

の一作目より遙かに旨いな。」と言葉をもらった愛弟子はあれから1週間すごい浮かれようだった。

そして旅団員にも私の作品はクロロに食べさせるなと強く言ってあるから、彼らからもらっていることもないと思う。


つまりクロロが最後に私の作品を食べたのは6年前。それは付き合うようになって、修行が上手くいかず泣きついたと思えば、有名なコンテストで優勝して褒めてもらい、

美食ハンターになり師匠の片腕としてデビュー、成功を収めた期間でもある。





6年ぶりに私のスイーツを口にしたら、滅多なことで驚きを見せないこの男はどんな反応を見せてくれるのだろうか。

ベロナコーヒー最後の一口を流し込むとやさしくホロ苦い薫りが鼻をつく。

そう言えば好きな男にお菓子を作るなんて初めてだな、とまた顔が緩んだ。






クロロの愛書が閉じられる頃、頭のシナプスはすでにクロロ・ルシルフル特製レシピを組み立てはじめていた。